さて、コンラッド東京の「ゴードンラムゼイ」に、「ちょっと行って」みました。フレンチ料理のお店です。
あまり、大きな声では言えないのですが、ぼくは、フレンチは、あまり得意ではないんです。
その理由は、ジビエ料理が、あまり得意ではないというところにあります。ジビエ料理は、味が濃いので、好きな方は、この味の濃さが良いのではないかと思われるわけですが、ぼくは、ちょっと苦手です。
これまで、頂いたジブエ料理では、昨年末に青山で、エゾ鹿のお料理と、以前に、鴨肉でしょうか。
今回はコース料理のメインは、鴨か鯛でした。どちらかというと、魚よりも肉が好きなのですが、鴨よりは、ということで、鯛を注文しました。
お料理は、4皿だったような気がします。
フォワグラと鳩の胸肉の料理は、やはり、フォワグラの味が濃くて、なかなか苦戦しました。
そのあとの、海老などを交えたリゾットは、おいしかったですよ。
デザートは、2皿というのには、びっくりしました。
ゆったりとした時間を、フレンチで楽しみたい方には良いお店だと思います。
ちなみに、ぼくは禁酒中だったので、ワインは飲めず、ミネラルウォーターでした。
シャンパンやワインもおいしそうでした。
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本日、『群像』の新人文学賞に、「今夜、夢の中で君に出逢う」の完成版を応募しました。
自分で言うのもなんなのですが、あらためて読みなおしてみて、「今夜、夢の中で君に出逢う」は、ぼくの20年間の著作生活の中で、たぶん、最高の傑作です。(処女作を執筆したのは、小学校2年生のときで、1987年だったので、実は、今年、著作生活20周年を迎えておりました。←自分でも気が付いていなかった。)。
ということで、今回の応募は、著作生活20周年記念です。
結果は、来年の6月とのこと。
あらためて、もっと勉強をしないといけないな、と思いました。
ということで、来月には、いよいよ、博士論文も提出します。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
人間は、誰でも、この欲望を持っている。しかし、この欲望を、倫理観、道徳観というような内生的な制約、あたかも、スミシーズが自らの手足をマストの柱にくくりつけたような自制心と、外生的な制約の両方で、この欲望を抑制する。
人間社会における法律や制度、その他のルールとは、人間の弱さゆえに発展したものである。もし、すべての欲望が人間の内生的な制約で抑制することができるのであれば、外生的な制約は必要ない。しかし、人間は、往々にして、欲望が自らの内生的な制約を上回り、その欲望を実現させようとしてしまう。そのために、社会的な規律として、法律や制度が必要なのである。さらに、価値観が異なれば、制約すべき欲望も異なる。ある社会においては、認められる欲望も、別の社会においては認められないということは、たくさんある。もし、さまざまな価値観を持つ者が同じ社会に住まうとするならば、内生的な制約だけではなく、社会に住まう人々の間で明示的に合意された外生的な制約が必要となる。それが法律であり、制度であり、ルールなのである。これは、国家的な枠組みだけではなく、一般の家庭、すなわち、結婚生活の中でも同じことが言えるし、恋愛相手との関係の中でも同じことが言える。結婚にも恋愛にもセックスにもルールが必要な場合があるのである。
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「甥の嫁は、千野志麻(元フジテレビアナウンサー)」というのは、福田康夫総理。
「母親の父親は、岸信介」というのは、安倍晋三前総理で、「母親の父親は、吉田茂」というのが、麻生太郎前幹事長。そして、「父親の父親は、鳩山一郎」なのが、鳩山由紀夫民主党幹事長。その弟の鳩山邦夫法務大臣の「友人の友人は、アルカイダ」だったわけです。
mixiなどのSNSに見られるようなスモールワールド的な考え方をすれば、6ディグリーズということで、だいたい、「友人の友人の友人の友人の友人の友人」で、だいたい世界の人々とつながるらしい。政治家であれば、「知人の知人の知人」で、だいたい日本の人たちとだいたいつながれるでしょう。芸能界の人間関係図を見ていたりすると、これまた、すごいことになっているわけです。たとえば、「エビちゃん」こと市川海老蔵とかを中心に。
だから、鳩山大臣の「友人の友人」が「アルカイダ」というのは、理論上、ありえる話とは言えるわけですが、政治家の発言として、これは「アルカイナ?」(←アルカイダとかけてみました。)。
少なくとも、メークセンスな発言ではないですよね。しかも、いま、まさに、テロ対策の給油新法で、国会の審議が大変なとき(もしかすると、事故的解散にもなってしまうかもしれないとき)、しかも、その件で、党首会談をしようという前日に、これは、さすがに、「ナシ」でしょう。
柳沢さんの「生む機械」発言にしても、久間さんの「しようがない」発言にしても、やはり、言葉には慎重にはならないといけませんね。
問題は、バリ島の事件を事前に知っていて、その予防のための措置(外務省に教えるとか、インドネシア政府に伝えるとか)はしたのでしょうか。邦人保護の観点より、これを怠っているとすれば、日本の政治家として問題は深刻です。
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いま、僕が君に伝えたいこと。
それは、僕は、君が、確かに、心から好きだ、ということ。
僕は、君のことを、心から愛している、ということ。
僕は、君に、僕のそばにいてほしい、ということ。
僕は、君を失っては、生きてはいけない、ということ。
「アイシテイル」という言葉が、君に届きますように。
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「今夜、夢の中で君に出逢う」ですが、群像新人賞への応募用に、久し振りに修正をしました。完成版では、若干、ラストが変わり、また別なお話になっています。いよいよ、群像新人賞にチャレンジします。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「ありがとう。ハジメくんの気持ち嬉しいわ。私もハジメくんのこと好きよ」
言葉にすれば、たった33文字の短い返事だったが、僕にとっては、永遠に感じるほど、長い一言であった。そして、その言葉はゆっくりと、僕の中に侵食し、じわじわという感じで、僕を感動に包んだ。また、その言葉は、何度も、僕の耳の中で響き渡った。
その後、時間にすれば、一瞬ではあったが、僕には、とてつもなく長く感じる時間が、再び、やってきた。僕は、緊張をして、次の言葉を口にすることができなかった。結衣も、そのまま黙っていた。僕と結衣は、ひとつも言葉を交わすことなく、ただ、見つめあっていた。
僕の中では、恋愛感情とは全く異なる欲望が高まってきた。恋愛感情は、この欲望に対して、ふたつの効果がある。ひとつは、この欲望を抑制する効果。好きな人を傷つけてはいけない、もっと大切にしたい、その欲望を表面化させることで、嫌われたくないなどのメッセージをもって、欲望を抑制する。もうひとつは、この欲望を、あきらかに、確かに、増長させる効果である。この人が欲しいという情熱的な感情と相まって、この欲望を高まらせる。
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矢尾板俊平です。
ご好評をいただいております「矢尾板俊平のちょっと行ってみたいレストラン」、いよいよ、クリスマス&年末年始シーズンを目前に、いろいろなお店に、「ちょっと行ってみたい」と思います。
この企画、ある方に、バブル期の「東京いい店、やれる店」(いまは、携帯のコンテンツで配信中のようです。)に似ているね、というご指摘をいただきました。確かに、この企画の構想段階では、「ミシュラン」よりは、こちらの本の方が先に思い浮かびました。(←バブルの恩恵を直接的に受けられなかった世代なのに、なぜか、そういう本があるという情報だけロストジェネレーション。※(注)ロストジェネレーション:大人になれば、あんな遊びやこんな遊びがあるんだと、子供心的にわくわくしていたところ、大人になってみたら、全然、あんな遊びやこんな遊びができないという世代(←たぶん違います))。
バブル世代を見上げていた世代なので、なんとも、憧れのバブリー遊び。ということで、なんとも、「バブルへゴー!」は、なつかしくもあり、また、うらやましくもあり。
あと、似たようなものに、フジテレビの「めざにゅ~」の木曜日企画「東京!ランチ☆パラダイス」があります。こちらの企画は、杉崎美香キャスターがランチのお店に行くというものです。杉崎キャスターと行けるのであれば、どんなランチでも良いような気がします。
今後、行ってみたいお店は、こんな感じのお店だったりします。
・コンラッド東京 「ゴードンラムゼイ」 (フレンチ) :近日、「ちょっと行ってみる」予定
・小笠原伯爵邸 (スペイン料理)
・「とうふ屋うかい」 (日本料理)
・「八王子うかい亭」(鉄板焼き)
・「トゥールダルジャン」(フレンチ)
そういえば、金曜日の夜、神保町のラーメン二郎の脇を通ったら、行列ができていました。すごい人気ですね。
いまのところの1位は、新宿パークハイアット東京の「ニューヨークグリル」でしょうか。バーは悩むところではありますが、個人的には、恵比寿のウェスティン東京の「コンパスローズ」でしょうか。あとは、最近は行っていないのですが、インターコンチネンタル東京ベイの「サンセットラウンジ」も好きです。
(まあ、インターコンチネンタル東京ベイには、2003年の12月に、当時付き合っていた女の子とのある思い出があるので、それから、ほとんど足を運んでおりません)。
ただ、東京に限らずということであれば、ダントツの1位は、大阪リッツカールトンのバーでしょう。
そういえば、夜景では、名古屋マリオットアソシアとか大阪の阪急インターナショナルがきれいでした。マリオットアソシアでは、缶詰状態で原稿を書いて、ルームサービスで夕食を食べた記憶があります。淡路島のウェスティンホテルも楽しかったです。
こんど、国内外を含めて、「矢尾板俊平のやっぱり泊ってみたいホテル」という企画も始めようかな。
※これまでに泊ってきたホテル
(国内)
・インターコンチネンタル東京ベイ
・ハイアットリージェンシー東京(旧センチュリーハイアット)
・セレスティンホテル
・ホテルイースト21東京
・小田急センチュリーサザンタワー
・名古屋マリオットアソシア
・阪急インターナショナル
・ウェスティンホテル淡路島
(海外)
・ノボテル サイアムスクエア (タイ・バンコク)
・ノボテル ブリュッセル センター トラール ノアール (ベルギー・ブリュッセル)
・ウェスティンホテル ロスアンゼルス (米・ロスアンゼルス)
・ヒルトン ワシントンD.C. (米・ワシントンD.C.)
・ヒルトン ニューアーク (米・ニューヨーク)
・ヒルトン ボストン (米・ボストン)
・ヒルトン 上海 (中国・上海)
・ハワイ
・フロリダ
・新羅ホテル (韓国・ソウル)
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博士論文が終わったら、高野山金剛峯寺に行きたいと思っております。そして、山本勘助のように摩利支天の護符を授かりたいと思います。
あとは、大阪や富山の方に旅に出かけたいです。俗世間を離れ、温泉にゆっくりと浸かりながら、森羅万象の法、八紘一宇の理について、改めて、考えなおしたいと思います。このようなデタッチメントを経て、これまで学んできたことを、それを社会の役に立てられるように再構築したいと思っています。
また、これまで検討してきた理論的な課題についても、ゆっくりと検討を行いたいと思います。
道号は、昔から使っている「臥竜」。これは、諸葛亮孔明の道号です。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
海に着くと、僕と結衣は、浜辺に転がっていた大きな流木の上に座った。僕は、「白いワンピースだと汚れちゃうよ」と言うと、結衣は、「困ったわね」と言った。僕は、カバンの中に入っていたタオルを木の上に置き、「どうぞ、お嬢様」と言った。結衣は、微笑みながら、「ドラマみたいね。さすが、小説家ね」と、僕のことを小馬鹿にした。僕は、また少しムスっとすると、「ハジメくんって、優しいのね。それと本当に、かわいいわね。」と言った。僕は、なんだか悪い気はしなかった。
結衣が着ている白いワンピースは、太陽の光を反射させていた。そのため、結衣がとってもまぶしく映った。すると、結衣は、「さっき、あのお店を出たとき、変だったけど、どうしたの?」と聞いてきた。僕は、「すれちがったカップルの女の子、知っている人だったんだ」と答えた。結衣は、「あの援助交際風のカップル?」と言った。僕は、「吉田さんに言うべきことではないかもしれないけど、あの女の子は、中学校で同じ学年の女の子で、僕の初恋の女の子だったんだ」と答えた。結衣は、少し驚いた顔をして、少ししょんぼりとした。そして、「ハジメくん、もしかすると怒ってる?」と聞いた。僕は、「えっ?」と、少し驚きながら、聞き返した。「だって、初恋の女の子のこと、援助交際しているなんて、知らなかったとはいえ、ひどいわよね。ごめんね。」と言った。僕は、「そんな吉田さんが謝ることはないよ。そのことは、別に気にしていないし」と言った。結衣は、「でも、大切な想い出を踏みにじってしまったのは事実でしょう」と言った。
僕は、「初恋と言っても、あまり想い出はないよ。さらに言えば、彼女には、今は、何の気持はないし。だって、僕が好きなのは、吉田さんで、僕は、吉田さんのことを大切にしていたいんだ」と言った。僕は、その言葉を言った瞬間、「しまった」と思った。勢いに任せて、無意識のうちに、結衣に告白をしてしまったのであった。
結衣は、少し正面を向いて、無言で考え事をしていた。少し恥ずかしそうにしながら、そして、とても真面目な顔で。僕は、この恋が終わる覚悟をした。そして、結衣が何かを話し出すことを恐ろしく感じた。やがて、結衣は僕の方を向き、大きく息を吸った。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
電車の中で、僕は結衣と向かい合って座っていた。車窓の先には、徐々に海岸が見えてきた。結衣は、電車の窓を少し開けた。そうすると、潮風が電車の中に流れ込み、電車の走る音と波の音が聞こえてきた。結衣は、「気持ちいいわね」と言った。僕は、「僕もだよ」と返した。すると、結衣は、「つまんない」と言った。僕は、驚いていると、結衣は続けて、「もっと、芸術的な表現、文学的な表現はできないの?ハジメくんは、将来、小説家になるんでしょ。なら、「僕もだよ」なんて言わないで、もっと、面白いことを言ってよ」と、少し頬にえくぼを作りながら、結衣は微笑んだ。僕は、そのえくぼを憎らしく感じながら、愛しく想った。
「そうだなぁ」と言いながら、僕が考えていると、結衣は、「真面目に考えなくてもいいわよ。あなたって、本当に面白いわね」と言った。結衣は、僕のことをからかい、そして、馬鹿にしていたのであった。僕は、少し、腹を立ててムスっとしていると、結衣は、微笑みながら、「もしかして怒った?ごめんね」と言った。僕は、その笑顔に免じて、結衣を許すことにした。
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今夜、初めて、北川景子主演「モップガール」を見た。
なんとなく、テレビ朝日の金曜ナイトドラマの伝統的なノリだった。これに、お色気があれば、特命係長只野仁だが、それは、只野仁でしか無理だろう。
谷原章介は、なかなか微妙な演技をしており、今後の方向性としては、二枚目気取りの中身はコメディー路線で定着していくのではないかと思われる。今川義元役は、けっこう、はまっていたので、そっちの線も考えられるが、王様のブランチを見ている限りは、どうしても、コメディーが捨てられないと思う。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「ねえ、ハジメくん、今のカップル見た?」と、結衣は、僕に聞いてきた。結衣の目は、丸くなって、僕たちとすれ違った異様なカップルを見つめていた。結衣は、「きっと、あれが、最近、よく聞く援助交際というものではないかしら。ハジメくんは、どう思う?」と言った。僕は、呆然と言葉を失っていた。結衣は、僕の顔を興味本位に覗き込んできた。僕は、ようやく正気を取り戻し、山川さんの方は見ないようにして、結衣の手を引張り、「吉田さん、早く行こう」と言った。結衣は、「どうしたのよ」と言いながら、歩きだした。僕は、無意識のうちに、結衣の手を握り、そのまま駅の方向に向かっていった。結衣は、僕と手をつないでいることについては、何も言わず、少し恥ずかしそうにしていた。駅の切符売場に着いたとき、僕は結衣と手をつないでいたことに初めて気が付いた。そして、慌てて、「ごめん」と言って、手を離した。結衣は、微笑みながら、「いいのよ」と言った。僕は、その瞬間、「僕は、確かに、この女の子のことが、心から、好きなんだ」と思った。
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アメトーークを見ていたら、高橋克典さんがゲスト出演。
明日から「オトコの子育て」というドラマがテレビ朝日系列で始まります。
なかなか面白そうな番組であります。
ぜひ、特命係長只野仁の子育てを見てみたいと思います。
(現在の連載では、新水アナが妊娠して、結婚しそうな雰囲気ですし。)
高橋克典さんは、サラリーマン金太郎しかり、只野仁しかり、かなり、ハマると、長続きするので、がんばってほしいです。
只野仁は、来年あたりにドラマの第4シーズンでしょうか。そろそろ、映画化もアリかと思います。
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今日の「医龍」は、ガーゼオーマの摘出手術でした。
若い麻酔医の技能不足により、バッキングが発生。そこに、伊集院が麻酔の小高七海を連れてくる。
さて、大塚寧々演じる小高七海について、最後のシーンで、荒瀬が、なんとも意味深な発言をしていました。また、小高七海も、朝田に興味を持ち始めたようです。もしかすると、かなり凄腕の麻酔医なのでは??
最近、大塚寧々さんをドラマで見かけます。Dr.コトーにも出演していたし、HEROにも出演していました。なかなか、味のある演技で、ドラマ界では、かなり貴重な存在になってきたのではないでしょうか。HEROでもそうですが、不倫をしていたりとか、「ちょっと色気のある魅力的な大人の女性」という役どころが多いようですね。
大塚寧々さんのページ:
事務所のプロフィールページ、写真ページ
個人的に、最近、けっこう、お気に入りの女優さんであります。(→もちろん、昔、付き合っていた女性が、「大塚寧々に似ていると言われる」とよく言っていたからではありません。)
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
結衣は、「私は、お姉ちゃんの下宿に泊まれるけど、ハジメくんはどうするの?」と言った。僕は、確かに、東京に無料で泊まらせてもらえる場所はなかった。僕は、「なんとかなるよ」と答えるのが精いっぱいだった。
カプチーノを飲み終わると、結衣は、「ハジメくん、海を見に行かない?」と聞いてきた。ここから海までは、電車で30分ぐらいのところであった。僕は、「いいアイディアだね」と答え、カフェモカの残りを飲み干した。そして、僕たちは店を出ようとした。すると、僕たちと入れ替わりに、ひと組のカップルが店に入ってきた。そのカップルは、僕から見ると、とても異様に見えた。というのは、女の子は高校1年生なのだが、男性は30代後半ぐらいに見えたのだった。なぜ、その女の子が高校1年生だとわかったのか。それは、僕がよく知っている女の子であったからだ。僕は、その女の子と目が合った。その女の子が僕に気がつくと、僕に向けて瞬間的に微笑んだような気がした。僕は、目線をずらした。そして、僕は激しく動揺した。胸の鼓動は高鳴り、頭の中が真っ暗になり、そして、真白になったのであった。その女の子の名前は、山川容子と言い、僕が中学1年生の時に初めて会って、そのまま好きになった初恋の女の子であった。
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ある信仰の厚い男が、川のそばに住んでいた。あるとき、嵐が来て、川が増水した。
その信仰の厚い男の家に、友人が来て、「このままだと川が氾濫するから、早く逃げなさい」と言った。すると、男は、「私は、神を信仰し、神を愛している。神が私をお守りくださるだろう」と言って、その場を動かなかった。
時間が経ち、嵐は激しくなり、川はますます増水し、いよいよ氾濫しそうになった。川を警備する自警団の男が、信仰の厚い男の家にやってきて、「川が氾濫するから、逃げなさい」と言った。すると男は、「私は、神を信仰し、神を愛している。神が私をお守りくださるだろう」と言って、自警団の男を追い返した。
川が氾濫し、今にも、川は、信仰の厚い男の家を飲みこもうとした。周りは、すべて川に流され、家が川の真ん中に取り残された。レスキュー隊が、ヘリコプターで、信仰の厚い男を救助に行くと、その男は、「私は、神を信仰し、神を愛している。神が私をお守りくださるだろうから、救助は必要ない」と言って、救助を断った。
やがて、その男の家は、川に飲み込まれ、男も川に流され、死んだ。
信仰の厚い男が、天国に行くと、神に、こういった。「私は、これまで、ずっと、あなたを信仰し、規律を守り、そして、あなたを愛した。なぜ、あなたは、私を守ってくれなかったのか」。
すると、神は言った。「私は、あなたに、あなたの友人を差し向け、自警団の男を差し向け、そして、レスキュー隊まで差し向け、助けようとした。あなたは、それ以上、私に何を求めるのか」
このような話が、The West Wingの中で語られていた。
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Jリーグがスタートしたのは、ぼくが中学1年生のときだった。中学生の頃は、浦和市(現在のさいたま市)に住んでいたので、浦和レッズを応援していた。でも、浦和レッズは弱かった。いつも最下位争いをしていた。このころ、ぼくは初恋をした。
中学3年生のとき、テスト勉強をそっちのけで、米国W杯のアジア最終予選に釘付けだった。ハンス・オフトのチームは、ワールドカップの出場に手が届きかけていた。一戦一戦を恐る恐る見ていた。最終予選前に、中山が「勝ちたければ、俺を使え」と見栄を切っていた。そして、言葉通り、活躍していた。
イラク戦。誰もが、翌年、日本代表が米国に行くことを確信していた。そして、無情のゴール。いわゆる、ドーハの悲劇だ。でも、この経験があるから、いまの日本代表があると思う。誰かが言った。「神様がまだ早いと言っているんだよ」と。
高校3年生の夏休み、簿記の試験を受けるために、予備校に通う。都立の商業高校に通う、一つ年下のあの女の子と出会ったのは、このときだ。ぼくは、初めて、冒険をした。
この夏の話題は、マイアミで、五輪代表がブラジルを破ったことだった。翌年、岡田監督の日本代表は、フランス・ワールドカップへの切符をつかむ。
フランス・ワールドカップでは3敗した。そして、トルシエが日本にやってくる。
トルシエは、まず、ワールドユースで準優勝という結果を出す。そして、シドニー五輪へ。
シドニー五輪の準々決勝(米国戦)の日、ぼくは、一つ年下の彼女と付き合っているかどうか微妙な頃で、渋谷の町を歩いていた。東急の裏あたりの路地を歩いているとき、歓声が起きた。PKを外した瞬間だった。
トルシエが、日本をワールドカップ・ベスト16に導いた後、ジーコがやってきた。
そして、ジーコがドイツで敗れ、いま、オシムが監督をしている。
今日、浦和レッズがACLの決勝進出を決めた。ACLの前身の大会では、黄金時代のジュビロ磐田が優勝したことがあるが、ACLになってからは初めてだ。もし、ACLに優勝すれば、12月のトヨタカップにアジア王者として挑戦できる。浦和レッズに、福田正博はいないけど、Jリーグのスタート時は、最下位争いを演じ、一度は、J2に降格したチームがいよいよアジアの頂点に届きそうなところまで手を伸ばした。
これも、辛抱強い、長期的なクラブ強化の賜物である。アーセナルもそうだが、やはり、本当に強いクラブというのは、この点をしっかりとしている。
来年のJリーグには、ラモス監督に率いられたヴェルディも戻ってきそうだ。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
季節が春から夏に変わる頃に、自然と、僕は結衣のことを好きになっていたし、結衣も僕のことを好きになってくれたようであった。僕と結衣は、毎日、同じ電車に乗って、家に帰った。僕の方が先に電車を降りなければならないのであるが、わざと、自分の町の駅で降りることを忘れるふりをした。確信犯的に、電車を降りない回数は、僕が結衣と一緒に帰る日数が積み重なるたびに増えていった。
結衣は、僕が電車を降りるのを忘れたふりをすると、ケラケラと笑った。そして、「あなたって、面白いわね」とか、「あなたって、かわいいわね」と言った。僕は、結衣の笑いに合わせて、一緒に微笑んだ。
結衣と初めてデートしたのは、夏の初めだった。精一杯のおしゃれな洋服を着て、繁華街にあるカフェに行った。結衣は、カプチーノを注文し、僕は、カフェモカを注文した。僕と結衣は、運ばれてきたカフェモカとカプチーノを飲みながら、世間話を楽しんだ。学校の話、勉強の話、またお互いの家族の話をした。結衣は、東京の大学に入学したお姉さんがいると言った。結衣のお姉さんは、今年、東京にある大学に入学をして、東京で一人暮らしを始めた。引っ越しのときに、結衣も東京に行き、買い物をしたり、遊園地に遊びに行ったりした。それは、とても楽しいことだった、と、僕に話してくれた。僕は、こんど、一緒に、東京に遊びに行こうよ、と言うと、結衣は、嬉しそうな笑顔を見せた。
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いま、取りかかっている原稿を忘れぬように、メモしておきます。
(原稿)
・博士論文「知的財産権の公共選択分析」(11月上旬に提出予定)
・格差問題の原稿(→来年春-夏に出版予定)
・企業の不祥事問題の原稿(→掲載先は不明)
(報告)
・「2000年代の景気拡大の要因と日本経済のリスク」
・日本の対外政策に関する実証分析
いまのところ、こんな感じでしょうか。
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去年のクリスマスは、1日前の23日にお誘いをいただいた六本木でのクリスマスパーティーに参加。24日は、ひとりさびしくM-1を見ながら、原稿を書く。
昨年の年末年始は、仕事納めの日に、六本木の瀬里奈で会社の人と3人で鉄板焼きを食べるも、翌日から歯痛が始まる。年末に、米国の大学院に留学中の後輩の女の子が会いに来てくれて、丸ビルで豆腐料理を食べた。
その日は、夕方にレコード大賞があったので、30日。後輩を駅で見送り、東京駅の大丸で中華弁当を2種類買っていった。しかし、一緒に食べた相手は、あまり、お腹が空いていない様子で、結局、ぽつんとレコード大賞を見ながら中華弁当を食べる。みかんも食べつつ、絢香が新人賞を取ったところで大いに喜ぶと、遠くから冷やかな視線を感じた記憶。
そして、大みそかは、keyfunさんからメールがあり、鰻を食べに、歯の鎮痛剤を飲んで、銀座に行く。ただし、大みそかの夕方に、鰻屋さんが空いているわけもなく、2時間ほど、銀座の街を捜し歩いた後、鮨屋に入る。鮨を食べた後、300円バーで、飲んで解散。帰宅後、紅白を見ながら、年越しそばを食べる。1月3日頃に、ようやく歯痛がおさまってくる。
3月の誕生日には、フランスで買ってきたワインで、ワイン会。
春は、千鳥ヶ淵でお花見。
夏は、厚木でバーベキュー。
そして、湘南で、ささやかな海遊び。
このように考えると、なんとなく、運気が今年に入って、上昇してきているような気がします。今年の方が昨年よりも、いろいろと楽しい。
さて、秋と言えば、この数年は、京都で紅葉狩りをしていたわけですが、今年は、スケジュール調整の関係で、ちょっと難しそうです。でも、紅葉狩り行きたいなー。
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6年前からの夢がひとつ実現した。いま、こうして振り返ると、いろいろなことがあった。いろいろな想い出が、鮮やかに蘇ってくる。どんな形でということはわからないけど、これからも微力ながらも、改革の推進のお支えをすることができればと思う。
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EURO2008の予選落ちもかなり現実的となってきており、マクラーレン監督の更迭も避けられない様相になってきました。"footbalista"では、すでに一部のブックメイカーで、次期監督の予想を受け付け始めていることを報じています。それによると、1位は、ジョゼ・モウリーニョ(オッズ:3倍)、2位は、ルイス・フェリペ・スコラーリ(5倍)、3位がマーティン・オニール(6倍)とのこと。この他に、ヒディンク、カッペロ、リッピなども。
個人的には、ニューカッスルのアラーダイスという線もあるのではないかと思っています。
モウリーニョについては、次は、セリエAかブンデスリーガのあたりと言われており、代表監督を引き受けるとしたら、将来、ポルトガル代表だろう。モウリーニョは、クラブ向きだろう。これは、クラブ向きというのはカッペロにも言えることだろう。
フェリペは、EURO2008の結果次第のところもあるが、2010年までポルトガル代表監督を続けるのではないか。ただし、イングランド代表監督にも候補に挙がったことがあるので、電撃的な就任があるかもしれない。ポルトガル代表は、すでに、フェリペ・ファミリーになっているわけだが、はたして、イングランドで、その方法が成功するかどうかは難しい問題。
個人的には、モウリーニョには、日本に来てもらいたい。クラブなら浦和レッズの監督ではどうだろうか。(むしろ、モウリーニョを招へいできるほどの資金力を持つクラブは浦和レッズぐらい)。また、フェリペには、やっぱり日本代表監督になってもらいたい。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
高校に入ると、僕は、吉田結衣という女の子と同じクラスになり、同じ班になった。結衣は、隣の県から通ってきていた。私立高校では、中学校の時とは違い、元々のコミュニティというものは存在せず、すべての人間関係がゼロからスタートする環境にあった。もちろん、その高校のある市の中学校から進学をしてくる生徒も多いので、若干のコミュニティなりグループというものはあった。しかし、それは中学校の入学当初に感じたものに比べれば、断然、小さく、影響力が弱いものであった。僕は、そんな些細なことでも、風通しの良さに満足していた。
同じ班の結衣とは、最初は、お互いに恥じらいの気持ちを持っていた。僕からは、なかなか話しづらい感じがしたし、結衣もそのような感じであった。しかし、僕が中学生のときに、山川さんや竹内さんに感じた距離感は、なぜか結衣には感じなかった。お互いに、その学校で友人と呼べる友人がいなかったからかもしれない。わからないことがあれば、恥ずかしがりながら、僕は結衣に尋ね、結衣は、丁寧に教えてくれた。結衣も、僕に尋ね、僕は、心の中で嬉しさを隠しながら、僕の知っていることを結衣に伝えたのであった。
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22日に「安心できる社会保障・税制改革に関する政府・与党協議会」の初会合が開催された。
私は、政府・与党による「財政再建・構造改革会議」の設置を求めているので、それに向けて、一歩前進というところである。
次へのステップとしては、参議院の第1党である民主党にも協議の場に参加を促すということである。
それが、民主党の参議院で第1党となった責任でもある。批判だけではなく、建設的な協議を求めたい。
民主党の役割は、政府・与党との対決ではない。参議院の第1党として、チェック機能を果たすということが重要である。政争ではなく、政府・与党の提出する法案が、本当に国民のためになるのかどうかを、しっかりと参議院でチェックすることが国民が民主党に課した使命である。
そして、第3段階目として、協議会についての法的な根拠を示し、コミットメントの保証をするために、「財政再建・構造改革法(仮)」(財革新法)を、次期通常国会で提出することである。
「財政再建・構造改革法(仮)」(財革新法)は、2011年までの基礎的財政収支の黒字化を目標とした2008年から2012年までの5年間の時限立法とし、追加的な歳出の増加に対しては、他の歳出削減を求めるpay as you go原則を条件化する。昨日の日本経済新聞の編集委員コラムでは、pay as you go原則に関して、歳出削減もしくは増税によって新しい財源を見つける原則というような解説がなされているが、本来のpay as you go原則の趣旨からは考えると違和感のある説明である。本源的には、pay as you go原則とは、歳出削減をもって新しい歳出に対する財源とする原則であるべきである。pay as you go原則は、基本的には、歳出増加を抑制するための原則であるべきだからだ。そこに、増税も選択肢とするならば、その本源的な原則の価値を歪めることになろう。例えば、所得税や消費税増税など、国民にとって不人気となる税目については増税は難しいが、たばこ税などについては、比較的に簡単に増税する可能性がある。
すなわち、政治的に考えれば、pay as you go原則を入れたとしても、増税での対応を可能にすれば、追加的な歳出増加に対しては、たばこ税増税などで対応される可能性が高い。
もう一点は、現在、凍結されている「財政構造改革法」の最大の反省点となった景気弾力条項の問題である。新法では、この弾力条項を加える必要がある。
抜本的な税制改革は、2009年秋の政府税調中期答申でまとめられる可能性が高い。この答申を受けて、法案化
することを考えれば、早くても2010年の通常国会で税制改革法案が審議されることとなり、2011年の4月から新しい税制のスタートというスケジュールとなろう。この点を考えれば、抜本的税制改革は、財政健全化を2011年度に達成するという目標後のわが国財政の姿やわが国の社会の在り方をはっきりとイメージしながらの議論を行わなければならない。さらに、このタイムスケジュールから考えれば、2011年度の財政健全化の達成には、増税のオプションの幅は狭く、歳出削減を中心に行う必要性も求められる。そのためには、20兆円程度の歳出削減が必要となる。しかしながら、すでに決められている年金の国庫負担の増加を含め医療費などの社会保障関係費の歳出増加は避けられず、歳出増加の圧力も、選挙が近づけば近づくほど、政治問題化した格差問題の影響で増加するだろう。
すでに、「増税は嫌だ」、「でも」、「歳出削減も嫌だ」とは言えない状況である。
わが国の経済社会の持続可能性、社会保障の持続可能性を重要な政策的な価値と認識をするならば、まずは、
「歳出削減」か「増税」かという大人の選択をしなければならない。その選択には、今後の日本のあるべき姿をしっかりと考えておく必要もある。それは、米国型の自己責任型の社会の方向性を目指すのか、欧州型のある程度、セーフティーネットを持った社会の方向性を目指すのか、はたまた、全く別の道を目指すのか。
世界は、人口減少を迎えた日本の選択、日本国民の選択を注目をしている。
「歳出削減」か「増税」かは、誰でもない、われわれの選択である。
補足:個人的には、人口減少・高齢化社会にあっては、世代間の税負担の中立性を担保できるような消費税中心主義への抜本的税制改革が必要であると考えている。
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日本経済新聞で「模倣品防止国際条約、韓国など参加へ・経産相発表」が報じられた。条約作りに関しては、「知的財産推進計画2005」に盛り込まれており、「知的財産推進計画2005」の公表後に行われた英国でのサミットで、当時の小泉純一郎首相が提唱していたという経緯があり、日本国政府もその取組みに積極的である。
しかしである。私の分析では、海賊版対策に対し、条約などの国際的枠組みは、枠組みとしては重要であるが、実際に機能しない可能性を指摘している。制度的側面から考えれば、途上国が、こうした条約に参加するインセンティブを持っているかどうかである。この点において、途上国に対して、まずは条約に参加するインセンティブをどのように与えるか、という問題を検討する必要がある。もうひとつは、150カ国の参加を目標としているが、その分、意思決定におけるステークホルダーは拡大し、意思決定を困難にする可能性がある。すなわち、条約を妥結するためには、ある程度、許容範囲のある条約枠組みとなってしまう。この点については、強制力の面で、かなりの妥協が必要となろう。
このように、条約そのものの効力が低下することに加えて、各国の国内において、どれだけ効力を発揮するかもポイントである。この点については、私は実証分析を行ない、条約の効力は低く、各国の著作権制度に対する条約の制度的補完性は低いという結論を得ている。
それでは、どのような対策が有効なのか。この点についても、実証分析を行ない、有効な対策を説明している。一言で言えば、EPAやFTAなどの二カ国間通商レジームや国際協力を通じて、相手国に社会基盤や市場基盤の構造改革を求めることである。
これらの研究分析については、私の博士論文に収録される予定であり、後日、分析結果を公表したいと考えている。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
僕は、高校2年生の夏に、初めて女の子とセックスをした。相手は、弥生という名前の女性だった。僕よりも3つ年上で、僕が高校2年生のとき、彼女は、大学の2年生だった。彼女は、東京の大学に在学をしており、夏休みを利用して帰省していたのだった。
僕と彼女の関係は、なかなか厄介であった。厄介というか、説明するには、若干の背景なり言葉を補ったりする必要がある。重要な事実は、僕は弥生の彼氏ではなく、弥生は僕の彼女ではないということであった。しかし、僕と彼女の間では、何回もの性交が重ねられた。僕は、ベッドの上で、弥生を愛し、そして、弥生は、僕のことを、きっと愛していたはずだ。それがその瞬間だけの情熱としての愛情であったとしてもだ。
僕は中学校を卒業し、県内で中堅レベルの隣の市にある私立高校に進学した。進学先の高校に輝かしい夢や希望を抱くということはなかったが、陰鬱な中学生活に終止符を打てることは嬉しかった。中学生のときに恋をした山川さんや竹内さんにも、もう逢うことはないだろうし、なによりも、精神的・肉体的な嫌がらせから解放されることが喜ばしかった。
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今日、博士論文の指導をいただきに、大学に行きましたところ、石弘光先生(放送大学学長、元政府税制調査会会長)が特別講演のために、久し振りに、多摩キャンパスにお越しになっているとのことで、横山先生と一緒に特別講演「少子高齢社会とどう向き合うか」を聞きに行きました。
石先生の資料の中で、「会社に対する帰属意識に関する調査」の結果が盛り込まれておりました。WEB上では、平成15年10月7日政府税調基礎問題小委員会の資料の15枚目にあります。1995年と2000年を比べると、やはり帰属意識が落ちていますね。
この点で、企業がこれまで形成してきた「擬似的な家族共同体」が、徐々に薄れてきていると言えると思います。つまり、これまでの企業はある種のリスク機能だったわけですが、その機能は低下してきていると考えられます。この他に、社会のリスク機能としては、家族、地域社会というものがあるわけですが、現代において、こうしたリスク機能は低下してきていますね。
今後、このリスク機能を、誰が、どのように果たしていくのか、ということが、実は、少子高齢社会において、検討していくことが重要なのではないかと思いました。
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画像は、amazonから
最近、仕事をしながら聴いているCDは、松下奈緒の"poco A poco"です。前作"dolce"も合わせて聞いています。仕事をしているときは、どちらかというと、ピアノ曲とかクラシックを聴いていることが多いですね。疲れた時は、アヴェ・マリアとかです。(たまに、大塚愛のアルバムとかも聞いていますけど・・・)。
しかし、急に寒くなってきて、乾燥してきましたね。乾燥の影響で、土曜日は、のどの調子が悪く、アトピーの関係で、かゆみの症状が続いております。夏は夏で、気をつけないと、けっこう大変なんですが、冬も、なかなか大変です。
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神楽坂 串焼てっ平には、8月下旬に連れて行っていただきました。串焼きがおいしかった。神楽坂の隣の「金子坂」にあります。
Ristorante & Bar Pregoは、数年前に、お食事会で何回か使いました。値段もリーズナブルで、料理は、なかなかおいしゅうございます。このときのお食事会も、女性8名、男性4名ということで、皆様にご迷惑をおかけいたしました。m(_ _)m
ウルフギャング・パック・カフェ赤坂アークヒルズ店は、昼食会で一度利用したことがあります。あと、4年前に、なぜか、新宿から赤坂まで歩くことになり、そのゴールとなったのが、このお店でした。
最近、立ち寄っていないのが、東京ドームホテルの「アーティストカフェ」。当時、夜景とかは奇麗で、なかなかスマートに、リーズナブルに遊べるお店でした。
昔は、イタリアンのフルコースを食べるということだけでも、ドキドキしていたことを思い出しました。
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と、タイトルを書きながら、別に「衝撃」の大きさは小さいのですが、赤坂にある「箱庭」という店が閉店しまったのではないかという疑惑が出ております。首相官邸前にあって、料理・お酒ともども、おいしいお店で、こんど、仕事関係の親睦会で使おうかと調べたところ、WEBページが閉鎖されておりました。残念。。。
ということで、別のお店を探さなければ・・・。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
それから、竹内さんは、僕のことを無視し続けた。目も合わさないようにしていた。僕は、竹内さんに、「ごめん」という一言を伝えようと、何度も、竹内さんに話しかけようとしたが、竹内さんは僕を避け続けた。そして、4月になり、僕は中学3年生になった。クラス替えが行われて、竹内さんとは別のクラスとなった。僕は、2組となり、竹内さんは6組となった。教室も別の階となり、学校で顔を合わせることは、ほとんどなくなった。僕は、悲しく、そして寂しいと感じるとともに、少し安心した気持にもなった。
また、このクラス替えでは、山川さんは4組となった。今回も、2つ隣のクラスとなり、物理的な距離は変わらないままであった。もちろん、精神的な距離は、中学1年生の頃から比べようもないほど、遠くなってしまっていた。そして、今井美佳さんとは、再び、同じクラスとなった。
いま、中学生の頃を振り返ると、なぜ、女の子は男の子のことを呼び付けにするのだろうか。もちろん、「○○くん」と呼ぶ女の子はいるのだが、大抵の女の子は、「○○」と、苗字で呼び付けにした。まだ、例えば、「ハジメ」とか、名前で呼び付けにされるのであれば、親近感が持てるのだが、苗字で呼び付けにされるのは、あまり良い気持ちがしない。
もちろん、中学校2年生の冬に、僕が竹内さんにしてしまったことに原因があるのかもしれない。竹内さんにしてしまった行為によって、学校中の女の子たちの敵になってしまっていた可能性は実感として否定できない。
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-shumpei@blogでは、「今夜、夢の中で君に出逢う」、「半島のさき」に続く、連載小説の3作品目になります。他の作品との違いは、どのようなところなのでしょうか。
矢尾板:たぶん、最も大きな違いは、主人公の「僕」に名前が付いたことではないでしょうか。これは、大きな意味があると思います。
-どのような意味ですか?
矢尾板:あまり、自分の作品のことを、解説するのは嫌いなので、ご判断はお任せしますが、客観的に考えれば、今まで作品の視点が「僕」のひとつであったのが、名前を持つことによって、「僕」を客観的に見る視点というのが増えると思います。つまり、世界観が全く異なるということですね。僕自身は、ストーリーテーリングから、若干、別なところへの移行に挑戦したいと思ったのです。
-このお話のテーマはなんですか?
矢尾板:やはり、喪失感でしょうか。失うものの辛さみたいなこと、ある種のメランコリーをテーマとしているのは、前の2つと同じですね。この話の展開がどうなるのか、ぼくにもわからないわけですが、そろそろ、主人公が何かを得てもいいのではないかとも思います。「今夜、夢の中で君に出逢う」では、失い続けて、最後に何かを得ようとするところまでは行けたわけです。「半島のさき」は、最初から失い続けて、出口すら無くなってしまう。人間は、失うことで、成長する、ということを、よく思うわけですが、そろそろ、ひとつぐらい、何かを得ることがあっても良いのではないかと思います。ただ、得ることとは失うことであり、失うこととは得ることで、結局は、表裏一体、双対なわけですね。つまり、失った時に初めて気づくから遅いわけで、得た時に、もっと気がつかなければいけないと思います。
-確かに、何かを得ていないと失えないですね。
矢尾板:これまでも、主人公は、得ることができているんです。自分では認識をしていないだけで。たとえば、山川さんにも好かれているし、竹内さんにも好意を持たれている。他者からの好意に素直に答えられれば、ハジメは、大切なものを得ることがでているのです。でも、それに気が付いていないから、失ってしまう。
-主人公の「ハジメ」は、それに気がつくのでしょうか。
矢尾板:どうでしょうか。なかなか自分で理解するということって、難しいと思いますよ。
-このお話のモデルとかはあるのでしょうか。
矢尾板:一応、おぼろげなモデルとか、設定とかはあります。たとえば、中学校2年生の林間学校で骨折したというのは、実話です。なぜ、骨折したのかという理由も実話です。恥ずかしいことなのですが、当時は、なんか恰好を付けようとして、よせばいいのに、コースから外れて駆け降りてしまったんですよね。そしたら、ポキっと、きれいに折れました(笑)。小学生のときに、右腕を骨折したことがあって、瞬間的に、やっちゃったな、と思いました。レントゲンを見たら、本当にきれいに折れていました。子どものとき、けっこう怪我したり、扁桃腺が弱かったので、よく熱が出ていたりしたので、だいたい、怪我とか病気については、自分で、「これはまずいなー」とか、「これは、とりあえず、様子見てみよう」とかはわかりますね。
病院には、夕方運ばれて、夜に宿舎に戻ったんですね。場所は、志賀高原でした。5年前くらいに、真夜中に車で、志賀高原の付近を通ったら、道がそのままでね。そのとき、「あー、中学生のとき、宿舎のワンボックスカーで、このあたりを通ったなー」って思ったら、懐かしかったですね。
-デタッチメント的な作風が続いていますが。
矢尾板:ぼくにとって小説を書くということは、バランスなんですね。いつも、論文を書いたり、政策の勉強をしたりしていて、かなり、現実社会にコミットメントする方向性のベクトルが強いわけです。そのベクトルが強ければ強いほど、自分の中の欲求として、反対の方向のベクトル、つまり、デタッチメント的なベクトルへの欲求が高まってくるのです。仕事と趣味の両立という意味での「ワークライフバランス」というのも重要だと思うのですよね。仕事と趣味の両立って、かなり重要だと思います。また、そうすることで、視野が広がるということもあります。
-コミットメントの方向性の作品は書かないということですか?
矢尾板:全く可能性がないということは言いませんよ。将来的には、それはあるかもしれない。でも、いまは、コミットメントの方向性のベクトルでは、小説を書くよりも、論文を書いたり、さまざまなエッセイを書いた方が生産的ですね。ただ、やはり、作家としては、最終的には、「総合小説」を書きたいと思うのです。そのためには、どんな書き方が必要なのか、それをひとつずつ試していきたいとは思います。だから、新作を書くときは、常に「挑戦」ということがテーマですね。
-この作品は、日本で書く予定ですか?
矢尾板:今のところは、日本国内で書く予定です。「今夜、夢の中で君に出逢う」の一部は、米国で書いた。「半島のさき」は、東京で書きました。環境というのは、作品に大きな影響を持ちます。この作品については、執筆前に、欧州に行って来たわけで、米国とはまた違う空気を吸って来た影響が、どの程度出てくるか、というところですね。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
竹内さんの目には、徐々に、涙が溜まり始めた。そして、僕がうろたえている間に、その涙は目から溢れだし、竹内さんは、ハンカチを取り出して、涙を拭いていた。僕は、なぜ、竹内さんが涙を流しているのか、理解できなかった。しかし、理由は明白だった。僕が竹内さんに言った言葉が唯一の理由である。
僕は、「ごめん」と言って、竹内さんを抱き締めようとした。しかし、竹内さんは、
「いや」
と、僕の腕を払い、僕とは反対の方向を向いてしまった。
僕は、それでも、竹内さんを抱き締めたかった。竹内さんの肩の後ろの辺りから腕を回そうとした。そのとき、僕の手は、ふと、竹内さんの胸に触れた。竹内さんの胸は、とても柔らかい感触がした。竹内さんは、すかさず振り向き、平手で、僕の頬を叩いた。僕は、自分が意図的ではないにしろ行ってしまった行為を、一瞬、理解できなかった。竹内さんは、僕のことをとても強く睨めつけた。僕は、そのとき、竹内さんの笑顔もかわいらしいえくぼも、全てを失ってしまったのであった。
「あなたって、最低ね」
と、竹内さんは、涙を流し、僕のことを睨めつけながら言った。僕は、ただ立ちすくんでいた。
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このたび、世論調査を行うことにいたしました。
今回の質問は、下記の3点です。
Q1.衆議院選挙は、いつ行うべきだと思いますか?
Q2.消費税増税に賛成ですか?
Q3.テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案に賛成ですか?
投票は、10月31日までの予定です。
ご協力をお願い申し上げます。
Q1.衆議院選挙は、いつ行うべきだと思いますか?
Q2.消費税増税に賛成ですか?
Q3.テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案に賛成ですか?
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一昨日は、デモクラシーファンド研究センター(CSDF)で、写真撮影を行いました。(↑は、欠席者もいたので、全員の集合写真ではありません。)。
CSDFとは → こちらをクリック
CSDFメンバー → こちらをクリック
デモクラシーファンドとは → こちらをクリック
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
僕は、明らかに動揺をしていた。そして、深い後悔をしていた。なぜ、僕は、竹内さんを傷つけてしまうようなことを、わざわざ言ってしまったのだろうか。
僕は、一人っ子として育ってきた。だから、自分のペースを乱されることは嫌いだ。その反面、相手が持っているペースや価値観、考え方を推し量るということに慣れていない。だから、往々にして、僕は他人を傷つける。自分にとっては、大したことのない言葉・行為が、僕の知らない間に、他人を傷つけてしまう。何度も、こういう経験をしてきたはずなのに、僕は、さらに何度も繰り返してしまう。僕は、これまで多くの人たちを傷つけてきた。時間が経過してから、僕はその人たちを傷つけてしまったことに、ようやく気付く。そして、その行為に対する贖罪の気持ちによって自己嫌悪に陥る。そのとき、当然ながら、謝ることも人間関係を修復することもできない。
もうひとつ、僕の悪いところは、あまり素直ではないというところだ。もっと、素直に、相手に自分の気持ちを伝えることができれば、どれだけ素晴らしいことだろう、どんなに楽なことだろうと思う。自分の気持ちを伝えることができず、いつも苦しみ、その苦しみが、やがて、ストレスになる。そして、自分が意図せずとも、相手を傷つかせてしまうことになる。
いま、僕が竹内さんにしてしまった行為は、まさに、僕自身の最も悪い部分に基づいているのである。なぜ、もっと素直に、僕の気持ちを竹内さんに素直に伝えることができなかったのだろうか。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
冬が近づくある日の放課後、僕は、再び、教室で竹内さんと二人になった。今日は、演劇部の練習はお休みで、竹内さんは、これからテニス部の試合に応援に行くところだ、と言った。僕は、テニス部の畑野先輩に、激しく嫉妬した。
「竹内さん、君は、畑野先輩のことが好きなの?」
僕は、僕の中の嫉妬心が火を付けて、竹内さんのことを責めるような言い方で、思わず、この一言を口にしてしまったのであった。竹内さんは、驚いた表情を僕に見せた。
「なんで、ハジメくんは、そんなことを聞くの」
竹内さんは、僕のことを初めて、「ハジメ」という僕の名前で呼んだ。僕の胸は、竹内さんが発した「ハジメ」という自分の名前の発音が激しく響いた。その音は、僕の胸を前から後ろに突き抜け、僕は、その発音の響きの余韻に、激しく後悔の念を抱いた。なんで、こんなことを言ってしまったのだろうか、と。そして、僕は言葉を失った。
竹内さんは、僕のことを睨めつけた。竹内さんは、少し傷ついているようでもあった。なぜ、僕は竹内さんのことを傷つけてしまったのか、その原因は全くわからなかった。しかし、明らかな事実は、僕は、確実に、竹内さんを傷つけてしまったということだった。
僕と竹内さんは、お互いに視線を逸らし、静寂が二人を包んだ。僕は、この状況を打開するための最も良い方法を思いつかなかった。だから、ただ、その場に立ちすくむだけであった。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
季節は、秋から冬に移り変わろうとしていた。そのうち、テレビでは、街にクリスマスツリーが飾られたというニュースが流れるだろう。学校の掃除当番は、教室、廊下、トイレ、そして校庭の4つに分かれていて、週交代であった。この時期の校庭の掃除は、修行のようなものであった。掃いても掃いても、色づいた葉が落ちてくる。いくら、落ち葉を集めても、片付くことはない。だから、そもそも、落ち葉掃きなんて必要ないんじゃないかと思うのだが、掃除当番として決まっているからには、無駄でも、その役割をしなければならない。自分の判断なんて、そこには通用しないのである。
こうして考えると、学校教育とは、自己の判断を失わせるためには、非常に貢献していると思われる。つまり、自分で考えるという行為を、学校という社会にいる間は放棄できるのである。そして、それを、ごく自然のものとして受容させる。いつの間にか、人々は、支配されることに慣れ、それを当たり前のものにしてしまうのである。
今から考えれば、学校の先生の言っていたことで、良いこともあれば、悪いこともあった。今さらながら、振り返れば、今の僕の年齢よりも若い先生はたくさんいたのだ。だから、今の年齢から、当時の彼らを見れば、まだまだ未熟であったと思えることがたくさんある。
落ち葉掃きは、大人になるために乗り越えなければならない、大きなルール試練なのかもしれない。僕が足を骨折して、食べられなかった山頂のお弁当も、そうだったのかもしれない。異性に対する性的な興味が高まり、その欲望が理性的にコントロールできないこの時期の生徒たちにとって、いくら掃いても片付くことがない無限的な落ち葉掃除、機械的に山頂まで歩かされ、おいしいと洗脳されて食べるお弁当は、実にどれも、欲望を発散させ、大人たちが言う「健全な青少年育成」のために有効なプログラムなのかもしれない。いつのまにか、僕たちは「健全な青少年」の像をインプットされ、強制的にその像に向かわせられる。そこには、自分の判断というものは認められない。
もちろん、自分で判断をするということは責任も伴う。自由と規律、自由と責任、義務と権利は、双対的であるからこそ成り立つものなのである。どちらか一方が認められるということは決して許されない。
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さて、昨晩、2007年度のノーベル経済学賞の受賞者について速報をした。
Hurwicz、Maskin、Myerson、3氏の研究内容については、各新聞で報じられている。また、池田信夫氏のブログでも解説がなされている。
ちなみに、ぼくの現在の研究のテーマは、制度が市場の資源配分や所得分配の問題に対して、どのような影響を与えるのか、という問題に関心を持ち、制度を設定することで、資源配分状況や所得分配状況を歪めてしまう可能性を前提に、制度設計の在り方を検討すること、その制度選択過程において発生する経済的非効率性、制度のエンフォースメント問題における経済的非効率性の問題と3つのステージにおける制度と市場の関係についての考察である。このテーマについて、公共選択論のアプローチを使い、博士論文では知的財産制度の問題を事例に設定し、検討を行っている。
なお、合理的経済人の仮定に関しては、夏に指摘をいただいたように、限定合理性を前提に考えるべきであり、その点については、かなりモデルの拡張ができるのではないかと考えている。この点については、Caplanの"
The Myth of the Rational Voter"が参考になる。
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最近、お酒に弱くなったようなので、当分の間、お酒を控えることにいたします。
ただし、宴席には出席をいたしますので、禁酒中だからと言って、誘わないというさびしいことはしないでください。
ご理解とご協力のほど、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m (ぺこり)
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こんにちは、矢尾板俊平です。今日は、ジャズを聞きながら、ブログを書いています。
South of the BorderやFive Spot After Darkなどが流れています。この題名を見て、ピンときた方は、かなりのハルキマニアですね。そうです、いずれも、村上春樹作品に登場する曲です。
さて、今年のノーベル経済学賞は、Leonid Hurwicz、Eric S. Maskin、Roger B. Myersonの3名に決まったようです。授賞理由は、"for having laid the foundations of mechanism design theory"とのこと。
今年は、Oliver Hartや、Grossman, Helpmanなど、ハーバード大学の関係者が受賞するのではないかと、密かに期待をしておりましたが、また、今年も予想が外れました。もし、Oliver HartやGrossmanが受賞していれば、「企業統治分析のフロンティア」のページでも,
ぜひ、特集をしたかったと思います。
MyersonのGame Theoryの本は、多くの人が読んでいるのではないかと思われます。
でも、このあたりの分野では、比較制度分析で、青木昌彦先生も受賞しても良かったのではないかと思われますが、いかがでしょうか。比較制度分析にノーベル経済学賞が出るときは、青木先生とGreif先生の両名の受賞になるかもしれませんね。
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10月12日(金)の朝日ニュースター「ニュースの深層」に、師匠の横山先生が出演されました。
テーマは、抜本的税制改革ということで、主に、消費税に関するお話でした。
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今日は、岐阜市の方に、岐阜市の行政改革の現状と保育園の民営化に関して、お話をお聞きした。
岐阜市の細江茂光市長には、何度かお会いし、お世話になっているが、細江市長が就任以来、行政改革は進み、黒字化が実現しているようである。また、組織のフラット化についても興味深かった。というのは、課長補佐、次長などを廃止して、部、室、グループに再編成し、予算は部ごとに、部長は部内の人事権、室長はグループに関する人事権を委譲されているということである。これによって、意思決定のスピード化と責任の明確化を図ることができている。
また、研究会後は、いろいろな雑談をお聞きしました。岐阜県というのは、人口で見たとき、日本の重心になるそうであり、交通の要所でもあり、戦略上、かなり重要なポイントであるとのこと。壬申の乱も関ヶ原近辺で行われたとのことで、関ヶ原という場所は、やはり戦略上の要所なのだろう。石田三成が大垣城を捨て、関ヶ原に向かった点についても話題となった。もし、石田三成が大垣城で、徳川家康を迎え撃っていたら、もしかすると歴史は変わっていたかもしれない。いやいや、関ヶ原の戦いも、軍事専門家から言わせれば、東軍が絶対に勝てない戦いである。布陣を見て、セオリー的に考えれば、西軍が負ける要素はない。ここが、やはり軍略の面白さであろう。ひとつ、碁石が逆になれば、すべての戦局があっという間、転換してしまう。これが軍略家の醍醐味でもある。
いまの岐阜市の中心街は、江戸時代には、尾張藩に属していた。つまり、御三家が直接治めていたわけである。さらに、尾張藩に属していない岐阜市のあたりは、奥平氏が治めていた。奥平氏は、徳川家とは親戚である。すなわち、江戸幕府は、この地をほぼ直接的に支配していたわけであるが、これは、やはり戦略上の要衝であったからということである。
確かに、陸路で東京から大阪に進軍するとすれば、東海道を西進し、大垣超えか伊吹超えというところだろう。北国街道から回りこむというのは、兵站なども考慮に入れれば、その選択肢は、あまり考えられない。東海道から行くとしても甲州街道‐中山道から行くとしても、いずれにしても美濃を通過する必要性がある。
逆に、陸路で大阪から東京に進軍をするとすれば、やはり、第一次会戦は大垣、第二次会戦は、箱根山、甲府ということになるだろうか。個人的には、東海道方面に関しては、箱根山がポイントとなり、甲州街道方面に関しては、甲府、奥多摩湖・高尾山がポイントになるだろうか。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「でもね、君のことを嫌いではないと思うわよ」
「でも、迷惑ではないかな。今井さんは、男の子から告白されて迷惑な気持ちにはならないの?」
「よっぽど嫌いな人から告白されたら、それは嫌だけど、私は告白されることって、迷惑には思わないわ。付き合うか、付き合わないかは別として、自分のことを好きに思ってくれるということは嬉しいことだと思うわ。人間は、誰しも嫌われるよりも好かれたいという願望があるでしょう」
僕は、「そんなものなのかな」と言うと、
「そんなものよ」と、今井さんは答えた。
「直接告白するのが緊張して難しいのなら、手紙を書けば良いのよ。かわいい便せんを用意して、丁寧な手紙を書く。自分の気持ちを文字にしっかりと込めるの」
「僕は、字が下手だからな」と言うと、
「字が下手なのは良くないわよ。慎重に丁寧に書かないとダメよ」
と、今井さんは答えた。僕は、その晩から、手紙の内容を考え始めた。
僕は、竹内さんに、何を伝えるべきか。どのように、僕が竹内さんのことが好きだということを伝えるべきなのか。いろいろと悩んだのである。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「容子は、君のこと、好きだったみたいよ。その好きというのが、Loveなのか、Likeなのかはわからないけど。ただ、自分から君の彼女になりたいと思う気持ちは無かったようね。」
と、今井さんは言った。
「山川さんには、彼氏がいるから?」
と、僕が聞くと、今井さんは、答えた。
「容子には、特定の彼氏はいないわよ」
僕は、「特定の彼氏はいない」という言葉が理解できなかった。
「もしかすると、君が容子に告白をしていれば、容子は君と付き合っていたかもしれないわね。でも、もうだめよ。今は、たぶん、君と付き合う気持ちはない」
「僕も山川さんのことよりも、今は竹内さんの方が好きだ」
と、僕は答えた。
「それは半分正解で、半分嘘だと思う。人間は、そんなに簡単に、好きな人を忘れたり、その気持ちを失ったりすることはできないと思う。難しいのよ。好きな人を忘れることって。もちろん、君は、ミズキちゃんのことが好きなのかもしれない。でも、ミズキちゃんのことが好きだからと言って、すぐに、容子のことを好きでなくなるなんて、器用なこと、きっとできないわ。少なくとも、君みたいな不器用な人間には、そんなことは無理よ」
僕は、自分の気持ちを客観的に分析され、見透かされたような気がした。今井さんの分析は、8割正解であった。残りの2割は、僕の意地であった。僕は意地でも、残りの2割の部分を認めたくなかったし、認めようとしなかったのである。
「告白をしないで、ダメになるより、告白をしてダメになった方が良いと思うわよ。告白をしなければ、一生後悔するかもしれないけど、告白をすれば、あきらめられる部分もある。相手だって、どうしようか真剣に考えられる」
「どちらにしてもダメだってこと?」
と、僕は尋ねた。そうすると、
「ミズキちゃんはテニス部の畑野先輩のことが好きみたい。いつも、畑野先輩の練習を見ているもの。畑野先輩は、勉強もできるし、テニスも強いし、女の子にとっては憧れの存在なの」
僕は、少しがっくりして、そして、少し悲しくなった。
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写真は、amazonより
村上春樹の新刊「走ることについて語るときに僕の語ること」が発売されました。
村上春樹作品としては、そろそろ長編を期待しているのですが、今回は、小説ではありません。エッセイな感じです。この題名を見たとき、ぼくは、「愛することについて語るときに僕の語ること」というエッセイを書いてみようかなと思いました。
エッセイというのは、性格がいくつかあると思います。ひとつは、日記的な記録。日々、感じたことなどを書いたりするもの。もうひとつは、小説のスピンオフ。小説のストーリーを考えていると、いろいろなアイディアが生まれるわけですが、それを、すぐに使えなかったり、そのまま使えなかったり、はたまた、全く使えなかったりするわけです。それを、書いてみるということをすることで、発展をさせることができたり、そのまま、ひとつの短編になったりするわけです。
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働きマン占いをやってみました。
→野川由実タイプ
・基本性格
感受性豊かで思いやり深いあなた。他人を心配する優しさを持ち、できることなら、何でもしてあげるはずです。人に甘えるのが上手で、ややルーズなところがありますが、そんな部分も含めて、人からかわいがられそうです。
・2008年の恋愛運
豊かな可能性が開かれている2008年。恋という前に男女問わずいろいろな友人と知り合ってみるのはいかがでしょう。そこから新しい恋のチャンスも生まれそうです。ただ、土星や天王星の影響で、これまでの関係で切るべき人たちが出てくるのは仕方ないかも。「新陳代謝が必要」と星は告げています。新しい人間関係の中から、すてきな恋が生まれるでしょう。
・2008年の仕事運
仕事の面では、「信頼」が重要なキーワードになる2008年。しっかりとしたビジネスパートナーとの出会いが、テーマとして浮上する暗示があります。あなたの変化に応じて、当然、つき合うべき人たちも変わってきそう。その中で豊かな人たちと関係をつくっていける可能性が高いでしょう。また趣味的につき合っていた人が、仕事運をもたらしてくれる可能性も。
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昨夜(土曜日)の夜は、汐留にあるコンラッド東京のゴードンラムゼイに急きょ、フレンチを食べに行くことになり、予約の電話をしたところ、20時過ぎからは予約ができるということ。
現在、東京ラグジュアリーホテル戦争が激化している影響でしょうか。以前なら、土曜日の夜の予約、当日なんて、なかなか難しかったという記憶があったので、びっくりでした。 (結局、昨日は、一緒に行く予定だった人が体調が良くなく、ゴードンラムゼイではなく、デニーズで夕食となりました。)。
久しぶりにデニーズに行ったわけでありますが、メニューがなかなか充実していました。ファミレスの中では、デニーズが最もおすすめです。(その理由は、デニーズがセブン&アイホールディングスだからとかの「大人の事情」ではなく、DEVIL'S チョコレートサンデーが好きなのと、料理が比較的においしいということです。)
久しぶりに、中央高速を走りましたが、やはり、夜のドライブは良いですね。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「そんなにわかりやすいかな」
「意識し過ぎだと思うわよ。目をわざと合わさないようにしているし、ミズキちゃんがいるときの君の話って、支離滅裂だし。それに、ミズキちゃんに格好良く思われたいというのが身体中から出ていて、逆に格好悪いし」
「そうかな」
「そうよ」
僕は、言葉を失ってしまった。僕が竹内さんのことを好きなことは、すでに、クラスの同級生は感じ取っていたのであった。
「君って、わかりやすいのよ」
と、今井さんは言った。
「容子のときもそう。今回もそう。いつも同じパターンというか、変わり映えしないのよね」
僕は、さらに驚いた。
「山川さんのことも知っているの」
と、聞くと、
「有名な話よ。もちろん、容子も知っていたわよ」
僕は、奈落の底に落とされたような気持ちになった。そして、目の前が真っ暗になるという感覚を生まれて初めて知った。
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昨夜は、赤坂にあるベルギー料理のお店「シェ・ミカワ」に行ってきました。もともとは、フランス料理を食べに行く予定だったのですが、神楽坂のフランス料理のお店は予約が一杯で、ぼくが、ムール貝を食べたかったこともあり、幹事の特権で、ベルギー料理にしました。ムール貝の白ワイン蒸しは、やはり、おいしかったです。
ムール貝の食べ方については、ブリュッセルで、総理(仮)さんに手ほどきをいただき、昨夜は、その方法を知人に伝授いたしました。
ベルギー料理を食べた後、六本木のグランドハイアットのメインバー「MADURO」に行きました。
グランドハイアットは初めてだったのですが、音楽がとてもよかったです。
昨晩のお酒の量は、思い出の味「ベルギービール・ヒューガルデンホワイト」1杯と、ボーモアの水割り1杯だったのですが、翌日、二日酔いとかではなく、身体がだるく、朝も、寝たり起きたりで、そろそろ、お酒を止めようと思う今日この頃です。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
季節が秋から冬になる頃、僕は、どうしてもこの想いを竹内さんに伝えたいと思った。しかし、口頭で告白をする勇気を持つことが、どうしてもできなかった。好きな人の前では、どうしても緊張してしまう。これは、実は今でもそうである。特に、大勢がいる中では、恋愛感情を持っている人の前で、僕は、まず視線を合わせることができなくなる。恋愛感情が、今にも溢れだしそうになるからである。そのために、目を合わせられなくなるだけではなく、態度も、つい冷たい態度を取ってしまう。それは、恋愛感情が溢れることを抑えるために、そうなってしまうのである。
また、好きな人と話すとき、なぜか論理展開というものが崩れてしまう。時に、僕は、自分で何を言っているのかわからないという状態に陥ることがある。それは、言葉よりも感情が先に出てしまうからなのであろうか。
大人になってからも、このように好きな女性には、非常に不器用な態度であるのに、ましてや思春期の頃の僕は、「不器用」という言葉では片づけられないほど変わった行動をしてしまうのであった。
そのとき、同級生であった今井美佳さんが、突然、僕に、ある提案をした。
「ラブレターを書いたら渡してあげるよ」
僕は、驚いて、今井さんに尋ねた。
「なぜ、君は知っているの」
「それは見ていればわかるわよ。君の態度を見ていれば、明らかに、ミズキちゃんのことを特別な想いを持って見ているって」
ミズキちゃんとは、竹内さんの名前のことである。
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今日は、「医龍2」を見ていたら、伊集院役の小池徹平は、ぼくに似ているということを発見いたしました。今回のシリーズに、稲森いずみが出演していないのは、やはり「大人の事情」だろうか。
今夜の医龍は、3例同時の手術で、特に、富樫さんと赤ちゃんを助けたシーンには、涙をしてしまいました。
でも、「チーム・メディカルドラゴン」みたいなチームっていいですね。
ぼくも、博士号を取得したら、政策の現場での臨床医として、社会の問題解決をしていく学者さんになりたいと思います。「Dr.コトー診療所」ではないけど、心と心の触れ合いを大切にしながら、社会のお医者さんになれればと思います。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
僕にとって、山川さんは初恋の人であり、好きであるということは、中学校2年生のこの瞬間には、大きな間違いではなかった。まだ、山川さんのことは相変わらず気になっていたし、竹内さんのことも好きであった。その一方で、山川さんのことは忘れたいと願っていた。そして、竹内さんへの好きという感情は、日を追うごとに高まっていった。
竹内さんへの恋愛感情とともに、僕の中では、竹内さんの肉体への興味も高まっていた。竹内さんの胸は、発達をしており、ふくよかなふくらみが僕の目を奪っていた。
僕は、初めて異性の身体に欲望を感じたのであった。それは、その異性の身体を支配したいという気持ちであり、こうした欲望の高まりとともに、初めて精通を経験した。
演劇部の部室への道のりは、僕にとって、とても遠いものであった。物理的な距離ではなく、精神的なものであった。毎日、今日こそは、演劇部の部室に行こうと思いつつも、その勇気を持てなかった。僕は、前に一歩踏み出すことができなかったのである。
次に考えたことは、下校時に、偶然、竹内さんに遭遇し、一緒に帰宅するというものであった。帰宅までのわずかな時間、それは、10分や15分かもしれないが、竹内さんと一緒に道を歩くことができることだけでも、僕にとっては、幸せな出来事であるかのように思えた。
僕は、偶然を装うため、部活動の終了時刻まで、教室で待った。そして、その時刻になると、僕は、校門の近くをゆっくりと歩いた。そのようにして、僕は竹内さんを待ったのであった。
しかし、竹内さんに会うことはできなかった。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
僕は、どうすれば、竹内さんとできるだけ長く一緒にいることができるかを考えた。朝起きてから、寝るまで、そのことだけを考えた。考え始めて、4日目の朝、僕は、演劇部に入ることが最良の方法であるという結論に到達した。
僕は、その日の授業が終わったら、演劇部の部室に行こうと思った。松葉杖姿で、迷惑かもしれないが、一刻も早く、竹内さんと一緒にいることができる時間を作りたい、と思ったのだ。
教室では、同級生がたくさんいる時には、竹内さんとは話をしない。大勢の前で竹内さんと話すことは、とても恥ずかしいことであった。なんとなく、僕の気持ちが、竹内さんと大勢の前で話すことによって、その大勢に教えてしまうのではないかという恥ずかしさがあった。さらには、僕の気持ちを竹内さんに気付かれてしまうのではないかという怖さもあった。
告白のタイミングは、本当に難しいものである。告白をすることで、その相手との人間関係をすべて失ってしまうかもしれない。好きな相手との関係を失ってしまうことほど恐ろしく悲しいことはない。だから、告白には、そういうことも含めて、勇気が必要なのである。
僕は、当然ながら、勇気を持てなかった。自分に自信が持てなかったし、竹内さんが僕のことを好きになってくれる理由は、自分では考えられなかった。本当に、一方的な片思いであることは、自分でもわかっていたのである。
ただ、山川さんのことを忘れるために、竹内さんが好きになったということではなかった。時として、失恋を忘れるためには、新しい恋愛をすることが効果的である場合がある。ただし、これはケースバイケースだ。無理に新しい恋愛をしようとして、さらに傷つくこともある。だから、正しいとは言えない。でも、そういうことが重要だ、という時もある。
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本日、防犯ベルを購入。
ファミリーマートで販売中の「おまもりドギー(携帯用防犯ブザー)」で、コーギー。
防犯ブザーを持つのは、小学生以来。
数年前に、一度だけ、SPや県警の警護の方に、周りを囲んでいただいたことがあるのですが、なかなか得難い経験でした。
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2007.10.10 by 矢尾板俊平
安倍政権ざっくばらん~康夫さんに引き継がれるもの、修正されるべきもの(レジュメ)
「人生には上り坂もあれば、下り坂もある。もう1つは『まさか』という坂だ。まさか、あのような形で安倍さんが退陣するとは思わなかった。これからの政局もいつ、『まさか』が来るか分からない。(小泉純一郎)」
1.安倍政権崩壊の理由
・前任者の影
・期待が大きいからこそ失望も大きかった
・曖昧戦略の功罪-ひとつの成功体験が大きな失敗に
・2つの期待の矛盾
・官邸の危機管理能力
・「霞が関」との不必要な軋轢、「闘う体制」の準備不足
2.安倍政権崩壊から学ぶ教訓
・属人性。いかに良い制度でも「人」やその「個性」に強い影響を受けてしまう。
・政治には、鈍感さ、胆力、非情さが必要。
3.参議院選挙の敗北
・抽象論に終わった政策論:「美しい国」、「戦後レジームからの脱却」
・信無くば、立たず。選挙の敗因は、リスクコミュニケーションのまずさ。
4.貞観政要に学ぶ
(1) 弓の奥義と政治の要諦
(2) 知りて寝黙するなかれ
(3) 政治の構えと病気の治療
(4) 君は舟なり、人は水なり
(5) 大事はみな小事より起こる
5.政権運営心得:矢尾板俊平の10箇条
(1)鈍感でなければならない。
(2)胆力を持て。
(3)非情たれ
(4)人生は、囲碁の盤上にあるものと心得よ
(5)情報こそ、攻守の要
(6)権力の源泉とは、「予算権限」と「人事権限」である。
(7)「人」こそ、すべて
(8)1本の矛と3枚の楯
(9)諫言する者を重宝せよ
(10)論功行賞は、最も自分が好まざる者から
6.福田政権の課題
(1)テロ特、年金、消費税の3点セット
(2)経済政策のポイント
①格差問題:経済成長重視か再分配重視か
②経済成長:名目成長率重視か実質成長率重視か
③財政再建:財政規律重視か上げ潮か
④構造改革:続行か修正か
(3)外交政策のポイント
①福田ドクトリンの発展
○福田ドクトリン
・日本は軍事大国にはならない
・心と心の触れ合いをもって実現しよう
・ASEAN地域が順調に発展するように協力していこう
○福田ドクトリンへの追加
・アジア各国のグローバリゼーションの受容
・日中関係、日韓関係の改善
・経済連携協定(EPA)
・日本からの直接投資の増加
②日米関係と日中関係の強化がアジア地域の安定に
③環境・エネルギーに関する技術・ノウハウ・情報の提供
④人口減少を前提とした「日本モデル」の構築
以上
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政権でも、組織でも、運営をする、マネジメントをする、ガバナンスをするというのは、大変なことだ。
ぼくも少なからず、そんな経験をしてきて感じたことなどをメモしておこうと思う。
将来、日本経済新聞で、仮に「私の履歴書」を書くときのために、いろいろと書き残しておくことは重要だ(笑)。
(そのときは、政策分析ネットワークで事務局をしていたときのことなども触れるつもり。この話は、もう少し時間が過ぎたら、いろいろと当時感じたこと、学んだことなどを残していくつもり。)
とりあえず、今日は、箇条書きでメモをしておき、そして、後々に、詳しく書いていくことにしよう。
「為政者の心得10カ条」
(1)鈍感でなければならない。
→どうせ、批判をされる。反対意見を持つグループ、マスコミ等々。批判されないわけがないのだから、ひとつひとつの批判を気にしていたら何もできない。批判には、ある程度、鈍感にならなければならない。
(2)胆力を持て。
→何よりも、自分の信じること、大切にしていることを貫くことが重要。そして、それを、最後まで、「やり抜く」ということが、信頼を得る何よりの方法。くじけず、覚悟を決めて胆力を持つことが重要。
(3)非情たれ
→時に優しさは必要だが、決断には非情さが重要だ。
(4)人生は、囲碁の盤上にあるものと心得よ
→状況は、ひとつの出来事によって、大きく変わる。大局観を持て。
(5)情報こそ、攻守の要
→情報収集と分析する能力が重要。情報を制する者こそ、偉業を成し遂げられる。また、情報を加工し、時に、武器として使うことも重要。
(6)権力の源泉とは、「予算権限」と「人事権限」である。
→この2つの権限だけは、誰にも委ねず、自らの手に握り続けるべきである。
(7)「人」こそ、すべて
→どんなに素晴らしい制度であっても、どんなに素晴らしい組織であっても、「人」によって、変わってしまう。適材適所を心掛けるべし。ひとりひとりの個性、長所や短所を見極め、その人に最も適した役割に配置すべし。
(8)1本の矛と3枚の楯
→3枚の楯を並べ玉を守り、1本の矛で攻める。人材配置の際は、必ず、これを軸とせよ。
(9)諫言する者を重宝せよ
→諫言する者こそ、唯一無二の稀有な存在である。
(10)論功行賞は、最も自分が好まざる者から
→さすれば、不平不満は出にくい。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
「僕は、演じるということよりも、何かを書いたりすることの方が好きだな。小説を書いたり、漫画を描いたり。自分の想像したことを自由に描く。」
「演じるということだって、同じことよ。自分が想像したことに忠実になって、自由に描くの。小説や漫画は、文字や絵を使って描くのだけど、芝居は、自分の身体を使って描くの。同じことよ。」
「そうかもしれない。でも、やっぱり恥ずかしいよ。人前で、何かを話したり表現をしたりとかすることって」
「最初のうちは、緊張するわ。でもね、舞台に立っている瞬間、それは、どんな役だろうと、その瞬間は自分が主役なの。自分が主役になれる瞬間が舞台にはあるのよ。きっと、人間にとって、自分が主役になれる瞬間があることって、とても大切なことよ。」
「そうかもしれないね。きっと、大切なことなんだろうね。」
「だから、足が治ってからかもしれないけど、興味があったら、演劇部に遊びに来るといいわ。見学だけでもいいのよ。」
と、竹内さんは言った。
僕は、「考えておくよ」と言った。
それから文化祭までの1週間、僕は、毎日、竹内さんと、早朝のわずかな時間の会話をした。それが、僕にとって毎日の楽しみであり、学校に行くことの価値となった。
文化祭の日、竹内さんは村の少女役で舞台に立った。竹内さんのセリフは、そんなに多くなかった。僕は、その芝居そのものには、あまり興味がなかったが、竹内さんには興味があった。その芝居の本当の主役が誰だろうが、僕にとってのその芝居の主役は、街がいなく竹内さんだった。竹内さんの演じている姿を見て、僕は、竹内さんのことが、強く好きになった。そして、僕は、竹内さんと、もっと一緒に時間を過ごしたいと考えた。
文化祭が終わった次の日の朝、僕は、この一週間と同じように、竹内さんが教室にいることを期待して、早めに学校に行った。
しかし、当然ながら、教室には、竹内さんの姿はなかった。
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明日の夕方、「安倍政権ざっくばらん~康夫さんに引き継がれるべきもの、修正をするべきこと」というテーマでお話をいたします。この1年間を振り返るとともに、福田内閣の今後(特に、経済政策、外交政策)について、お話をして、議論できればと思っております。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
次の日の朝、少し早い時間に学校に行き、教室に入ると、竹内さんが文庫本を読んでいた。
「あっ、竹内さん、おはよう。今日は、早いんだね」
と、僕が声をかけると、竹内さんは、微笑みを浮かべた。その笑顔は、両頬のえくぼが特徴的だった。僕は、このえくぼに魅了され、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
「文化祭が近付いているでしょ。だから、毎朝、練習。朝早くて辛いけど、でも、とっても楽しいの。演じることって、本当に楽しいわ。そういえば、去年の文化祭で、劇に出ていたわよね。」
と、竹内さんは優しく話し始めた。
「釣り人Aだけどね」
と、少し恥ずかしがりながら、僕は答えた。
「でも、とても良かったわよ。印象的だったわ。」
と竹内さんが言うと、僕は照れながら、
「そんなことないよ」と答えた。
「きっと、才能があると思うわ。もしよかったら、演劇部に入らない?きっと、あなたなら、とっても素晴らしい演技ができると思う。才能を埋めてしまっては、もったいないわよ。」
僕は、女の子から、こんなに褒められた経験はなかったから、なんだか、とても嬉しい気持ちになった。そして、僕は、自分のことを認めてくれているこの女の子のことを、とってもかけがえのない人間として認識した。
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人生には、3つの坂がある。上り坂もあれば、下り坂もある。
もうひとつは、まさか、という坂だ。
いま、天が大任をくださんとするとき、その運命に馳せ参じなければならない。
武士たるもの、一朝時あらば、主君のため馳せ参じなければならない。
いつでも、「まさか」に備えていなければならない。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
夏休みが終わり、2学期が始まった。僕は、松葉杖に自分の体重のほとんどを委ねて、登校した。クラスでは、自分勝手に骨折をして、途中離脱をし、山頂でおいしい弁当を食べる経験を共有しなかった僕への冷ややかな視線を感じた。そうでなくても、同級生とは、あまり良い人間関係ではなかったが、それがより顕著になった。
クラスの掲示板には、林間学校の思い出写真が貼られており、1枚10円で販売されていた。同級生は、一生の思い出とするために、競って、自分が購入したい写真の番号を申し込み用紙に記入していった。山頂でのお弁当は、同級生にとって、予想以上に大切な経験になったようである。僕も、山頂でお弁当を食べていたら、全く異なった現在があったのかもしれない、と、同級生の写真を見ながら考えていた。もちろん、僕が写っている写真は1枚もなく、僕にとって、このイベントは、無意味であった。楽しい思い出はひとつもなく、ただ骨折の痛みと、その後の不便さを感じるだけの林間学校と写真展示のイベントだった。
文化祭が近付いた。僕のクラスは展示を行うことになった。ただ、僕は骨折のため、足が不自由であったために、あまり重要な役割を与えられなかった。当日、ただ、教室を留守番する係である。
ある日、僕が帰ろうと階段を下りていると、同級生の竹内さんという女の子が目の前にいた。竹内さんは、
「大変そうね」
と言って、僕のカバンを持ってくれた。僕は、
「ありがとう」
と言った。
竹内さんは、演劇部に所属しており、彼女は、文化祭用の演劇の練習のために、演劇部の部室に向かおうとしていたのであった。
彼女は、僕が階段をすべて降りるまでカバンを持ってくれた。
「どうもありがとう」
と、僕が言うと、竹内さんは、
「いいのよ」
と返した。
「竹内さんは、文化祭で出演するの?」
と、僕が聞くと、
「恥ずかしいけどね」
と答え、少し頬を赤らめた。
「じゃあ、楽しみにしているよ」
と、僕が言うと、
「ありがとう」
と答えて、竹内さんは、演劇部の部室がある方に階段を上がっていった。
僕は、竹内さんの後姿を眺め、そして、竹内さんの優しさと笑顔に心が奪われた気がした。
これが、僕の2度目の恋愛の始まりであった。
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昨晩のCDTVを見ていたら、YUIの「LOVE&TRUTH」が見事1位。
この曲は、いろいろな意味で話題になっている「クローズドノート」の主題歌だ。
初回限定版には、DVDが付いていて、「LOVE&TRUTH」のプロモは、クローズドノートを編集したものになっている。つまり、プロモの中に、沢尻エリカや竹内結子が出演している。
今回の1位、もしかすると、沢尻エリカ主演のDVDを目的に購入した人が多かったということかもしれない。ぼく自身、実は、それを目的に購入してしまった一人だからである。もしかすると、沢尻エリカを収めた貴重な映像になるかもしれない。もともと、沢尻エリカファンではないが、記念品的に購入してしまった。
ちなみに、沢尻エリカ、知っている人に口元が似ていたりします。
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青木昌彦・Gregory Jackson・宮島英昭編著, "Corporate Governance in Japan:Institutional Change and Organizational Diversity"を頂きました。この本は、経済産業研究所のコーポレートガバナンスプロジェクトの研究成果の1部であり、Oxford University Pressから発売されました。
概要については、こちらをご覧ください。
Amasonでは、こちらです。
また、Oxford University Pressのページは、こちらです。
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文京区目白台にある Hamburger & Sandwich base に行ってきました。
最寄駅は、護国寺で、目白からも行けると思います。
目白通り沿いにあるお店です。
ハンバーガーのお肉が、とてもおいしかったです。
ぼくが注文したのは、「ハンバーガー」
写真に写っております奥のハンバーガーは、ご一緒した方の注文した「アボカドチーズバーガー」です。
フレンチポテト付きなのですが、もう少しポテトの量が多いと嬉しいなと思いました。
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人は決断をするとき、自分の決断が本当に正しいのか、自信を持てないときがある。
そんなとき、誰かに相談して、その人の意見を聞いてみたい。
特に、自分にとって、最も大切な人の意見を聞いてみたい。そして、少なくとも、その人だけには、自分がそのような決断をした理由をわかってもらいたいとも思う。
別に、社会一般に、自分のことが認められなくても、自分が最も大切だと思う人にだけ認められれば嬉しい。
むしろ、社会一般に、自分のことを認められても、自分が最も大切だと思う人にだけ認められないことほど、悲しいことはない。
この世界のなにものにも代えられないほど、かけがえのない宝物。その宝物だけは失いたくないとも思う。
失いたくないと思うからこそ、ひとつひとつの行動や言葉に、不安になり、恐ろしくなる。
そして、常に迷い続ける。論理的にとらえようとすればするほど、わからなくなる。
いろいろと悩んで考えて、結局、たどりつく答え、それは、僕はあなたのことが好きで、たまらなく愛しく、かわいく思えるということである。迷えば迷うほど、その人のことが好きになり、そして、とめどなく深く愛していく。
僕は微力ではあるけど、そして、おこがましい言い方かもしれないけど、あなたのことを守っていきたいと、強く思う。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
何度も、山川さんがセックスをしていなかったことを説明することで、僕の頭の中の大きな混乱と胸の中の強い嫉妬心を抑えようとした。しかし、いくら考えても、山川さんが、教室の中で、セックスをしていなかったということは説明できなかった。むしろ、山川さんがセックスをしていたということは完全に説明ができた。僕の中の山川さんの笑顔は完全に失われた。そして、深い絶望だけが残った。このようにして、僕の13歳の淡い初恋は終わったのであった。
その後、数ヶ月間、僕はすべてのことに対するやる気を失い、そして、どうでもいいと思うようになった。自分の存在価値すらも考えることができず、新しい人間関係の構築も興味がなく、ただ、毎日、無駄な日々を過ごしたのであった。
その年、林間学校の行事があった。僕は、林間学校で、オリエンテーションをしたり、山に登ったりするということが、なんとも馬鹿らしく感じた。山の上で食べるお弁当がおいしいと言われても、その「おいしい」という感情を得ることすら、僕にとっては無価値であった。
中学生の頃の男の子は、一般的には、非常に異性に対する興味が高まっている。体育の授業も別になるし、異性というものを非常に気にするようになる。そして、異性の身体に興味を持ち、見たり、触ったり、という欲望も生まれる。そして、セックスというものに対し、必要以上に欲望を感じたりする。そうした欲望が混ざり合って、男の子は、女の子に、さまざまなイタズラをしたりする。スカートをめくったり、胸に触れたりする。僕のクラスでも、そういうイタズラが徐々に始まった。
僕は、そういうようなイタズラには興味がなかった。もちろん、山川さんには、あの時までは、興味があったし、もしできることならば、山川さんの手を握ったり、キスをしたりしてみたかった。しかし、他の女の子に、そういう欲望を感じることはなかった。そのとき、僕にとって、そういう欲望すらも無意味だったのである。
林間学校の1日目のオリエンテーションの途中で、僕は足を骨折した。しなければ良いのに、丘を駆け下りていたら、くぼみに足をひっかけ、そのまま転んでしまったのだ。転んだ時に、僕は、確かに、自分の右足から、ボキっという音がしたのを聞いた。僕は、その瞬間、骨折したということを認識した。その後、痛みを感じるとともに、山の上で食べるお弁当を食べなくて済んだということに瞬間的に理解した。僕は、骨折という犠牲によって、あまりにも無価値だと思っていた山登りと山頂で食べるおいしいお弁当の洗脳から解放されたのである。僕は、林間学校から途中離脱した。
そのとき、僕は、「人生こんなもんだろう」という悟りがさらに深まった。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
僕と山川さんは、中学2年生になった。クラス替えが行われ、僕は5組に、彼女は、3組になった。また、2つ隣の微妙な距離であった。僕は、1年の間、山川さんのことを好きであり続けた。山川さんは、と言うと、僕のことを相変わらず、からかい続けた。僕は、この1年で、何人かの友達もできた。ひとりは、クラスの中で成績が優秀で、きっと、将来は、進学校に進み、一流大学に進学をするのだろうと思う男の子だった。ちなみに、僕の学業成績は、クラスの真ん中ぐらいで、時々、クラスの真ん中より下という具合だった。勉強は、どちらかというと嫌いな方で、あまり一生懸命ではなかった。だからといって、生徒会活動や部活動に一生懸命というわけではなかった。この時期、何かに熱中するというものがなかった。ただ、その日を過ごし、一週間が終わり、一か月が経つ。楽しいことも、それほどなく、ただ毎日、学校に行く。僕は、そんな空しい毎日を生きていた。
そんな生活を送っているからか、どうしても覇気が感じられないつまらない中学生だったのだろうと思う。今、卒業写真を見ていても、本当に、つまらなそうな顔をしている。なんとなく、人生を悟っていて、わかったような顔をしている。
ただ、ひとつの楽しみ。それが山川さんだった。山川さんに会えることは、楽しいことであったし、その笑顔が希望であった。
中学2年生の春、放課後、僕は、教室に残っていた。部活動が始まっている時間で、誰も教室にはいない。この、なんともいえない孤独な空間が、僕にとっては魅力的だった。何をするでもなく、ただ、その空間を独り占めにすることが、ある種の快感であった。ベランダに出て、空を眺めたり、目を閉じて、さまざまな想像をしたりする。時に、小説を書いたり、漫画を書いたりする。自分だけの自由な空間が、そこにはあったのである。
その日、僕は、いつもと同じように、一人、教室の空間の独占に酔っていた。そして、トイレに行こうと教室を出ると、2つ隣の教室から声がした。まだ、誰か残っているのかな、と、その教室の中を見た。
すると、山川さんが、少し悲しそうな雰囲気で、僕とは反対の方を見ていた。僕は、胸の鼓動を高めながら、山川さんに声をかけようとした。そのとき、山川さんの視線の向こうには、山川さんと同じクラスの男の子がいた。その男の子は、学生服のズボンを上げ、ベルトを締めようとしていた。山川さんをよく見ると、髪と制服が若干乱れていた。二人は、無言で、あたかも情事の後のように、その後始末をしていた。
僕は、山川さんに声をかけるのを止め、そして、自分のクラスの教室に戻った。そこで、僕は、一人、2つ隣のクラスで何が起きていたのかを考えた。幾ばくかの大人の週刊誌の知識を頼りに、僕は、山川さんが、今、何をしていたのかを説明しようとした。いずれの結論も、ただひとつの答えであった。自分に都合の良いように、いくら解釈しても、本質的な説明は変わらない。山川さんとその男の子の関係はどのような関係なのかはわからない。その関係がいつからかもわからない。しかし、ただひとつ言えること。僕が目にした最小限の状況証拠から、唯一説明できることであった。
それは、少なからず、いや、ほぼ「確実」に、山川さんはセックスをしていたのである。
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※本作品は、フィクションで、登場人物、団体、背景は架空のものです。もちろん、主人公の「僕」は、著者と同一人物ではなく、フィクションです。
初恋と呼べる恋愛をしたのは、いつのときだろう。僕がしっかりとそれが初恋だと言えるのは、中学1年生の時の恋愛なのだと思う。僕は、中学校に入学すると同時に引っ越しをした。だから、中学校に入学したときには、誰も友達がいなかった。また、一人っ子で、人見知りをする性格だから、すぐに、新しい友人を作るとか、そういうこともできなかった。
そんなとき、2つ向こうのクラスだった山川さんという女の子が、僕に話しかけてきた。「君って、面白いね」。
山川さんは、ただ、僕をからかおうとしただけかもしれない。しかし、僕は、山川さんのあどけない笑顔に一目ぼれをしてしまったのである。
僕の恋愛のパターンは、それは、直感というか、最初の印象によるところが大きい。そして、人間としての魅力を好きになる。さらに、僕は、女の子の笑顔が好きだ。そして、少しふてくされた顔も好きだ。
中学生の時の初恋、すなわち、山川さんへの恋愛も、山川さんのあどけない笑顔を一目で好きになってしまった、ということである。春が過ぎ、夏が終わり、秋の始まりに、文化祭が行われた。僕のクラスは、演劇を行うことになった。僕に与えられた役は、釣り人A。あまり、重要ではない役どころだ。僕は、特別に主役になりたいとは思わなかった。というのは、なんとなく、青春時代に悟るいくつかの人生の悟りを悟っていたからだ。つまり、いくら主役になりたくても主役になれるかどうかわからないし、主役になりたいと強く願わなくても主役になる人もいる。人生、そんなもんだろうと。
山川さんのクラスは、展示だった。クラスの中で、展示発表をする。教室の中を迷路のようにしたり、喫茶店風にしたり、いろいろな工夫をして展示会をする。
僕は、山川さんのクラスの展示を、かなり緊張して、恥ずかしがりながら見に行った。胸の中は、鼓動が鳴り響いている。今でもそうだが、好きな女の子の前にいると、緊張して、自分でも思ってもみない、とんでもない行動をしてしまう。山川さんは、メイド風の格好をしていた。僕は、その姿を見て、恥ずかしがった。山川さんも僕と眼が合って、そして恥ずかしがった。僕は、山川さんに何の言葉もかけずに逃げてしまった。
僕は、山川さんに、自分の気持ちを、いつまでも言えずにいた。自分の気持ちを伝えて、嫌われたりしないだろうか、いや、絶対に嫌われるだろう、とか、そんなことを、考えて、そして、その日、自分の気持ちを伝えられずに後悔する。そんな毎日が続いた。それでも勇気を持って、相手に、自分の気持ちを伝えることができるのは、それだけ、その相手のことが好きで、もっと一緒にいたいと思うからだ。
結論から言えば、僕の初恋は、告白さえもできずに終わった。
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今日は、とんちゃんという韓国料理屋さんに行ってきました。
ブタ肉の焼肉で、とてもおいしかったです。あと、焼き飯も食べました。
場所は、区役所通りの奥の方です。
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毎日新聞が与謝野前官房長官にインタビュー。
<特集ワイド>「頭悪い人たちが急に…」前官房長官 安倍政権最後を語る10月2日16時27分配信
クーデター説について、下記のようなコメントをしています。
「クーデターは、その人を倒したら自分が得する状態で起こすもの。私がクーデターなんてばかじゃないかという話です。安倍さんを倒したら、損するのは与謝野馨なんですから。人がやったやったと言って、クーデターを起こした人が他にいるんでしょう。政局になると、頭が悪いなと思っていた人たちが急に頭を回転させて、思いもかけない行動に出たりする。そういう方たちを見ると頭の良さというのもいろいろ種類があるんだなと思います。」
「クーデターは、その人を倒したら自分が得する状態で起こすもの。」→ふむふむ。
「政局になると、頭が悪いなと思っていた人たちが急に頭を回転させて、思いもかけない行動に出たりする。そういう方たちを見ると頭の良さというのもいろいろ種類があるんだなと思います。」→がびーん!「・・・」。これは、かなりの皮肉ですねぇ。。。
安倍政権の失敗について、
「去年、安倍政権を誕生させた人たちは、長期政権を作ろうという夢を見ていた。彼らは、政権や政党の支持率にマイナスになることは一切避けて通ろうという精神でした。けれども自民党は、どんな時にも責任を回避しない、責任政党であるということが唯一の売りなんですよ。安倍政権の演出者たちはそこを全部はがして、ポピュリズム(大衆迎合)で政権運営をしようとした。例えば、安倍政権発足前から私は日本の財政の窮乏を正直に国民に話さなければいけないと主張してきました。そうすれば自然に税制改革の話になる。しかし、経済成長で解決しますなんて幻想を振りまいた、いわゆる上げ潮路線グループがいた。長期政権を目指したがゆえに、政策的にひとつのバイアス(偏った考え)をつくり上げた。財政や税制について、避け難き現実を直視しない。それは政権内部にあった大きな欠陥だったと思います。」
なるほど。ふむふむ。
そうすると、福田総理の所信表明演説は、評価できるということですかね。→財政再建シフト。
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昨日、福田総理が所信表明演説を行った。長さは、6414字。これまでの所信表明演説に比べては、短い方ではないか。ポイントとしては、経済政策が「上げ潮」経済成長路線から「財政規律重視」経済成長路線に転換したということである。いわば、財政再建シフトに移ったということである。
それは、まず、所信表明の中で、基礎的財政収支の黒字化を明言したことにあります。
「安定した成長を図るとともに、行政経費の絞り込み等により、2011年度には国と地方の基礎的財政収支の黒字化を確実に達成するなど、歳出・歳入一体改革をさらに進めます。21世紀にふさわしい、簡素で効率的な政府を作るため、行政改革を今後とも強力に推し進めます。」
骨太の方針2006で明記されている名目経済成長率3%を前提とした16.5兆円の歳出削減もしくは歳入増を堅持するということである。(歳出削減額の想定は、14.3-11.4兆円)。
これを実行するためには、法的拘束力と政治的コミットメントが重要である。そこで、このプログラムを財政再建・構造改革法として立法化することが重要である。ただし、この場合に、経済状況との関連で弾力条項を付け加えておくべきである。政治的コミットメントについては、財政再建・構造改革会議を設置することである。根拠法律は、財政再建・構造改革法に盛り込んでも良い。来年度の通常国会には提出し、制定するべきである。
また、抜本的税制改革についても明言した。
「今後、早急に、国民的な合意を目指して、本格的な議論を進め、消費税を含む税体系の抜本的改革を実現させるべく取り組んでまいります。 」
抜本的税制改革のタイミングは、2年後、2009年秋の政府税調の中期答申になるだろう。この中期答申で、「21世紀型社会における抜本的な税制改革の在り方-少子・高齢化、経済の安定成長時代に向けて-」という形で抜本的税制改革案を答申するべきである。この2年間で、徹底した歳出削減を行ない、税制改革の国民的合意を得る環境を整備しなければならない。つまり、第1期歳出削減のタイムリミットは、2009年夏に設定する必要がある。
また、景気動向も慎重に見極めなければならない。そのためには、消費税も含め、来年度税制改正案の検討から積極的に議論をしていかなければならないだろう。
一方で、成長戦略については、中小企業対策が盛り込まれた。
「 我が国の経済成長の原動力である中小企業の多くが、景気回復の恩恵を受けられずにいます。下請取引の適正化や事業承継の円滑化、中小企業の生産性向上に向けた取組などを強力に推進し、大企業と中小企業の調和のとれた成長を図ります。 」
いま、地域間格差の問題で重要なのは、地方の産業構造の問題である。再分配政策を実施したところで、効果は不明である。それよりも、産業構造の転換、すなわち、構造改革の推進こそが重要である。そのためには、中小企業対策が重要となり、金融システム、事業環境含め、積極的な対策が求められる。
このような点で、福田内閣の経済政策は一定の評価を与えられるだろう。
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新作「いつか君にふたたび出逢うときまでに」の連載開始を記念して、15秒プロモ用のフォトカットを作成しました。
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僕は、お気に入りのクラシックの音楽を聴きながら、ボーモアの15年物をストレートで一気に飲み干した。そして、目を閉じながら、いま、ゆっくりと回想を始めた。
彼女と彼は、幼いころからの仲だった。いわゆる「幼馴染」という仲である。僕は、何度も引っ越しをしていて、「幼馴染」という感覚がわからない。だから、「幼馴染」という関係が、よく小説やドラマで描かれるように、永遠の恋人のように発展するのか、それとも恋愛対象になんてならないのか、そういうことは、あまり実感が持てない。
彼女と彼の間には、少なからず、前者の、永遠の恋人になる可能性はあっただろうと思う。生まれた時から、ずっと傍に暮らしていて、相手が、お互いに、相手が存在しない生活を想像できないくらいの「幼馴染」であった。恋愛感情があったのかどうか。そもそも恋愛感情とは、どういう感情なのだろうか。相手に好意を持つことが、その感情なのか。それとも、相手に性的な欲求を持つことなのか。さまざまあるかもしれない。少なくとも、彼女は彼に、好意を持っていたのは確かであった。それが恋愛感情に依るものなのか、それとももう少し別な家族的な好意であったのか、それは今となっては誰にもわからないだろう。そして、少なくとも彼は彼女に性的な欲求を抱いていた。彼は、彼女を裸にし、彼女に自分を受け入れてもらいたいという強い願望を持っていた。彼がそのような性的な感情を持ち始めたのは、高校に入学をした頃からであった。彼が彼女に持つこうした性的な願望は、彼女だけを特定の対象とした願望であったのか、それとも男性が思春期の時に抱く一般的に、広く異性に向けられる性的な好奇心だったのか、それは本人にもわからなかったであろう。
彼女と彼は、同じ小学校を卒業し、同じ中学校を卒業した。高校も地元の公立高校に共に入学し、一緒に、東京の大学に進学した。僕が、彼女と彼に出逢ったのは、大学に入学した頃であった。そして、彼女と彼が僕と出会ったことによって、彼女と彼の関係は、少し変化した。なぜならば、彼女と彼の間の閉じられた関係に、部外者として僕が新たに加わったからである。
結論から言えば、彼女が彼に持つ好意は変わらなかった。彼女は彼を家族のような存在として認識することになり、彼が彼女に持つ性的な願望は果たされなかった。なぜならば、彼女は僕と付き合うことになったからだ。
彼女の名前は、ユミと言った。ユミは、僕にとって3人目の彼女であった。
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