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滅びの美学

滅びにこそ、美学はあるかもしれない。もちろん、「滅ぶ」ことが美しいのではない。「滅ぶこと」の「覚悟」にこそ、美しさがあるのではないかと思う。そして、「花の散り方」である。人間には、いずれ、必ず「死」がやってくる。永遠は存在しない。かならず「滅ぶ」のである。それならば、戦わずして、座して死を待つより、覚悟を決めて戦うことを選択した方が美しいのではないか。

幕末でいえば、土方歳三的な生き方である。なぜ、司馬遼太郎は、「燃えよ剣」の主人公を、近藤勇ではなく、土方歳三にしたのか。その答えが、土方に込められた「覚悟」に美しさがあるからではないか。もちろん、覚悟の上、生き残り、全てのギルティを背負い込むということも、ひとつの「覚悟」であり、「美学」である。全てを引き受けるということは、選択を支持しない側からの暗殺の危険性さえある。

司馬遼太郎の幕末小説の主人公は、勝者だけではない。もちろん、幕末に、誰が勝者なのか、といえば、誰も勝者ではないかもしれない。少なからず、多くの志士たちは、志半ばにして散っているか、表舞台から去っている。

三国志であれば、なぜ諸葛亮孔明は、最期まで、魏への侵攻を続けたのか。そして、五丈原で最期を迎えなければならなかったのか。

これから、再び、乱世の時代がやってくる。今までのあらゆる常識は通じなくなるかもしれない。少なくとも、経済のルールは変わったし、政治のルールも変わってきている。中長期的なタームで動乱が起きる。

その中で、器用な生き方をするよりは、「覚悟」を決めて、自分の「美学」を貫徹する方が、少なくとも、この時代に、気持ちの良い生き方なのではないかと思う。

人間は、必ずしも宿命を持っている。生きてきた意味を与えられているのである。

「滅びても、なお、生きる」である。

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