正しいコミットメントの在り方

 河合隼雄さんは、「村上さんの『小説家になって』のコメントのなかの『反抗しようにも反抗すべきものがもうそこにほとんど残っていない』という言葉が印象的でした。おそらく、これは現在の多くの若者が感じていることに重なるのではないでしょうか」と述べている。そして、「『自分なりのスタイル』を築くために、自分全体をあげてのコミットメントをしなくてはならなくなる。そしてそこから自分の『作品』が生み出される」と言っている。その上で、「「反抗」などというスタイルをとらず、「自分のスタイル」を打ち出す、という形で、既存の社会や文化の底を割って、それが姿を露呈してくるような若者のムーブメントが生まれてきてほしいのです」と言っている。つまり、この発言は、全体の中の個とか個性のようなものの確立ということが、コミットメントにおいて、非常に重要なのだろうと理解できる。

 スポーツは、確実に相手がいる。つまり、自己認識ということが、相手の概念に取り込まれない形で可能だ。だからこそ、比較的楽に、コミットメントすることができるのではないだろうか。しかし、相対的また多元的な価値観の中の政策論争においては、もちろん「体制」と「反体制」のような二分法で自己認識を確立できるように思えるが、河合さんが「「体制」のなかに本質的には組み入れられている」というように、実は、個を確立することは難しい。

 このような中で、現代社会というのは、みんなが、「ぼくは/なんのために/存在しているんだ」という根源的な問題に対する答えを、一生懸命になって探している状態なのではないかと思うのである。こうした現代社会に対する不安は、いま日本だけではなく、海外で経済的に発展している国々の若者の中にも、同時代的に共鳴していっているような気がする。

 そこで、次は、このあたりのことを、もう少し掘り下げていくことにしよう。

(政策空間7月号所収)

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ワールドカップの熱狂

 いま、この原稿を書いているのは、6月20日で、実は、この原稿の締切日であったりする。日本時間で18日の夜には、日本とクロアチアの試合があり、日本は引き分け。決定的なチャンスがあっただけあって、非常に残念な試合でした。日本時間で23日の早朝には、日本とブラジルが試合をする。日本は、とにかく2点差以上で勝たなければいけないという状態です。この原稿が公開されているときには、すでに日本がどのような結果を残したのかもわかっているし、優勝国も決まっているはず。だから、ここで、アルゼンチンが優勝するのではないか、とか書いて、やっぱりブラジルが優勝していたら、とても恥ずかしい。(タイムラグがある原稿って、このようなところが難しいですね!)(⇒結果は、イタリアの優勝。予想は完全に外れました。でも、ポルトガル代表のフェリペ監督は続投のようでよかったです)

 さて、日本時間で12日の夜に行われたオーストラリアとの試合。視聴率は50%を超えたとか。街中を歩いている人も少なく、多くの人がテレビに釘付けだったようだ。日本時間で18日の夜に行われたクロアチアとの試合も瞬間視聴率が60%を超えたというような話もちらほら。きっと、日本時間で23日の早朝に行われるブラジルとの試合は、早朝だから、なかなか難しいのだろうけど、日頃、サッカーに興味をあまり持っていない人も含めて、多くの人がテレビで日本代表を応援するのではないだろうか。日本代表を応援するといえば、3月に行われた野球のWBC(ワールドベースボールクラシック)の決勝戦は、祝日だったこともあり、多くの人がテレビの前で応援したみたいだ。

 政策論争への「コミットメント」とスポーツ観戦を通じての「コミットメント」。同じ「コミットメント」という言葉を使ったとしても、かなり意味が異なってくるようである。

(政策空間7月号所収)

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『小泉改革とは何だったのか』

 先日、分担執筆で、日本評論社より『小泉改革とは何だったのか-政策イノベーションへの次なる指針-』という本を上梓いたしました。詳しい内容は、政策創見ネット21のホームページをご覧ください。また、7月21日には、行革国民会議政策創見ネット21が主催となって、『小泉改革の検証と次期政権への課題-日本の行財政改革の軌跡とその成果を踏まえて-』というシンポジウムを開催いたします。詳しい内容は、行革国民会議のホームページか政策創見ネット21のホームページをご覧ください。

 この原稿を書いている時点では、通常国会が閉会したばかりなので、この号が公開される7月10日頃には、ポスト小泉に向けた総裁選の流れがどのようになっているのかは想像することは難しい。報道等を見ていると、「誰が」、とか「靖国に行くのか」、といったことのみが前面に出されている感触を受ける。ただ、この時期だからこそ、5年半の小泉内閣が行った改革を冷静かつ客観的に検証し、評価をすることが必要なのだろうと思う。そして、小泉改革では、何を達成することができて、何を積み残しているのか、ポスト小泉改革・次期政権の改革では、何を継続し、何を修正していくのか、ということが、本当は論点にならないといけないのではないかと思う。

 その意味で、総裁選に出馬する候補には、政策のビジョンをきちんと示した上で、政策論争をして欲しいと思うし、ぼくたち国民も、もっと真剣にその議論に参加していくことが必要なのだろうと思う。そして、もっともっとメッセージを発信していくことが重要だと思う。

 次期政権の主要テーマは、財政再建・財政構造改革。財政や税制というのは、国の根幹であり、基本構造なのだ。そして、国の最も重要な機能のひとつである。その意味で、財政をどうしていくのかとか、税制をどのように設計していくのか、ということは、日本という国の構造そのものを、どのようにしていくのかという議論なのだ。その議論に、ぼくたち国民がしっかりと参加して、自分たちの国の将来にきちんとした責任を持つことが重要だと思っている。

(政策空間7月号所収)

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デタッチメントを通じたコミットメント

 村上作品において、ふたつの世界が存在している。ひとつは、現実の世界もしくは人間の外なる世界、もうひとつは、人間の内なる世界である。そして、それをつなげる媒介者も登場する。これは、『羊をめぐる冒険』以降、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』では、顕著に、ふたつの世界が示されている。「僕」は、そのふたつの空間を媒介者や媒介物を通じながら、行ったり来たりすることで、コミットメントをしているのである。そのコミットメントとは、内なる世界へのコミットメント、つまり、自己への問いである。または、その行為を通じての社会への問いである。

 村上さんは、「自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします」と言っている。
 
 「ぼくは/なんのために/存在しているんだ」

(「政策空間」6月号に所収作品)

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コミットメントするとはどんなことなのか?

 それでは「コミットメント」はしていないのか、というと、そうではなくて、「巻き込まれている」形であったり、自分の意思であったりと形は変わりながらも、いつのまにか、違うかたちの「コミットメント」はしているのである。たとえば、『羊をめぐる冒険』では、「鼠」からの手紙を通じて、「羊」探しに巻き込まれる。これは、明らかに、人間の内なる空間なり世界にコミットメントをしていっている。「鼠」や「羊男」というのは、人間の内なる空間の象徴なのだ。『ノルウェイの森』では、「直子」を通じて、『国境の南、太陽の西』では、「島本さん」を通じて、内なる世界にコミットメントしている。

 ここで、再び、村上さんの発言を引いてみよう。

 「僕が小説家になって最初のうち、デタッチメント的なものに主に目を向けていたのは、単純に「コミュニケーションの不在」みたいな文脈での「コミットメントの不在」を描こうとしていたのではなくて、個人的なデタッチメントの側面をどんどん追求していくことによって、いろんな外部的価値(それは多くの部分で一般的に「小説的価値」と考えられているものでもあったわけだけれど)を取り払って、それでいま自分の立っている場所を、僕なりに明確にしていこうというようなつもりがあったのだという気がします」

 それに対して、河合隼雄さんは、「いまの若い人たちも、この静かなコミットメントということがわかると、それは実に強力な若者のムーブメントにつながっていきそうに思います。頭だけではなく、自分の全存在をコミットさせることを学ぶ必要があります」と言っている。このときの「静かなコミットメント」とは、「一般に考えるように「なんでもしてやろう」とか「頑張ってやろう」というのではなく、外見的にはむしろデタッチしているかのようにさえ見える」と説明している。

(「政策空間」6月号に所収作品)

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デタッチメント × コミットメント

 さて、前回、村上春樹作品の魅力は、「デタッチメント」と「コミットメント」にあると書いた。そして、作品を重ねるごとに、それは進化しているとも書いた。でも、この書き方には、少し誤解が生じてしまうかなと思った。というのは、前回に村上春樹さん自身の発言を引用したけれども、最初から「デタッチメント」と「コミットメント」の両方がはっきりとあったわけではなくて、たぶん、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のあたりまでは、「デタッチメント」が中心になって、アフォリズムからリアリズム、ストーリーテイリングの段階に移っていた。むしろ、「ある種のコミットメント」とは距離が置かれていた。

 『羊をめぐる冒険』に登場する右翼の大物の秘書や『ノルウェイの森』に登場する突撃隊や「僕(ワタナベ)」が住んでいる寮こそ、「ある種のコミットメント」の象徴と言える。この「ある種のコミットメント」の象徴に対し、「僕」は秘書に対しては、嫌悪感をあらわにしているし、突撃隊なり「僕(ワタナベ)」が住んでいる寮に対して、冷ややかに距離を置いている。これが、世間からの「デタッチメント」になってくる。
 つまり、社会はどうなろうとも、僕には関係ない。政治がどうなろうとも、僕には関係ない。僕は僕。ただ、それだけだ。というような、ある種の悟り的な心境で、同時代の社会変動を見ているのである。

(「政策空間」6月号に所収作品)

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ネットワーク依存型社会のはじまり

 先日、ぼくのブログで「ツナガっていたい人たち:ネットワーク依存症≒セックス依存症」というタイトルのコラムを書いた。社会経済生産性本部が、今年の新社会人は、「ブログ型」とタイプと発表して、「ブログ型って何なんだ」と考えたことを書いた。まだ、あまり、頭の整理ができていないので、ちぐはぐしている文章なのだが、要は、協調と共生は違うよ、ということを言いたいのである。(いま、この原稿を書いているのは、5月19日なので、この原稿が掲載される6月10日までは、さらに踏み込んだ文章が書けると思う→6月10日になったけど、まとまった文章にはなってない)

 本来、通過儀礼としての承認を何度も繰り返される中で得られる自尊感情が、ネットワーク社会の中で誤認された形で、安易に形成されることに危惧を感じている。ネットワークにおける自分の立ち位置なり、自己表現は比較的自由である。それは良さもあるし、悪さもある。ネットワークという果てしなく広大な大地という全体の中で、本当に自分を見つめ続けていられるのか、その全体と自分の関係性を明確に意識できているのか、つまり、自立ができているのかが重要である。「ツナガッている」ことや「ナカマ」であることに安心して、自分を見失っていないか、ということを、常に自分自身に問い続けることが重要である。

「ぼくは/なんのために/存在しているんだ」

 ツナガルこと、ナカマになることは目的ではない。しかし、それ自体が目的化してしまったとき、それはネットワーク依存症なのであろう。来年の新社会人が、その意味での「SNS型」タイプとならないことを自分勝手に祈っていたりする。

(「政策空間」6月号に所収作品)

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デタッチメントとコミットメント

 村上春樹作品が人々に受け容れられる理由についてのヒントは、河合隼雄氏との対談である『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)のなかの村上春樹氏自身の発言にある。

 村上春樹氏は、自身の表現方法について、次のように述べている。「そのデタッチメント、アフォリズムという部分を、だんだん「物語」に置き換えていったのです。その最初の作品が、『羊をめぐる冒険』という長編です」という段階があり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』まで来たと述べている。また、「それから自分がもう一段階大きくなるためには、リアリズムの文体をこのあたりでしっかりと身につけなくてはならないと思って、『ノルウェイの森』を書いた」と述べ、「そして『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとってはほんとうに転換点だったのです。物語をやりだしてからは、物語が物語であるだけでうれしかったんですね。ぼくはたぶんそれで第二ステップまで行ったと思うのです」となる。そして、「『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということが関わってくるんでしょうね」という過程を進んでいると述べている。この対談後、『アンダーグラウンド』(1997年)、『海辺のカフカ』(2002年)、『アフターダーク』(2004年)と、さらに村上春樹作品はさらに進化を続けていくことになる。

この進化の過程は、まさにデタッチメントとコミットメントの進化にあり、このデタッチメントとコミットメントこそが人々に同質性を感じさせ、それが魅力となっているのではないかと考えられるのである。

(「政策空間」5月号に所収作品)

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村上春樹作品は、なぜ世界に受容されるのか?

 本年のフランツ・カフカ賞を村上春樹氏が受賞することが決まった。この2年間、フランツ・カフカ賞を受賞した作家は連続して、ノーベル文学賞も受賞しているから、もしかすると、本年度のノーベル文学賞は、村上春樹氏なのではないか、という期待も高まっている。もし、村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞すれば、川端康成氏、大江健三郎氏に続く日本人で3人目となる快挙だ。

 村上春樹氏の作品は、30ヵ国以上で翻訳されているという。世界各国において、村上作品がどのように受容されているのかについては、『文學界』の2006年6月号に掲載されている「ワークショップ:世界は村上春樹をどう読むか」という2006年3月26日に東京大学で開催されたワークショップの記録を読むと知ることができる。一言で言えば、世界的な「ハルキブーム」が起きているということだ。

 また、インターネット上のWikipediaで「村上春樹」と検索してみると、「1996年に『ニューヨーカー』で11ページに及ぶ特集記事が掲載され、2005年には『海辺のカフカ』の英語版"Kafka on the Shore"がニューヨーク・タイムズの「The Ten Best Books of 2005」に選ばれるなど、海外での評価も高い」ということが紹介されている。さらに、2006年5月7日付の朝日新聞の朝刊に、「中国では大学生3人に2人が村上春樹さんの小説を読んでおり、90年代末以降、村上さんと共に翻訳が多い日本作家は渡辺淳一さん-。筑波大大学院図書館情報メディア研究科で学ぶ2人の中国人留学生の最近の調査でこんな結果が明らかになった。中国社会の現実が両氏の文学を必要としているようだ」という記事が掲載されていた。この調査で、村上作品の読後感は、「「孤独と無力感に満ちている」が81%と多く、「社会システムや共同体を冷ややかに傍観」(39%)、「大量の性描写」(35%)」という印象を中国の大学生は感じているようだ。

 村上春樹作品の代表作といえば、『羊をめぐる冒険』(1982年)、『ノルウェイの森』(1987年)、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年、1995年)、『海辺のカフカ』(2002年)などが挙がるだろう。

 余談だが、個人的には、『国境の南、太陽の西』(1992年)に思い入れがあったりする。というのは、昔付き合っていた女の子から、「君のことみたい」と何度か指摘をされ、事実上、恋人関係が終わったあとに、彼女のことを思い出しながら読んだ記憶があるからだ。

 ちなみに、そのとき、繰り返し繰り返し、中島美嘉のアルバムを聞いていて、「雪の華」が自分の中では、『国境の南、太陽の西』のテーマソングになってしまっている。

 あと、『羊をめぐる冒険』と『ダンスダンスダンス』も思い入れが深い。これもある女の子に勧められたものなのだが、米国旅行でとても心の支えになった。

 こうした村上春樹作品は、なぜ人々に受容されるのだろうか。このあたりのことを考えて行くと、現代社会の構図なりヒントが見えてくるように思える。

(「政策空間」5月号に所収作品に一部加筆)

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日常のなかにある新しい発見

最近、「街を歩こう」という企画で、小学生のころに住んでいた街に行く機会があった。そのとき、「何か違うなぁ」というような違和感があった。ぼくが目にしている街の風景が違うのである。もちろん、ぼくがその街から引越しをして、15年以上経っているのだから、街並みが大きく変わっているのは当然だ。しかし、街が変わっていると感じる理由は、時の流れだけではない。たぶん、視線なり目線が違うのだ。視線が違えば、目に入る景色も当然変わる。だから、小学生のころのぼくが感じた街の風景といまのぼくが感じた街の風景は、当たり前だけど、違うのである。だからこそ、新しい発見があるし、街を歩く楽しさがある。

ぼくは、世の中で起きていること、現代社会が抱える問題を読み解いてみたいと思った。街を歩いているときに感じたように、ごく自然な形で捉えて、日常のなかにあるささやかな新しい発見に挑戦してみよう。

(「政策空間」5月号に所収作品を一部修正)

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