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岐阜市の行政改革

今日は、岐阜市の方に、岐阜市の行政改革の現状と保育園の民営化に関して、お話をお聞きした。
岐阜市の細江茂光市長には、何度かお会いし、お世話になっているが、細江市長が就任以来、行政改革は進み、黒字化が実現しているようである。また、組織のフラット化についても興味深かった。というのは、課長補佐、次長などを廃止して、部、室、グループに再編成し、予算は部ごとに、部長は部内の人事権、室長はグループに関する人事権を委譲されているということである。これによって、意思決定のスピード化と責任の明確化を図ることができている。

また、研究会後は、いろいろな雑談をお聞きしました。岐阜県というのは、人口で見たとき、日本の重心になるそうであり、交通の要所でもあり、戦略上、かなり重要なポイントであるとのこと。壬申の乱も関ヶ原近辺で行われたとのことで、関ヶ原という場所は、やはり戦略上の要所なのだろう。石田三成が大垣城を捨て、関ヶ原に向かった点についても話題となった。もし、石田三成が大垣城で、徳川家康を迎え撃っていたら、もしかすると歴史は変わっていたかもしれない。いやいや、関ヶ原の戦いも、軍事専門家から言わせれば、東軍が絶対に勝てない戦いである。布陣を見て、セオリー的に考えれば、西軍が負ける要素はない。ここが、やはり軍略の面白さであろう。ひとつ、碁石が逆になれば、すべての戦局があっという間、転換してしまう。これが軍略家の醍醐味でもある。

いまの岐阜市の中心街は、江戸時代には、尾張藩に属していた。つまり、御三家が直接治めていたわけである。さらに、尾張藩に属していない岐阜市のあたりは、奥平氏が治めていた。奥平氏は、徳川家とは親戚である。すなわち、江戸幕府は、この地をほぼ直接的に支配していたわけであるが、これは、やはり戦略上の要衝であったからということである。

確かに、陸路で東京から大阪に進軍するとすれば、東海道を西進し、大垣超えか伊吹超えというところだろう。北国街道から回りこむというのは、兵站なども考慮に入れれば、その選択肢は、あまり考えられない。東海道から行くとしても甲州街道‐中山道から行くとしても、いずれにしても美濃を通過する必要性がある。

逆に、陸路で大阪から東京に進軍をするとすれば、やはり、第一次会戦は大垣、第二次会戦は、箱根山、甲府ということになるだろうか。個人的には、東海道方面に関しては、箱根山がポイントとなり、甲州街道方面に関しては、甲府、奥多摩湖・高尾山がポイントになるだろうか。

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