もうひとりの恋人
僕は、空の上から、窓の外の暗闇を、ただ漠然と見下ろしていた。
静かにジャズの音色がイヤホンを通して聞こえてくる。昔、何度か聞いた覚えのある曲であったが、その曲名は思いだせなかった。
いま、僕は、なぜ、ここにいるのだろうか。
もちろん、この疑問は、存在論とか哲学的な疑問ではなくて、簡単なものである。つまり、「僕は、なぜ、この飛行機に乗っているのだろうか」という疑問である。
僕は、ほのかちゃんという女性のアドバイスに導かれ、そして、このシャルル・ド・ゴール行きの夜間飛行に身を委ねているのだ。
変化が訪れたのは、2週間前の金曜日であった。
僕の恋人(恋人という定義が定かではないから、もしかすると、彼女からすれば、恋人ではないと言うかもしれないけど)は、突然、僕の前から姿を消してしまったのであった。
その日から、今日までの2週間、僕にとっては不思議なことばかりが、僕の身の回りに起きたのであった。
そして、その身の回りに起きたことから、僕は、人間の尊厳、生きることの意味、死への畏怖、さまざまなことを学ぶのであった。
僕の恋人には、もうひとりの恋人がいた。それは、ずいぶん前から知っていることだ。僕は、そのことを知ったとき、意外と冷静であった。少なからず、そんなところだろうと、妙に納得をしてしまった部分もあった。今まで、不可解なことの謎が全て解けたような、少し晴れやかな気持ちを感じるほどであった。
もちろん、そうは言っても、悲しみとか嫉妬とか、そういう負の感情が全く無かったというわけでもなかった。しかし、不思議ながら、怒りとかそういう感情は生じなかった。
たぶん、僕が、なぜ、パリ行きの飛行機に乗っているのか、そして、最終目的地であるブリュッセルに向かっているのか、という話をするためには、少なくともこの2週間の時間は遡らないといけないだろう。
あの朝、彼女は、僕が朝食用に作った朝食用のトーストとサラダ、そして、一匹の猫を残して、突然、姿を消してしまったのであった。猫の名前は、ユキと言った。ユキという名前は、後から気が付いたのだが、彼女のもうひとりの恋人の名前であった。
つまり、彼女は、彼女のもうひとりの恋人である幸雄と、僕と一緒にいるときに横にいる猫のユキと、いずれにしても、もうひとりの恋人とずっと一緒にいたことになる。少なくとも、気持ちは、僕には向いてはいなくて、人間か猫かという違いはあるにしろ、いつもユキという男に向いていたということになる。
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