『オシムジャパンよ!』(フィリップ・トルシエ著)
アスキー新書から出版された『オシムジャパンよ!』は、元日本代表監督のトルシエからのメッセージである。
読めば読むほど、トルシエは、現在の日本代表のことを、よく分析しているし、課題も的確である。それだけに、トルシエは、かなり、日本代表のことを愛着を持って、ウォッチしていることがわかる。
とらえ方を変えれば、「今の日本代表の基礎は、俺が作ってきたんだぜ」という自負心が伝わってくるところがある。特に、彼の実験室で育った選手たちの世代が最も輝くはずのドイツ・ワールドカップの失敗について、ジーコのことを擁護しつつも、ジーコは、まだ早かったと言っている。
ジーコについては、どちらかといえば、ベッケンバウアーやプラティニと同じように、スタッフの上に立つ存在であり、テクニカルな仕事は不向きなタイプであったと言っている。ベッケンバウアーやプラティニには、戦術やフィジカルトレーニングを指示し、プログラムを作ることのできる、ベルティ・フォクツ、ホルガー・オジェック、ジェラール・ウリエのようなアシスタント・コーチがいたが、ジーコには、そのようなコーチがいなかったと述べている。この点は、大きく賛同する点であり、ぼくも、このブログで、ジーコのままで戦うのであれば、優秀なアシスタント・コーチの任用を提言してきた。
もう一点、ジーコは、「日本の未来」のための準備はせず、今を戦うことだけしか行ってこなかった、という批判をしている。
その点で、オシムは、大変な時期の監督であると述べている。結果を出すことと、選手を育成することの2つを同時に進めていかなければならないのだから。
トルシエは、アジアカップでのノルマは、ベスト4であると述べている。これを達成しなければ、マスコミの無責任な糾弾により、オシムは、代表監督を引きずり降ろされるだろう。これも、ぼくも同感である。
日本サッカーにとって、何が大切なのか、ということは、最終的には、ワールドカップで好成績を残すことであり、持続可能性である。そのためには、継続的な世代交代を進めていかなければならない。その過程では、結果を残せない場合もある。
日本サッカーの「未来」を考えれば、短期的に、一喜一憂するよりも、長期的なビジョンで強化を進めていかなければならないことを、まず、マスコミが知らなければならないだろう。
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