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策士、策におぼれる

策士、策におぼれる

策略のうまい人間は自分の策略に頼りすぎて、かえって失敗する。 (excite辞書より)

なぜ、策士は策におぼれるのか。その可能性を考えてみた。

1.基本戦略がないから
2.結局、木を見て森が見れていないから
3.自信過剰なところから、実は詰めが甘かったりするから

1.基本戦略がないから」というのは、その策士に、絶対的な哲学、理念、思想がない、ということである。大きな基本戦略が初志貫徹されていることが重要である。それが信頼性につながる。

例えば、蜀の諸葛亮孔明には、「天下三分の計」というグランドデザインの中で、何段階かの戦略を形成してきた。第1段階目は、とにかく「生き延びる」こと第2段階目は、「基盤を持つ」こと第3段階目は、「中原の回復」。「天下三分の計」は、魏、呉、蜀の三国で天下を分け合うことが最終目標ではなく、最終目標は、劉備が天下統一を成し得た上で、漢王朝の再建に伴う秩序回復にある。ここがポイントである。それを実現するためには、劉備の現状はあまりにも過酷な状況にあった。荊州では支配者としてではなく、客分扱いで、領地を宛がわれているだけにすぎない。すなわち、天下統一の基盤もなく、明日をもの命かもしれないという極限状態であった。このその極限状態を脱し、基盤整備を行った上でなければ、天下統一の土俵すら乗れていないという認識である。

諸葛孔明の戦略は、赤壁の戦いにしろ、何にしろ、五丈原で亡くなるまで、この基本戦略から外れることはなかった。そのことによって、ひとつひとつの策すべてに、なんのための策かという説明が付けられるから、大きな策の失敗が生じなかったと言える。

ついでに言っておくと、諸葛孔明は、どちらかというと、危機管理の手腕に長けていたと思う。劉備軍は、負け続けている。積極的に成功したと言えるは、荊州南部を併合したとき、蜀を得たとき、そして南蛮の安定化ぐらいだろう。その他は、すべて最終的には負けている。赤壁の戦いも、劉備軍にとっては「生き延びる」ための危機管理に過ぎない。また、夷陵の戦いでも、その危機管理の手腕は見事である。

そういう意味では、現代で言えば、諸葛亮孔明は、「持続的経営」のプロだと言えるかも知れない。すなわち、景気後退局面において、会社を継続し、成長させることのできる社長ということだろう。その意味では、現在の経済状況に求められる首相像なり社長像だと思う。その意味では、「レッドクリフ」が上映されているのには、何らかの偶然を感じる。

2.結局、木を見て森が見れていないから」、目先の対応だけを考えていると、全体の中ではおかしな戦略になってしまって、失敗をするというパターンがこれだろう。企業が目先の利益を考えて、将来への投資をやめてしまうということは、実は長期的な成長戦略を捨てていることになる。そうすると、現在を乗り切れても、将来の競争力を失う可能性がある。トヨタは、環境技術の点で、長期的な成長戦略を辛抱しながらも続けたことが、その後の繁栄を得ることにつながったともいえる。苦しくても、縮小均衡になるような選択はしない、という、最後は意志なり気概が必要かもしれない。

その意味では、長期的な戦略の中で、ちゃんと短期的な戦略を位置づけられているのか、ということが重要で、一貫性のない場当たり的な対策は、実は、自らの首を絞めることになりかねないのである。

3.自信過剰なところから、実は詰めが甘かったりするから」は、典型的な「策士、策におぼれる」パターンかもしれない。自分の策に自信があり過ぎて、細かいチェック(確認)や、自分の思い描いたストーリーを自己批判することなく実施することで、ミスをしてしまう、ということである。その上、策は手段であるが、策自体が目的化してしまう、つまり、策を弄することで、ある種の達成感的な快楽を得ることが目的となり、それは、脳内のドーパミンの分泌量を増やすことになる。そのため、実は冷静さ、客観性を失っていたりするのである。
だからこそ、自分の近くに、自分に建設的な意見を述べてくれるような信頼できる人がいてくれるということが重要になる。人間は弱い存在なので、自分を見失うことがあるが、そんなときに、自分を取り戻させてくれる。

劉備玄徳にとっての諸葛亮孔明もそういう関係であるし、「泣いて馬謖を斬る」の格言で知られる馬謖は、諸葛亮孔明にとっては、そのような存在であったと思う。馬謖は、参謀としては優秀であったが、街亭で王平の助言を聞かなかったことによって、「策士、策におぼれてしまう」ことを考えると、指揮官としての能力は低かったと言えるかも知れない。(浦和レッズのゲルト・エンゲルス監督もそういうタイプかもしれない)

泣いて馬謖を斬る情として処分するに惜しい人物であっても、違反があったときには全体の統制を保つために処分する。(excite辞書より)】

要するに、策士が策におぼれないためには、基本戦略を持ち、場当たり的ではなく、長期的利益と短期的利益のバランスを考え、冷静に客観的に戦略を立案し、遂行することができる能力が求められるのではないかと思う。その点で、やはり諸葛亮孔明は、その能力に長け、蜀のマネジメントに成功したと言える。

ここから言うと、麻生首相は、「策士、策におぼれる」可能性が高い。この3点、すべてを満たしていないように思える。「給付金」についても、二転三転し、その迷走ぶりには、もう、「給付金」を出しても、選挙対策には意味がない、もっと言えば、麻生首相にとっては、マイナスであったと言えるかも知れない。

そもそも、財源をしっかりと明記し、予算制約の中で「給付金」の制度設計し、完全に詰めてから、発表するべきであるのに、選挙を意識したのか、まず大見得を切ってしまって、徐々にトーンダウン。最悪のマネジメントパターンである。信頼を得るためには、「やるといったら、やる」というところが、必要なのに、と思う。

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