予告
「大きな米国 小さな僕の冒険」ですが、今回連載した文章を中心に、新たに文章を書き加えたり、米国滞在中の写真などを使って、編集して、出版することにしました。
新たに文章を書き加えるというところが、自分にとっての最大の障害ではありますが、やはり形にしておくことが重要ということで、秋ぐらいには出せるように執筆と編集に入ります。
お楽しみに。
「大きな米国 小さな僕の冒険」ですが、今回連載した文章を中心に、新たに文章を書き加えたり、米国滞在中の写真などを使って、編集して、出版することにしました。
新たに文章を書き加えるというところが、自分にとっての最大の障害ではありますが、やはり形にしておくことが重要ということで、秋ぐらいには出せるように執筆と編集に入ります。
お楽しみに。
この「大きな米国 小さな僕の冒険」は、僕が5月24日から6月12日までの米国旅行の滞在記です。
まずは、旅行中にお世話になりました皆様に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
また、実はこの旅行に行くために、ご高配とご厚情を賜りました先生方にもこの場をお借りしてお礼を申し上げます。また、旅立つにあたりまして、いろいろとご迷惑をおかけした皆様もおりまして、お詫びとお礼を申し上げます。
本来であれば、実名を挙げてお礼を申し上げるべきところでございますが、このようなブログに掲載ということで、逆にご迷惑をおかけすることになるといけませんので、このような形でお礼を申し上げる失礼、ご寛容いただければ幸甚でございます。
今回の旅行の主目的は、George Mason大学の公共選択研究センターで開催されたOutreach Conferenceに参加することでした。そして、続けて開催されるSummer Institute、そしてYale大学に浜田先生をお訪ねすることです。この「大きな米国 小さな僕の冒険」では、アカデミックなことはあまり書いていませんが、目的は研究のためです。今回の成果としては、これからの研究成果の中で出して行きたいと思いますが、一言で感想は、アカデミックな刺激をたくさん受け、自分の研究を発展するヒントを得ることができました。特に、米国滞在中には、次々と研究のアイディアが思い浮かび、それがおぼろげながらも形になっていく、学術的な意見交流の中で、自分の頭の中がクリアにされていく、そんなことを実感したわけであります。いま、僕が言えることは、留学もしくは海外で学術的な環境に身を置くことは素晴らしいということです。ですから、僕はこれからも機会があれば、もっともっと海外に出たいと思っております。
この滞在記を書くことは、実は出国前から考えていました。学術的なことを書いていくという方法もあるんでしょうけども、それは自分の研究に反映する形にするとして、このブログでは、もっと単純な米国生活のこと、特に困った話とか笑える話とかを書こうと考えていました。
それが自分の記録にもなるし、もし読者の方が、初めて海外に行かれるときの参考になればと思っています。実は、岸本周平さんの「中年英語組」という新書を読んで、米国の大学生活を知る上で、大変参考になったことがあって、僕も体験記を書きたいなと思ったことがありました。「大きな米国 小さな僕の冒険」は、「中年英語組」に比べれば足元にも及ばない拙文ですが、今回の旅行を何か形に残したかったわけです。
どういう風に書くかということなんですが、日常をありのまま書くということもあるのですが、それは自分で読み返しても面白くないし、自分で面白くないんだから他人にはもっと面白くない。だから、僕は、失敗談を中心に少し脚色も加えて書くことにしました。
実は、僕は今まで、作家としてはノンフィクションというものを書いたことがありません。エッセイは何度かやったことがありますが、自分のことを書くなんて、とても恥ずかしくて、筆が進みません。今回の「大きな米国 小さな僕の冒険」も、たぶん、完全なノンフィクションの形では、恥ずかしくて書けないでしょう。そこで、今回の旅行を題材に、記録的な部分は当然残しながらもひとつのストーリーを書くことにしました。
だから実は、脚色されているところがあるし、実際には、もっといろいろなことがあって、書いていないこともあります。例えば、あのラブロマンスとか、悲しい恋の物語とか、そういうのは書いてません。まあ、恋愛云々については、もちろん、そういう話自体なかったので、書いたら、完全な嘘になります。(笑)
だから、これをノンフィクションの滞在記とは思わず、ひとつのストーリーとして読んでいただければ嬉しいです。
僕は英語が苦手です。でも、こうして3週間、米国に滞在し、いろいろな方のご支援で旅行を終えることができました。アムトラックに乗ることも、国内トランジットも、英語がもっとできれば、もっと不安にはならなかったでしょう。話の中で書いたと思いますが、実は、とてつもない不安に襲われたときもありました。また、英語が聞き取れなかったり、うまく言えなかったりで、笑われたり、変な顔をされたりで、悔しい想いもしました。ただ、どうにかなってしまうものです。語学というのは肩に力を入れている限りはうまくならないのかなとも思います。だから、これからはあまり難しく考えずに、英語を話し続けていこうかなと思います。
米国滞在中に、論文一本を書き終えました。それは今度の学会で報告します。また、小説の構想も少し進めました。これは、不定期連載中の「今夜、夢の中で君に出逢う」です。これもまとまった時間をもてれば、一気に書けるでしょう。
そういう意味では、自分のセンスを研ぎ澄ますために、素晴らしい環境に飛び込むことができ、また良い意味での頭のリフレッシュになりました。
いまは、なんとか、この帰国日までの記録を残せただけで、ほっとしています。そして、また米国で生活をしたい、こんど生活をするときは、こうしたいとかをいろいろ考えています。
矢尾板俊平
やっぱり、13時間というのは長い。リコンファームのときに、通路側を予約していたので、まだ良かったのですが、隣はおじさんで、あまり楽しくない。そりゃ、若い女の子でも、僕の性格上、話しかけるとかそういうことはできないので、誰でも同じと言えば同じなんだけど、まあ、そこは僕の勇気次第ということで、確率論的には違うわけです。
しかも、おじさん、こっちを向いて寝るんです。見ず知らずのおじさんの顔がこちらを向いていて、気が気でありません。しかも風邪を引いているのか、なんどもくしゃみとかしてます。こんな密室の中でそんなことされたら、風邪がうつります。
まあ、そんなこんなで13時間、やっぱり長いです。
持ち込んだのは、村上春樹の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」塩田潮の「郵政最終戦争」、雑誌のSPA!でした。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」は一時間ずつで、読了。すぐに読み終わりました。まあ、これで、「羊をめぐる冒険」を加えて、三部作、全部読み終わりました。「風の歌を聴け」の冒頭で「僕」は女の子の部屋で起きて、女の子が目覚めると、「僕」を問い詰めます。「なんかしたでしょう」みたいな。「僕」は、「なんもしてないよー」というわけですが、記述的に、「なんかしてますよね」。でも、「僕」の言葉に僕も騙されそうになりました。「郵政最終戦争」もなかなか面白かったが、2時間はもたず。あとは、ゆっくりとSPA!を読む。まあ、一冊のSPA!で3週間もたせましたから、なんとかなるでしょう。行きの飛行機は、SPA!を読もうとしたら、両隣が女の子で、さすがに恥じらい読めなかったんですが、今回は隣がおじさんだったからいいやと読んでました。
こうなると、食事の時間が恋しい。特に、朝は、カップラーメンとおにぎりなんですが、それが待ち遠しくて待ち遠しくて、1時間30分も待ってしまいました。
シベリア上空、樺太上空を飛んで、日本領空へ。歴史の重みを感じました。
そして、いよいよ成田に到着するわけです。
2月に上海から帰国したときは、入国に大変な時間がかかったので、すかさず飛行機から脱出。入国審査に飛び込む。荷物が出るのに時間がかかるも、税関のお姉さんが愛想が良くて、気分がいい。3週間ぶりの日本ですが、車って、そういえば右ハンドルでしたね。とてつもなく違和感。。。
ちなみに、飛行機は一睡もできず。
飛行機は、11時20分。リコンファームの時に、遅くとも2時間30分から2時間前には空港に来てくださいと言われたので、9時前には空港に着こうと、6時30分に起きる。
だいたい、何かあるといけないので、8時過ぎにはホテルを出ようと心がける。寝過ごしてしまうといけないので、携帯電話のタイマーを6時から30分置きに準備する。たまに寝過ごしてしまうときがあります。今回の旅行中も実は、一回だけ、寝過ごしてしまって、失敗したことがありました。どことは恥ずかしくて言えないけど。
基本的に、僕は寝ることが怖い。なぜかって、起きられるかどうか不安だからだ。特に重要な用件がある場合、ほとんど寝過ごさないけど、たまにミスする。これが結構、致命的なミスで、それが怖い。寝過ごす夢を見る場合なんかもある。それだけ怖い。
今回、寝過ごしたら、飛行機は飛び立ち、はい、さようなら。僕は日本にもう戻れなくなる。確かに、このまま、もう少しいるのもいいかもとは思っているけど、寝過ごしました、飛行機乗れませんでした、はい、それまでよ、というネタは作りたくない。だから、ボストンでも寝なかった。
合理的などうかわからないけど、朝早くに用事がある場合、リスク遮断として寝ないという選択をすることが多々ある。最近は、それでも身体がきついから寝てしまうけど。
今回は、それでも8時までに起きればなんとかなるし、23時には寝る準備ができたので、さすがに大丈夫だろうと昨夜は寝た。
そして、僕は起きた。さあ、いよいよ帰国するぞ、という目覚めだった。
予定通り、8時にホテルをチェックアウトして、シャトルバスを待つ。実は、シャトルバスは、僕の目の前を通り過ぎて、出たばかりだったので、結構、待つんだろうなあと思い、ベンチで待つ。10分程度で、シャトルバスが来て乗る。乗客は僕一人。運転手が、どこのターミナルだ?と聞いてくるので、Cターミナルだと言う。そしたら、「国際線か?」というので、「うん」と答える。
8時30分前には、ターミナルに着く。さすがに、成田行きなので、日本人が多い。今日も、ちょっと気取ってジャケットを着て、サングラスをかけて気分はニューヨーカー。どちらかというと、映画「Brother」という感じ?でも、テーマは、ニューヨークに事務所を構える弁護士です。でも、バックミュージックは、久石譲なんだろうなという感じ。
さて、最大の懸念である、荷物チェック。また、徹底的に調べられるんだろうなぁと思いつつ、2回の経験より学んだ全ての知識をフリースルーのために傾ける。運命の瞬間。僕は、ずり落ちそうなズボンを手で持ちながら、ゲートを通る。過去2回、ひっかかっても音はしないので、結果はわからない。言うなれば、アメリカ横断ウルトラクイズでグアムに降り立てるかどうかの気持ち。
なんと、今回はフリースルー。初めてチェックされませんでした。良かった良かった。
免税店で買い物をしつつ、搭乗ゲートも確認し、スターバックスでコーヒーを飲む。そのとき思ったのは、出国審査ってしてなかった、ということだった。いつもだったら、荷物検査の後、出国審査やって、パスポートにスタンプを押してもらって、ひと段落なのに、その作業がない。徐々に不安になってきた。どこでやるの?
恐る恐るゲートに向かうと途中で、女性が、日本語で、「東京に行きますか?」と尋ねてくる。「そうですよ」というと、「そうしたら、ここでチェックしてください」と、指紋を取られ、写真を撮られる。なんと、自動出国検査装置のようだ。自動で名前まで表示される。すごい。なんか、バーコードみたいな紙がでてきて、これをなくさないようにと言われる。搭乗ゲートで、グリーンカードを回収され、循環に来たお兄さんに指紋を再度取られ、チェック完了。そのまま飛行機に乗り込む。
外を見ると雨も降っている。昨日は、いろいろとあったので、外に出る気もあまり起きない。まあ、でもニューヨークの近くまで来ているので、行ってみようかと思う。それで、朝は少し遅めに起きる。何度か、朝は起きるのだけど、雨が降っていることもあり、なかなかしっかり起きれず、二度寝、三度寝を積み重ねていく。
明日、僕は日本に帰るのだけど、やっぱり予行演習だということで、まずホテルから空港に行くことにする。ホテルからシャトルバスに乗り、実際に「P4」がどこだったのかを検証するという意味もある。昨夜から、僕を憂鬱にしている「P4」。そろそろ決着の時が来たとしてもおかしくない。
シャトルバスに乗るが、コンチネンタル航空のターミナルまで、「P4」は現れない。とりあえず、ターミナルに降りて、明日の予行練習。そこから、ターミナル間及びニュージャージートランジットのニューアーク国際空港駅まで結ぶモノレール乗り場を探す。なかなか見つからずに苦労するが、ようやくたどり着く。
モノレールに乗る。そこで、駅名に「P1」とか「P2」とか書いてあるのがわかる。「P4」とは駅名だったのである。つまり、昨日、僕はターミナルCの駅(「P3」)から一駅乗って、「P4」まで行けば、シャトルバスに乗れたし、タクシーの運転手に40%ものチップを払う必要はなかったのである。
NJTに乗り、ニューヨーク・ペンステーションへ。ペンステーションは、2週間ほど前に、ワシントンに旅立つ時に降り立った。ニューヨークでは、メトロポリタン美術館に行きたいと常々思っていたのだが、既に時刻は14時前。ただでさえ、全て回るのは1日以上かかるという美術館に行っても、中途半端になりそうなので、次回、来る時への宿題にする。地下鉄に乗って、5番街へ。
ニューヨークでは老舗らしいデパートに行く。さすがに老舗のデパートだけあって、高級感が漂う。大衆化されていないデパートというのは、こういうものなんだと、日本のデパートとの違いを強く感じる。5番街には、ヘルメスとかティファニーとかブランドの店舗もたくさんある。もし、僕が女性であれば、とても楽しいんだろうなぁと思いながら、ウインドーショッピング。まあ、もし僕が結婚していれば、ティファニーでお土産でもと思いながら、歩いていくと、ディズニーショップを発見する。
ちなみに、昼食は、日本でいえば、小さいスーパーのようなところで、好きなおかずをパックに詰めて、それをお弁当代わりにして、ビルの間にある小さな広場で食べる。
ディズニーショップでは、ニューヨークでしか買えないようなディズニーグッズを発見し、いろいろと購入。そして、せっかくなので、NBCストアにも行こうと思い、ロックフェラーセンター方向へ。
確か、the west wingは、NBCだったなと思い、歩いていく。気分は、すでにニューヨーカー。ちなみに、ニューヨークで馬鹿にされないように、the west wingのジョシュ・ライマン風にジャケットを身につけ、サングラスをかける。ワシントンでは、ブラッド・ピットをイメージしていたが、こちらでは、ニューヨークに事務所を構える弁護士を演じる。これで、ニューヨークにも溶け込むことにする。
途中で、紀伊国屋に寄る。紀伊国屋で、村上春樹の「風の歌を聞け」と「1973年のピンボールを購入」。復路の航空機の中で読むことにする。
NBCストアでは、TVドラマグッズが売られている。例えば、ERの白衣とか。ストア内で思ったのは、こちらでは、Law and Orderという番組がヒットしているのではないかと思う。たぶん、日本に輸入されるのも時間の問題だろう。
the west wingグッズ及びDVDを発見。DVDは、リージョンが違うので、日本では見れないので、購入を見送る。早くDVDも国際標準化してほしい。グッズはTシャツとコップを買う。
NBCストアの隣に、メトロポリタンのストアがある。そこで、メトロポリタングッズを購入。メトロポリタンでは、「エジプトのカバ」を見たくて、僕は子供の頃からずっとそう思っていた。「エジプトのカバ」のグッズも売っていて、すかさず購入。
もう夕方になってきていて、歩いていたら、知らない間にブロードウェイ近辺へ。人の移動が激しくなってきたなと思って、時計を見たら、ビジネスタイムが終わった時間だった。
そろそろ帰ろうと、地下鉄でペン駅へ。NJTのチケット売り場が混んでいて、チケットを買うのに15分ぐらいかかる。
ペン駅は地下から出発なので、ホームが決まり次第、移動するんだけど、電車に乗りつつ、間違えていないことを心から祈る。間違えていると、大変なことになる。
地下から、外に出ると、ニュージャージーの見覚えのある土地が広がる。一安心。
ニューアーク国際空港からモノレールに乗り、今度は間違えなく、「P4」へ。シャトルバスがちゃんと迎えに来てくれる。
ホテルの部屋で、別な人がいないか、恐る恐るチェックして、少し休む。
夕食はホテルのレストランで、最後の夜なので、ハンバーガーとオニオンスープとサラダを注文。当然、食べきれないリスクを背負いながら、食べる。
翌日は、帰国日なので、荷物整理をし、紀伊国屋で買ってきた雑誌を読みつつ、ちょうどテレビでLaw and Orderが放映されていたので、それを見る。明日、ボディチェックされることを憂鬱になりつつ、就寝。
朝起きると、6時だった。さすがにまだ早いということで、9時まで寝る。9時に起きて、支度をして、池上さんの運転で大学へ。実は、以前にうちの大学院の橋本さんからお薦めのアイスクリーム屋さんを紹介していただいていたので、池上さんとアイスクリームを食べに行く。バブコップというアイスクリーム屋さん。大学の構内にある。確かにおいしい。こんなにおいしいアイスクリームを食べたのは久しぶりだというぐらいおいしかった。
アイスクリームを食べた後、生協でWisconsin大学グッズを買う。そして、コーヒーを飲みに行き、池上さんといろいろとお話をする。
そろそろ昼食の時間なので、イタリアンのレストランに行くことにする。ウエートレスさんといろいろとお話をしてみる。また、行く途中で、池上さんから「オーサム」という単語がvery goodの意味でよく使われているということを教えてもらったので、早速、ウエートレスさんとの話の中で、「オーサム」と使ってみる。
昼食後、途中でコーヒーを買い、空港まで送っていただく。空港で、1時間弱、池上さんとお話をして、お見送りをしていただく。
飛行機の搭乗口で、またボディチェック。こんどはベルトまで外して臨む。しかし、ゲートを通過すると、出口がテープで閉められている通路に案内されている。出ようとすると「待て」と言われ、また、再び、厳しい取締りが始まる。二度目なので、こちらも要領がわかるので、やりやすい。身体中をチェックされ、なおかつ、鞄を全て開けられ、全て触診で確認され、やっと解放される。
そして、搭乗口に行くと、飛行機が55分間遅れるとのメッセージ。ニューアークに直接行くのであれば、いくら遅れても良いのですが、クリーブランドでトランジットなので、そちらが心配になる。
宮島先生が、こちらでは3回に一回ぐらいの確率では、交通が遅れるんじゃないかとおっしゃっていたのを思い出す。確かに、New Havenでアムトラックが遅れたのも3回目だったし、今回の飛行機も3回目。
時間通り、55分間遅れて、飛行機が離陸。また、行きの時のおじさんかなと思っていたら、今回はお姉さんだった。クリーブランドでも飛行機は遅れていて、結局、全体で40分ほど遅れて離陸。
ニューアークに近づくと、ニューヨークのきれいな夜景が目線に広がる。といっても、通路側だったので、ちらちらと窓を見るぐらい。特に隣の人が女の子だったので、あまりじっと見ることができない。恥ずかしくて。ちなみに隣の女の子は、韓国の人で、日本語で村上春樹を読んでいた。僕らが英語の単語帳(リスト)を作るように、彼女はハングル語と日本語の比較対照単語リストを作っていた。村上春樹ネタでお話しようかと、ドキドキ2時間ぐらい悩むが、その間に、飛行機は到着してしまった。
結局、空港でも、なかなか到着ゲートに飛行機が付けられなくて、飛行機を降りたのが、22時。
ホテルに電話して、シャトルバスを頼むと、「P4」に行けという。「P4」がわからず、周りを見ると「パーキング レベル4」とかいう、まあ、「レベル2」とか「レベル3」もあるのだが、それを発見してしまい、でも「レベル」は見えておらず、「パーキング4か?」ということで、相手は「うん」というので、「パーキング レベル4」に行ってしまう。もちろん、駐車場の4階のことである。常識的に考えて、駐車ターミナルの4階、一番上なので、屋上なのだが、こんなところにホテルのシャトルはこない。来るとすれば、駐車する人か、何か怪しい取引をするという感じだ。空港の吹きさらしが吹きまくり、なんとなく焦燥感が漂う駐車場の屋上。僕は、なんとなくそこでシャトルを待つ。明らかに違うと僕は思い、もう一度、「P4」を探す。今度は、「パッセンンジャー4」というお迎え用の停車場を見つける。もうここしかないと思い、30分以上待つ。15分が経過したところで、もう一度、ホテルに電話し、「パッセンジャー4」で良いかを確認。「おお、そうだ」という。確かに、お迎えの車は来ているし、向こうにはマリオットのシャトルも来ていた。もう、ここしかないと、30分待つが全く来ない。
そうなると、イライラというか疲れから待っているのが嫌になって、タクシーに乗ることにする。タクシーの場合、ぼったくりがあるので、空港では、事前に場所を係員に告げると、値段を教えてくれる。しかも、そのレシートをくれて、運転手に渡すということになる。これで、運転手はおいそれとぼったくりすることができなくなる。
ホテルまで、16ドル。乗ってみた感想は、16ドルでも高いような気がするが、シャトルバスに振られ、傷心気味の僕にとっては、16ドルでも温かく感じた。
タクシーを降りると、運転手が荷物を降ろしてくれる。まあ、本来は、チップは10%から15%程度であるから、1ドルぐらいで良いかなというところであるが、荷物を降ろしてくれたしということで、20ドル払い、2ドル返してくれと言った。つまり、2ドルはチップである。しかし、運転手は釣りを返そうとせず、2ドル返してというと、「チップ!チップ!」と怒鳴った。だから、2ドルはチップなんだと言っても、釣りを返そうとしない。飛行機が遅れたのと、シャトルに振られたことも手伝って、なんだか、このまま言い争っても非生産的なので、もういい、ということにした。結局、4ドルのチップである。40%もの大盤振る舞いである。
ホテルのフロントの受付に行って、チェックインしようと話を進めていると、フロントの電話がなる。フロントの男性は電話に出て、話し込む。こちらは無視されているので、腹が立つ。そして、もう一人のフロントの男性も電話していたが、その電話が終わり、そちらに回される。
やっと、部屋が決まり、行ってみると、その部屋は、すでに誰かがチェックインしているようだった。つまり、ダブルブッキングである。すぐにフロントに行き、抗議をして、新しい部屋を用意してもらう。
なんだか、飛行機が遅れからいいことないなぁ、と思いつつ、疲れが出てきて、そのまま寝てしまう。
朝6時20分の飛行機で、クリーブランド経由でMadisonまで行きます。New Havenで見たニュースでもやっていたんですが、米国の搭乗前の荷物検査は厳しくなっていて、時間がかかるとのことで、朝4時40分にはホテルをチェックアウトする。昨日は、歩いての予行練習をしたが、ちょうどシャトルバスがあるようなので、ホテルからシャトルバスを利用することにする。
5時前には、ゲートに着いたので余裕かなと思っていたところ、やはり搭乗ゲート前で引っかかる。米国では、靴を脱いで、上着も脱ぐ。全ての貴金属類を手放しゲートを通ろうとすると、特に音がしない。無事に通過かと思いきや、係員のおじさんが、ニコっとしたのを、僕は見逃さなかった。
僕は、進もうとするが、おじさんに止められる。そのうち、「こっちに来い」と明らかに精密検査のところに連れて行かれる。まず、何かの容疑者のように、ボディチェック。手を伸ばし、すべてチェック棒で身体を触れられる。その間に、僕の荷物は、漁港で水揚げされた魚たちのように、細かくチェックされる。鍵をかけている部分があったので、係員が鍵はどこだと聞いてくる。僕は、ボディチェックの最中なので、リュックの中だと言ったが、「up to you」と言ってきた。このとき、断れば、鞄の中は見られないかもしれない。しかし、僕は小心者の正直者だと自負しているので、鍵の場所を知らせる。リュックの中の鍵をとろうと、僕は手を伸ばすと、係員のおじさんが僕の手を跳ねのける。いやいや、自爆テロなんてしないって。
指差しで、鍵の場所を教えて、鍵を開けさせる。鞄の中に入っていた、「特命係長只野仁」と「整形美人」のDVDを見て、女性係員が、くすっと笑ったのも見逃さなかった。
僕はふんだりけったりで、米国で飛行機に乗るのが鬱になる症候群。
はあぁとためいきをしつつ、空港の外では夜が明ける。
飛行機は定刻で離陸。敢えて徹夜した僕は飛行機が離陸後、そのまま寝てしまう。三席を独占したのは初めてだったので、少し自慢げに、足を伸ばして寝る。そのおかげで、機内サービス、サービスといっても、飲み物とビーナッツをくれるだけだけど、それにありつけない。
まず、クリーブランドに着いて、トランジットに1時間。朝食は当然食べていないので、お腹 がすき、スターバックスでパンを買う。コーヒーも買おうかと思っていたのだが、並んでいたのと、パンを要求したところ、店員さんが次の客のオーダーを聞き始めたので、僕はそれ以上の注文ができなかった。何度も繰り返すけれど、僕は小心者なのである。
クリーブランドからは、セスナのような40人乗りの飛行機でMadisonへ。このとき、僕はまだMadisonとクリーブランドに時差があることを知らず、30分で着いちゃうんだとか思っている。
飛行機離陸。15分ぐらいしたら、飲み物とピーナッツのサービスが始まる。僕は30分で着くのに、このアテンダントさん(小太りの男の人。でも、なかなか仕事ができる感じ。)は、着陸態勢に入りつつもがんばるのだろうかと他人事ながら心配してしまう。でも、その心配は杞憂で、いつのまにか時刻が一時間戻っていて、まだまだ飛行機は飛び続ける。結局、早めに着いて、1時間程度飛行。つまり、クリーブランドを出た時間にマディソンにつくという感じとなった。
マディソンの空港には池上さんが迎えに来てくださった。今夜は、池上さんの家に泊めていただく予定です。まず、車で、池上さんの家に行き、荷物を置いた後、車でWisconsin大学に行く。
車で、Wisconsin大学を回り、池上さんの研究室にお邪魔する。農業経済学研究科の建物を見学させていただく。そして、マディソンの繁華街で、昼食を食べる。昼食は、地中海料理。とくにアルジェリアとかその辺の料理で、僕はベジタリアン風クスクスを食べる。クスクスの量は多くて食べきれず。
昼食後に、少し車で走って、スターバックスへ。スターバックスでコーヒーを飲んだ後、少し街を見せていただき、湖へ。マディソンは湖に囲まれた土地のようである。
その後、大学に戻り、しばし作業をさせていただく。そして、夕食は日本で言うところのファミリーレストランへ行き、スペアリブを食べる。
夕食後、お酒を飲もうということで、バーに行く。まずは大学の施設とのことだが、湖にある広場へ。そこで、なんとビールとか軽いおつまみが売られていて、大学生がたくさん集まっている。湖の夕焼けを見ながら、ビールを飲む。その後も、少しブラブラとして、池上さんの家に戻り、シャワーを追え、横になった瞬間に寝てしまう。次に起きたのは、もう朝だった。
朝起きると、鞄の鍵が壊されていることに気が付く。空港の荷物チェックの素晴らしい成果である。
今朝は、少し遅めに起きてみる。10時過ぎにホテルの部屋を出て、とりあえず、翌日の朝の飛行機は6時20分なので、一通りチェックインまでの工程を予行練習してみる。ホテルからターミナルまで歩いていけるので、時計を見ながら、チェック。
空港で、お金を両替する。実は、JCBのカードは持っているのであるが、米国ではほとんど使用できないことが判明。そうこうしているうちに、現金も残り少なくなり、日本円を米ドルに両替する。
空港からボストン市内までは、地下鉄で移動できる。福岡空港と福岡市内の近さではないが、かなり便利である。日本の成田や羽田に比べれば、かなり便が良い。
地下鉄で、Harvardスクウェアの次の駅のポータースクウェアまで行き、用事をひとつ済ませる。ポータースクウェアは、日本人の方が多く住まわれており、日本のものが売られていたりする。懐かしさのあまりお茶を購入し、一気飲み。
ポータースクウェアからHarvardスクウェアまで歩いて移動する。徐々にHarvard大学の街並みに入っていく。
Harvardスクウェアで、本屋さんに行く。各大学の書店にもあったが、「うちの大学の先生が書いた本」コーナー。有名人ばかりなので、Harvardの凄さを改めて感じる。本屋さんを一通り見た後は、少し川沿いまで散歩し、宮島先生と待ち合わせの場所に向かう。
宮島先生にお会いして、レキシントンなど、ボストン茶会事件の後、イギリス軍と植民地軍との衝突があった史跡をご案内いただく。こうした史跡を回り、歴史が心に響き、そして感慨深いものを感じる。当時の人々は、何を考え、何をこの同じ場所でしていたのだろうか。そんなことを考えながら、大変感動をする。
宮島先生に近くの地下鉄の駅まで、お送りいただき、その後、ボストン市内で地下鉄を降り、ボストンコモンズを経由して、ガバメントセンターまで散歩する。ボストンコモンズでは、マラソン大会のようなものの準備がなされていた。
ガバメントセンターから地下鉄で空港に戻り、その夜は、翌日が早いので、寝ないようにする。夜テレビを見ていると、the west wingのジョシュ・ライマン役のブラッドリー・ウィットフォードがトーク番組に出演していたので、それを見ることにする。
そして、夜が明ける。。。
浜田先生と朝8時に出発のお約束をしていたので、6時30分頃に起床する。
シャワーを浴び、そして部屋の片付けをする。テレビをつけ、朝のニュースを見ながら、浜田先生をお待ちする。
浜田先生が、8時に迎えに来てくださり、そのままYale大学に行く。
Yale大学は、George Mason大学とは雰囲気が違って、ニューイングランドの面影を強く感じた。George Mason大学は、大学があって、近くに住宅地があるという、日本でいえば、八王子のようなものだろうか。もっと言えば、イメージ的には中央大学に近いかもしれない。距離感は、Washington D.C.を東京駅とするとだいたい世田谷区ぐらいの距離である。八王子までは離れていないので、少し違うか。
Yale大学は、街と大学が完全に融合している。つまり、大学が街であり、街が大学である。New Havenの街の中心がYale大学なのである。
Yale大学構内、つまり街の中を2時間ほど歩き回る。その後、浜田先生のご紹介で、東京大学からサヴァティカルでYaleにお越しになっている清水先生とディスカッションをする機会を頂く。
清水先生とは、1時間半ほど、研究のことなどについて、いろいろとご示唆をいただいてから、Yaleをご案内いただいた。図書館の中やLaw Schoolなど、実際に入ってみることができた。
清水先生とお別れしてから、浜田先生の研究室に戻り、浜田先生のお仕事が終わるのを待つ。
16時前に、浜田先生がNew Havenまで車で送ってくださった。
New Havenでは、16時30分頃のBoston行きの電車に乗るつもりであったが、そもそも時刻表の読み違えで、その15時15分か17時30分ぐらいの電車しかなかった。駅には16時頃に着いたのであるが、15時45分の電車が1時間15分程度遅れており、ラッキーと思っていたら、さらに30分ほどの遅れとなったということが、掲示板に記載される。
そこで、駅のベンチで電車を待つことにする。しかし、17時になっても17時30分になっても一向に電車が来る気配はない。駅全体の雰囲気として、イライラ感が漂う。
ようやく、17時40分頃、駅員さんが口頭で、Boston行きの電車のトラックが発表され、待っていた人々が一斉に動き出す。ホームで5分程度待たされ、ようやくBoston行きの電車に乗ることができた。
Bostonまでは、2時間30分程度の電車の旅である。車窓には、大西洋が広がり、New Englandの歴史を感じ、心の中に何かジワーとする感情が湧きあがる。
20時30分前にBostonに到着。薄暗い中、タクシーに乗り、ローガン空港に向かう。Bostonでのホテルはローガン空港近くに予約してある。
ホテルに着き次第、翌日、お会いする予定の宮島先生と土屋さんに電話をする。土屋さんは、翌日、Bostonを離れるご予定になっていて、会えるのは、この夜しかないため、タクシーに乗り込み、ケンブリッジに向かう。
ケンブリッジの土屋さんの部屋で1時間30分程度、お話をし、Harvardスクウェア近くのバーで夕食を取る。その後、Harvard大学内を歩き、ケネディスクールなども見つつ、川沿いを歩き、土屋さんの家に戻る。
土屋さんにタクシーを呼んでもらい、ホテルに戻ろうとする。
途中まで、タクシーは順調に走っていたのだが、空港までの高速道路が封鎖されている。運転手が、ぶつぶつ文句を言い、イライラして、「クレイジー」とか叫んでいるのだが、こちらとしては、無事に到着できれば良くて、もし到着できないのであれば、違う方法を考えるだけであるので、運転手に比べて、非常に冷静になる。
空港への道は、3箇所か4箇所ぐらいアタックするが、全て封鎖されている。看板も立っていないので、封鎖されている理由もわからない。運転手はさらにイライラする。こちらは、それを反比例するように冷静になる。
まあ、「鍵」をなくしたことで、こちらとしては度胸は身についているようである。このエッセイのネタになるかなと、心の中ではトラブルを喜んでいたりした。
最後の道で、ようやく空港に近づくことができる。運転手は少し余裕綽綽になり、すこし自慢気になる。
泊まっているホテルが見えて、こちらとしては、ようやく部屋で休めると思っていたら、タクシーはホテルを通り過ぎ、どこか違うところに行きそうになる。
僕は「戻れ」と言った。「あそこがホテルだ。ユーターンだ」と。
タクシーは、しぶしぶ、高速道路の上でユーターンする。運転手は、ホテルの行き方がわからない。また、イライラしそうになる。
運転手は、「早く家に帰りたい」と、言い出す始末。
話していてもラチがあかないので、高速道路の上で降りて、ホテルまで歩くことにする。
タクシーの運転手は、帰るのに、4ドルかかると要求してくる。空港から都市につながるトンネル代金である。本来であれば、そんなの経費の一部なのだから、タクシー会社が払えばいいと思うが、そういう交渉をするのも疲れたので、4ドル払う。その後、高速道路を歩いて、ホテルまでたどり着く。
朝目覚めて、シャワーを浴びる。その後、朝食を食べに街に出る。陽射しが暑い。夏のようだ。天気予報では、雨のような感じであったが、とても良い天気であった。フードストアで水とりんごジュースを買う。そして、近くのお店に入って、BLTサンドとアイスティーを注文する。
街並みは、ニューイングランド的なとても素晴らしい街並みである。中心に教会があり、その周りに街ができている。
昼過ぎから、浜田先生に博士論文について、ご指導をいただく。
夜は、村上春樹の『ダンスダンスダンス』を読み終わり、その後、「特命係長只野仁」のDVDを鑑賞後、就寝する。
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