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Office2007

 出張中も、飛行機の中で博士論文が書けるように、新しいノートパソコンを購入しました。今度は、B5サイズのレッツノートです。これからは、VAIOは、自宅で使用して、レッツノートはモバイル用にします。
 さて、購入したとき、Office製品が入っていなかったので、本日発売のOffice2007をインストールしました。まだ使い慣れていないせいか、使いこなせていませんが、なかなかのヴァージョンアップで、これからが楽しみです。

 もう少ししたら、ビスタもインストールの予定です。

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抜歯

 今日は、奥歯を抜きました。あともう一本抜く予定です。
 奥歯は、もうぼろぼろだったようで、ほとんど使えない状態でした。確かに、この1年ぐらいは、左側で、物を噛むことはできませんでした。右の奥歯もぼろぼろになっています。

 麻酔のときは、ちくっとしましたが、いつ抜いたのかわからないぐらい、すぐに、痛みもなく、抜けました。

 年末年始に悩まされた歯の痛みは、神経が腐っており、炎症を起こしているようで、今は、どうにか収まっている状態です。こちらも同時進行で治療しています。

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白州次郎 占領を背負った男

北康利『白州次郎 占領を背負った男』、2005年、講談社

通商産業省を設立したのは、実は、白州次郎だった、ということがわかります。
白州次郎が、貿易庁長官となった際に、商工省を組み込んだ、大規模な組織改変を、迅速に決行したという話です。

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 「今の日本にとってもっとも重要なことは、輸出産業を振興させて外貨を獲得し、その外貨でさらに資源を購入して経済成長にはずみをつけることだ。ところがこれまでの商工省の施策は国内産業の育成が中心だった。これからは、貿易行政があって産業行政があるというふうに百八十度考え方を変えていかなければ日本という国は立ち行かない。だから・・・」
 
 そこで息をちょっと継ぐと、

 「占領下で動きの取れない外務省も、軍需省の尻尾をひきずる商工省も、ともに潰して新しく貿易省を作る!」
そう一気に言ってのけた。永山は全身に鳥肌がたった。純粋に国の将来を思う情熱、先例や常識をかなぐり棄てた構想の合理性、先進性、それは新鮮な驚きであった。
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 国家を思う情熱、未来への想い、こうした信念を持つ、そして、野武士的な国家官僚が、現代の官僚組織にも、多くいます。こうした人たちが、政策の中枢で働けるような環境を作ることこそが政治の役目であると考えています。

 時代や環境が変われば、具体的な政策手法や考え方が変わるのは当然です。より、イノベーティブでなければならないと思います。ただ、国家官僚としての「魂」や「理念」は、白州次郎が込めたのスピリッツをいつもでも大切にしていかなければならないと思います。

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MEGAマック

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今日は、マクドナルドで、メガマックのセットを注文。昨夜、23時頃に、新橋のマックで、初めて、メガマックというものを知ったのですが、数量限定で、残念ながら、食べることができませんでした。

そのために、「再チャレンジ」したわけではなく、たまたま空いているお店が、マクドナルドしかなくて、2日連続ながら、ポテトを食べてしまいました。マクドナルドのポテトは、なぜか、週に一度は食べたくなってしまう感じで、すっかり、アメリカナイズされた感があります。

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さて、メガマックですが、両手を使わなければ食べられませんでした。米国で食べるハンバーガーよりは、小さいのですが、食べ応えはあると思います。

マック好きなあなたにはオススメです。

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出馬の件

 今年は、選挙の年ということで、夏までは、大きなところでは、統一地方選挙、参議院選挙、このほか、市長選挙、知事選挙などがあったりします。自身の出馬に関しては、年末から熟考をしております。いろいろな方に相談にも載って頂き、皆様から温かい叱咤激励を頂いております。

 残された時間も限られており、そろそろ、自分の中で、自分の気持ちを固めなければいけないと思っております。そのときが来たら、この場でも、自身の気持ちを表明したいと考えております。

 米国大統領選挙では、早くもヒラリー・クリントン氏も事実上の出馬宣言をいたしましたし、オバマ氏もその日は近いようです。共和党では、マケイン氏とジュリアーニ氏ということで、現役の正副大統領が出馬しないという状況の中で、混戦を誰が勝ち抜くのか、ということは、かなり面白い選挙戦になると思います。

 このように、米国のリーダーは、1年以上もの選挙レースを堪え、民主主義の洗礼を受け、選ばれていきます。日本も、このように少し長い時間をかけて、リーダーを選び抜いていくというシステムが重要な気がしています。そのレースの中で、堅固な政権構想を作っていくし、人事も行っていくわけです。

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大きな米国 小さな僕 の冒険 第2章

 まだ確定ではないのですが、本日、急展開があり、もしかすると、「大きな米国 小さな僕の冒険」の第2章を書くことになるかもしれません。こんどは、フロリダ編です。

 それと、まだ、正式なタイトルは決めていないのですが、「欧州 遥かなる大地」も書くことになりそうです。行き先は、パリとブリュッセルの予定。個人的には、ユーロスターに乗りたいと思っておりますが、少し難しそう。

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そのまんま知事誕生

2007年、最初のビッグニュースは、「そのまんま東知事」の誕生でした。実は、密かに、「そのまんま知事」誕生というサプライズがあるかなと、選挙前から思っておりました。
獲得票数を見ると、

そのまんま東 候補 26万6807票
川村秀三郎  候補 19万5124票
持永哲志    候補 12万 825票
津島忠勝    候補  1万4358票
武田信弘    候補  3574票

このように考えると、川村さんと持永さんの保守をまとめることができれば、31万5949票と、5万票は、そのまんま候補に付けられたという計算になる。ただ、川村さんに入った票には、自民党支持層だけではなく、民主党支持層の票も入っているはずなので、持永氏に統一したとして、この5万票をどこまで守れるかは不明だ。

もうひとつは、いわゆる「雪崩現象」すなわち、勝ち組に乗れ、という現象もあったように思える。自民党支持層の票も、そのまんま候補に入っているからだ。その意味では、前日までの「そのまんま候補横一線、わずかにリード」という報道が、バンドワゴン効果をもたらしたのは言うまでもない。つまり、そのまんま候補の当選は、マスコミが果たした役割も大きい。

現代の選挙戦の難しさを、教えてくれた宮崎「そのまんま」選挙でした。実は、実現しなかったのですが、私も宮崎入りという計画がありました。一日だけの予定で、選挙区に入り、情勢分析及び選挙応援をするということを検討しておりましたが、スケジュール調整がうまく行かず、断念しました。

さて、次は愛知県知事選挙、北九州市長選挙、4月の統一地方選挙、そして、7月の参議院選挙。選挙が続き、安倍政権にも修羅場が続きます。でも、「増税」の議論の準備だけはしておかなければいけません。突然、増税はできないからです。

個人消費の弱さについて、どのように克服するかですが、もし、非ケインズ効果みたいなものがあるとするならば、一気に増税した方が良いかもしれません。

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半島のさき~最終章

さて、8月以来、休筆中の「半島のさき」ですが、現在、最終章の構想をまとめており、なるべく早い時期に連載を再開したいと思っております。主人公の僕は、サキを見つけ出すことができるのか、そして、その先に待ち受けている運命とは、幸せの結末なのか、もしくは、残酷な運命なのか。

これまでのストーリーを若干振り返ってみると、

①前作「今夜、夢の中で君に出逢う」で、僕は、自分の中に存在する大きな欠落を認識することになる。そして、自分には、何が必要なのか、誰が必要なのか、ということを知り、その気持ちに正直に生きようとする。

②「半島のさき」では、自分が愛し、必要だと感じる女性に、自分の気持ちを伝えるが、相手からは拒絶されてしまう。そして、再び、主人公の僕は、自分の心の中に閉じこもってしまう。主人公の僕には、回復する時間を必要としていたのであった。

③そのような中、大学の先輩である神山さんに連れられ、飲みに行く。その店で、サキという女性に出会う。そのサキが、僕に言った言葉(「光の届かない暗い闇の中でも、もがいて、そして光を掴もうと必死に手を伸ばせば、必ず、あなたはその暗闇の中から出られると思うわよ」)は、僕に一筋の希望を与えることになる。

④主人公の僕が愛していたナツコさんとの人間関係が、完全に終わったとき、僕の前に、再びサキが現れる。サキは、僕に、次のようなアドバイスをする。
 「相手にすぐに答えを求めること。それが相手を追い詰めるのよ。あなたの気持ちは純粋で、相手のことを本当に大切に思っているんだと思う。でもね、あなたは気持ちが相手に入り過ぎて、自分でも気が付かないうちに、いつのまにか相手と同化してしまうのよ。それが、相手にとってはとっても重いの」
 「あなたの気持ちが重いの。だから、あなたを受け入れることが簡単にはできないのよ。もっと、恋愛は軽やかに入るべきだわ」
 「あなたのことをふったその女性も、最初は、あなたに好意を持っていたかもしれないのよ。それは、恋愛の対象であったかどうかは別として。きっと、あなたは惚れやすいタイプなんだと思う。あなたは、人間の良いところを見極めることが自然にできて、しかも、それが得意なんだと思う。だから、あなたは人間の素晴らしい部分に簡単に惚れてしまう。そうでしょ?」
 「だから、あなたは、その女性に惚れた。でも、あなたとその女性の歩くスピードが違ったの。あなたは、いつも歩くのが早い。徐々に距離が開く。その女性があなたに追いつかないままなのに、あなたは次の段階に進もうとする。彼女は当然混乱するわよ。そして、その混乱からあなたへの不信が始まる。こういうことなのではないかしら」
 そして、僕は、サキに惹かれていくのであった。

⑤そして、僕は、サキと共同生活をして、徐々に、回復をしていくのであった。そうした穏やかな日々の中で、サキが行きたいという店に夕食を食べにいくことになる。その店は、ナツコさんの店であった。ナツコさんは、僕に、次のようなことを告げる。

 「なぜ、私があなたの話を聞かなければいけないの?あなたの自分勝手な想いに、付き合わなければいけないのよ。「僕はがんばります」って、それはあなたの問題であって、私には関係ないの。それは、ただの甘えよ。そう、あなたは、結局、恋人に甘えているだけなのよ。自分は、相手のためにがんばるとか、自分の時間を割くとか、恋人のために尽くしているとか、それはただの自己満足よ。誰も、そんなことをあなたに期待していないの。それなのに、自分の自己満足を相手に押し付けて、相手を困らせる。もちろん、あなたの恋人は、あなたのことが好きだし、愛しいと想っているから、多少の我慢をするわよ。初めのうちは、それこそ、自分に言い訳をしながら、あなたの魅力だけを見て、あなたの自己満足に付き合うのよ。でもね、それには限界があるの。ある日、何かのタイミングで変わるのよ。電気の球が突然切れるように。ヒューズが飛んでしまうように。何気ない何かの出来事が起きた瞬間に、目の前のあなたが愛しい恋人から、傲慢なただの男に変わるの。そう、あなたは、ただの傲慢で自己満足で、ナルシスト気取りの最低な男なの」
 「ねえ、いつまで、自分に言い訳を続けるの?いつまで、自分の世界に閉じこもっているつもりなの? 私の友人に、私があなたのことを相談したら、あなたは、私のことを愛しているつもりで、それはただの自己愛なのよ。そんな人と一緒になったら、私が苦労するし、傷つくだけだと言われたの。私も、ゆっくり考えたら、同じことを思ったわ。結局は、あなたが愛しているのは、自分自身だけなのよ。相手のことを考えているふりをして、自分のことしか考えていない。それに早く気が付きなさい」

⑥その後、サキも一通の手紙を残して、僕の前から去る。
 「ごめんなさい。急に帰らなければならなくなったの。さようなら。 さき」

 そして、僕は、再び、大きな喪失感で苦しむことになる。

 神山さんと僕は、サキの家であるはずの住所を尋ねるが、それはサキの家ではなかった。その家は、平嘉夫という有名な作家の家であった。平嘉夫もサキに救われた人間のひとりであった。

 僕は、平嘉夫からの伝言も預かり、サキを探す旅に出るのであった。

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平井堅と勝手にコラボ?

 今回の新作、「愛の流刑地」は、平井堅の新曲「哀歌(エレジー)」を受けて、作ったものです。

 「哀歌(エレジー)」は、平井堅が渡辺淳一の「愛の流刑地」を読んで、インスパイアされたものを、女性の視点から描いたもののようです。これが、映画「愛の流刑地」の主題歌になっております。

 そこで、ぼくは「愛の流刑地」からインスパイアされたものを、男性の視点から描くことで、平井堅の「哀歌(エレジー)」への返歌とすることにしました。ということで、勝手にコラボ企画という形で作詞しました。

 ぜひ、平井堅の「哀歌(エレジー)」を聞いた後に、この作詞も読んでいただいて、視点の違いを堪能しながら、渡辺淳一の「愛の流刑地」を読んでください。

 今回の最初の構想は、ギリシャ神話の物語をモチーフに、人間関係の儚さや疑心などを描こうとしていました。例えば、オルペウスの話やアポロンの話をモチーフにしようと思っていました。人間の知恵というものは、大きな感情の前では無力であると、最近、考えています。そして、相手への疑念や疑心というものは、取り返しのつかないことをしてしまう、それを悔やんでも、哀しいけれど、どうしても取り戻せない、という部分を描こうと思っていました。人は、いくつもの、そうした心の傷や哀しみを持って、生きているものなんだろうと思います。

 ただ、人間は、「愛する」ということなくして、生きていくことはいけない、とも思います。

 光もなく、音もしない、漆黒の闇の中で、人間は、ただ一人、生きていくことができるのか。そして、その人間が、深い哀しみを持っていたとしたら、何が、その人のことを支えることができるのだろうか。その唯一の答えかもしれないのが、「愛」なんであろうと思います。

 もちろん、「無償の贈与」は、神でしかできないことで、弱い人間には難しいです。どうしても、何かを期待するし、得たいと思っている。つまり、人間が行う贈与とは、「好意の「交換」」であるというのが、中沢新一先生の説です。「好意の「交換」」とは、打算的であるとかそういうことではなく、もっと人間の本質の部分に関わる問題です。

 贈与の相手に裏切られても、好意を踏みにじられたとしても、それを許せることができるのは、神だけであり、もしかすると、キリスト教では、この原罪を背負ったのが、イエス・キリストである、ということなのかもしれません。

 人間は、本当に弱い生き物で、さまざまな感情を持っています。この「好意の交換」を成り立たせるためには、信頼が不可欠ですが、得てして、人間は堕落し、時にして自制心を失います。聖書の物語では、このような場合に、必ず、天罰が下り、アダムとイブは楽園を追放され、バベルの塔は崩壊し、ソドムの街は滅亡します。ルカによる福音書第10章では、こうした信頼・「贈与」に関する規律を述べているように、ぼくは理解しています。人間は、弱さゆえに、好き勝手な生き物であります。ぼくも、そんな人間の一人であるし、愛しく感じます。だから、「好意の交換」をしたいと考えるわけでありますが、なかなかうまくいかない。そこが、非常に悩ましく、そして哀しくなるのです。

 こんなことを考えつつ、渡辺淳一の「愛の流刑地」、平井堅の「哀歌(エレジー)」にインスパイアされた作詞が、新作「愛の流刑地」です。

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愛の流刑地

Lyrics by Shumpei Yaoita

もうどのくらい前になるだろう
最初に逢ったときから
何か気になる感覚を覚えたんだ

それから幾つか季節が過ぎて
遠い存在だった君に
少しずつ近づけた それだけで
たまらなく嬉しい そんな毎日だった

どんなに手を伸ばしても
月にはきっと届かないように
僕の心の声も君には届かない

これが叶わぬ愛ならば
いっそ忘れた方が楽なのに
そんなことはわかっているつもりだけど
なぜか愛することを続けてしまうんだ

やはり切なく哀しくなってしまう
君が愛を捧げる人のことを
勝手に思い描いて苦しくなるんだ

僕が中途半端なままで
時間だけが過ぎていき
気持ちを整理しないまま
いつのまにか君を傷つけていた

君の笑ったり ふくれたりする
その表情がどれも愛しくて
たまらなくまぶしく映るんだ

せめて僕が何かできるとするならば
陰でそっと君の事を支えることぐらい
ほら暗い闇の中で ただ一人
君のこと思い描いて光を探すんだ

何も得られないことがわかっていても
何も期待できないことがわかっていても
この愛を追い求めることが
いかに刹那的であっても
僕はこの愛に素直に殉じたい

決して実らぬ愛ならば
いっそあきらめた方が楽なのに
失うものさえも まだ 手に入れていないのに
これが君が与えた罪ならば
この愛に殉じたい ただ一人
この愛だけを静かに胸の中に抱えていく
ほら暗い この果てない流刑地で

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火事の夢

 昨晩、こんな夢を見ました。

 時代は、江戸時代らしいのですが、主人公は、大きな火事が起きたということで、駆けつけることに。そうすると、大きなお寺が焼けていて、国宝級の重要文化財がしまわれている倉庫も炎に包まれ、仏像も炎の中に、なんとなく、悲しまれている表情をされていました。

 周りには、すでに、火事の後の片付けをするために、穴を掘ったりなどの作業をしています。

 この火事の後始末をする集団がいくつもあって、その縄張り争いをしている様子。主人公は、本宮ひろしの『朝まで寝太郎』とか、『夢幻の如く』の信長、『猛き黄金の国』の岩崎弥太郎とか、斎藤道三のような感じで、少しアウトローなキャラで、その縄張りを仕切るために、駆けつけてきたわけであります。

 すると、急に、大雨が降ってきます。そして、奇蹟が起きてきた如く、炎が消え去ります。そして、近くには、雷雲で、雷が響いています。何度か落雷があります。それを収まるのを確認すると、お寺は無事なままであった。

 そして、ぼくは、仏像が、仏様が、無事であったことを喜び、そして、涙を流して、泣くのでありました。「本当に良かった」と。

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あなたのいない金曜夜にいいかげん退屈していたところです

 この2年間、あなたのいない金曜日、どんなに退屈をしていたことでしょうか。
 しかし、あなたは、私たちの前に、再び、戻ってきてくれました。なんと、喜ばしいことでしょうか。

 待ちに待った、「特命係長 只野仁」のサードシーズンが、1月11日の夜から始まりました。沈み込んでいたぼくの気持ちを、少し癒してくれる、そんな只野係長。

 第22話のゲストは、つぶやきシローと長澤つぐみ。二人の演技は、大変良く、ドラマも緊張感がありました、永井大も、『黒い太陽』のときのような空回り度合いもなく、自然に溶け込んでいました。やはり、永井大は、森脇役がお似合いのようです。ただ、そろそろ、高橋克典もアクションシーンが大変そうなので、そのあたり、永井がフォローしてくれると良いのではないかと思います。

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「情報通信省」構想

 さて、本日の読売新聞に、菅大臣が、インドのチェンナイで、「情報通信省」の創設を検討することを発言したという記事が掲載された。この発言については、日本経済新聞でも取り上げられている。

 この情報通信省構想、これまでも何度か噂にはあがり、立ち消えているという構想だ。池田信夫氏は、「冬になると出てくるお化け」と言っている。この数年で、今回も含めて、すでに3度目に出てきた「冬のおばけ」である。

 そもそも、情報通信分野の省庁統合は、橋本行革時の省庁再編議論の発端になったと言われている。さまざまな綱引きの結果、旧郵政省が持っていた放送や通信免許の行政権限は、旧郵政省が旧自治省と旧総務庁とで統合された総務省が持つことになった。

 次に、この構想が出たのが、2004年1月の経済財政諮問会議で、小泉総理が発言したものであった。そして、2006年1月には、当時の竹中総務大臣がテレビ番組の中で、「情報通信省」構想を提案している。2005年の1月は、郵政民営化のプロジェクト展開中で、「それどころではなかった」と考えるのであれば、少なからず、2004年から、新春の恒例行事となっている。

 私も、昨年、上梓された『「小泉改革」とは何だったのか』の中で、情報通信省構想を提案しており、基本的にはこの構想は進めるべきであろうと考える。ただ、まず、大枠の段階で、検討をしなければいけない議論のポイントは、下記の2点がある。

 (1)「情報通信「省」」にすべきなのか「情報通信「庁」」なのか
 以前、私が「情報通信省」のアイディアは提案した時は、その下敷きに、中央省庁を、1府6省に再々編することを視野に構想を描いた。(1府6省については、本の中には書いていない) さらに、この1府6省庁の前提には、道州制の導入などによる完全な地方主権国家が下敷きになっている。つまり、中央省庁の所管事務の多く(特に、現業部分や「執行機能(exective function)」)を、各道州政府もしくは基礎自治体に移管。それに伴い、中央省庁の地方出先機関は廃止することを念頭に置いている。そこで、情報通信分野の政策企画、立案、ルール設計と監視を行う「省」ということで、「情報通信省」を、1府6省の中のひとつとして提案したものである。
 しかし、この段階まで行くには、道州制を実施しなければならないなど、多くのクリアすべき課題がある。この点で、現段階で議論するということであれば、「情報通信省」ではなく、「情報通信庁」なのではないか、と思われるのである。「省」と「庁」は、国家行政組織法の第3条によって、規定されている。

第3条  国の行政機関の組織は、この法律でこれを定めるものとする。
2  行政組織のため置かれる国の行政機関は、省、委員会及び庁とし、その設置及び廃止は、別に法律の定めるところによる。
3  省は、内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれるものとし、委員会及び庁は、省に、その外局として置かれるものとする。
4  第二項の国の行政機関として置かれるものは、別表第一にこれを掲げる。

つまり、第3条の3の規定から、「省」と「庁」の権限は、大きく違うものであることがわかる。また、「省」の大臣と「庁」の長官の権限は、下記の第11条から第13条までの規定を見れば、明らかに異なる。

第11条  各省大臣は、主任の行政事務について、法律若しくは政令の制定、改正又は廃止を必要と認めるときは、案をそなえて、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めなければならない。

第12条  各省大臣は、主任の行政事務について、法律若しくは政令を施行するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基づいて、それぞれその機関の命令として省令を発することができる。
2  各外局の長は、その機関の所掌事務について、それぞれ主任の各省大臣に対し、案をそなえて、省令を発することを求めることができる。
3  省令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し、若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。

第13条  各委員会及び各庁の長官は、別に法律の定めるところにより、政令及び省令以外の規則その他の特別の命令を自ら発することができる。
2  前条第三項の規定は、前項の命令に、これを準用する。

 つまり、「省」なのか「庁」なのか、ということは、大きな違いなのである。こうした「省」と「庁」の機能を、再度、整理した上で、「情報通信省」とするのが良いのか、「情報通信庁」とするのが良いのか、ということを検討するべきであると考えられる。また、「庁」にすべき場合は、内閣府の外局なのか、経済産業省の外局とするのか、など、どの省の下に置くべきなのか、ということを、政策上、最も効果的な配置になるように考える必要がある。

 (2)公正取引委員会の機能をどのようにするのか。
 菅大臣の発言を受けての各新聞記事の報道では、内閣府、経済産業省、総務省、文部科学省は挙げられていた。しかし、今後の産業政策で重要になってくるのは、むしろ、市場ルールの設計と監視に関する企画立案機能であるので、この点では、公正取引委員会の役割も重要になってくる。この点も鑑み、「情報通信省」もしくは「情報通信庁」の機能や役割、所管事務の範囲を検討し、どのように統合するのか、というグランドデザインが必要であると考えられる。

 個人的には、知的財産政策に関する政策の一元化を図るために、文化庁と特許庁の取り扱いに関しても、重要な議論のポイントになると考えられている。

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考えたこと

グローバル化、高度情報化、さらに社会の成熟化、価値の多元化などの現代のさまざまな社会特性の変化に伴なって、人々は、従来の「共通のアイデンティティ」よりも、さらに特化した価値の追求を行う。このとき、「共感」や「互酬」という強い社会的関係資本に基づき、限定的で特化された価値観をコアとした新しいコミュニティが重複的に創出されることを意味する。

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プリズン・ブレイク

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 このお正月は、歯痛で、死に掛けました・・・。この歯痛は、29日の朝からひどくなり、30日の朝に、ほぼ泣きながら、歯医者にかけこみました。休日診療だったので、レントゲンは撮影してもらえず、とにかく、神経の近くに炎症が起きているということで、ちょうど、銀歯のところだったので、かみ合わせの微調整をしてもらい、炎症を抑える薬と鎮痛剤を処方してもらいました。ほぼ、戦場状態であります。

 原因は、いくつか考えられるけれども、たぶん、ストレスではないかと思います。ストレスが溜まり、限界を超えると、身体に異変が起きるというのが、最近のパターンです。夏には、身体中に発疹が出て、やはり、休日診療で皮膚科に行き、症状は1週間以上、治まらなかったわけです。肌は治りましたが、傷跡は、実は、今でも残っていたりします。

 その前が、2004年当時の偏頭痛と目の痛み。ひどい時には、「ものもらい」になったし、頭痛は、目の奥でジーン、ひどい痛みがあり、毎日、ブルーベリーが欠かせなかったのが昨日のようです。

 さて、話は年末に戻りまして、29日は、昼に、我慢を諦めて、ヴァファリンを飲みました。それで、なんとか、約束をこなしました。29日の夜中に、再度、ヴァファリンを投与して、とにかく、眠りにつきました。

 今回の歯痛は、ほっておくと、頭まで痛みが響き、とりあえず、寝られない、ということでした。歯痛に効くツボなども押しながら、対処していましたが、限界を超えて、30日の朝に歯医者に担ぎこまれました。30日の午後にも約束があったので、処方してもらった薬で痛みをごまかし、丸ビルで京料理・豆腐を食べました。(先方に、大変な気配りをしていただきました。ありがとうございました(ペコリ))

 31日の痛みは最悪でした。午前中は、薬を飲むために、パンを食べるも、パンが口の中の水分を吸い取り、さらに、ひどい状況に。事実上、噛む事ができないので、パンを小さくちぎって飲むという方法に切り替えました。(本当は点滴するのが一番なんでしょうけど) 夕方は、先輩方から連絡があり、銀座に出掛け、お鮨を食べました。本当は、鰻のはずでしたが、鰻屋さんは閉まっており、お鮨屋さんに変更になりました。この頃は、薬の効き目は、約4時間ぐらいでした。1日3回の薬なので、本当は、8時間は効くはずなのですが、飲んで、1時間ぐらいで効いてきて、3時間ぐらいは、楽になり、それを越えると、徐々に痛みが激しくなる繰り返し。これは、定期的であることがわかったので、タイムコントロールをして、対応しました。

 1日も痛みは治まらず。2日も痛みは治まらず。3日も痛みは治まらず。ほぼ、薬を飲んでは寝るという生活をしました。というのは、薬を飲んでいるときにしか、眠れないので、とりあえず、薬を飲んで寝て、起きて、ご飯を食べて、また寝るという繰り返しでした。

 こういう状態なので、口も動かすことができず、話もできない状態でした。ようやく、薬の間隔が長くなってきており、それまで、歯痛と頭痛で集中できず、何もできなかったのですが、薬が効いている間は作業が少しずつできるようになってきました。いまでも、硬いものは噛めないし、炎症を起こしている側の歯では噛めない状態です。

 このような中、心を癒してくれたのは、プリズン・ブレイク。米国のTVドラマです。刑務所からの脱走大作戦なわけですが、その裏側にある、いろいろな陰謀とか人間の気持ち、思惑とか、そのようなものがちりばめられていて、人間ドラマとしても面白いと言えます。

 まあ、プリズン・ブレイクというよりは、むしろ、デンタル・ブレイクだった年末年始であったわけです。
 (これから、デッドライン(原稿の締め切り)・ブレイクも迎えるかも!?)

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アジアカップに向けて

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7月のアジアカップのノルマは、「優勝」ということになる。もちろん、これまでより、1年早い間隔での開催で、この大会だけで、監督評価を行うことも危険でもある。これまでは、トルシエもジーコも就任2年目の中間・折り返し地点であった。これと同じ事を、オシムに求めるのは、酷な気がする。しかし、同時に、この大会で結果を残すことは、今後の強化プランに大きな影響を与える。

アジア王者として、コンフェデレーション・カップに出場できるのは、公式戦で世界の強豪と対戦ができるということだけでも、大きなメリットとなり経験になるからだ。

そこで、アジアカップは、「優勝」するしかない。つまり、今年は、目の前の結果の追求と長期的な強化を、同じベクトルの中で、バランスを持たせて、進めていかなければならない、ということである。

ワールドカップ・アジア予選に向けて、2010年の日本代表の基本型を作ることが必要である。その点では、もちろん、海外組は無条件でポジションを取れるということはないが、海外組の合流と融合の実験を行う場として、アジア・カップを位置づける必要がある。

いま、海外で召集できるとすれば、高原と中村俊輔である。それに、稲本、中田浩、松井も招集される資格はある。また、Jリーグでも、小野は復調次第では召集するべきである。

結果を出しつつある、オシム・ジャパン。先日のサウジアラビア戦では、ようやく、つかめてきたということであろう。アジアカップを飛躍の舞台とするべく全力を注ぐべきであろう。

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「美しい言葉」はいらない

 最近、いくら言葉を飾ったとしても、行動や態度が伴わなければ、何の意味がない、ただの「安っぽい」ものだということを思った。「言行一致」して、初めて、「言葉」は意味を持つものなのだ。

 いくら、美しくても、飾っていても、それは、モノの価値そのものが「美しい」ものではない。

 安倍首相の言う「美しい国」とは、国際的に評価される、ソフトパワーを持とうということなのではないかと推察する。

 確かに、ぼくの米国に対する評価は、訪問前後で大きく変わった。たぶん、明治初期の岩倉使節団が感じたであろうことと、同じ事を痛感した。そして、ジョセフ・ナイの言う「ソフトパワー」の意味がなんとなく肌で実感した。

 いま、ポップカルチャーや文化という点で、「ソフトパワー」という言葉が使われることも多い。しかし、「ソフトパワー」は、それを含むが、それだけではない。民主主義や法制度なども含まれる。
 
 日本が、こうした世界に誇れる「ソフトパワー」を発信できるようになることこそが必要なのだと思う。重要なのは、外見ではなく、中身なのである。

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本年の目標(日本サッカー編)

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本年の目標は、アジア杯の優勝です。2連覇中のディフェンシング・チャンピオンとしては、確実に、優勝を取りにいくということが必然的な前提となります。負けは許されない、ということです。2010年の南アフリカ大会を目指すにあたって、ここを落とすようなことがあってはならない、ということです。

次に、五輪予選の突破を目指すということです。こちらは、U-22の目標となります。そして、U-18やU-19のチームについては、それぞれの世代のワールドカップでとにかく決勝トーナメントに進出することが求められると思います。

そして、クラブチームについては、浦和にACLの制覇を達成し、クラブワールドカップに出場するという念願を目指すということです。

とにかく、代表強化も、海外の強豪と試合を行い、選手の幅広い発掘とレベルの底上げ、そしてチーム作りをしていかなければいけないと思います。

2007年は、日本サッカー界にとって、極めて重要な勝負の年となります。

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新年のご挨拶

Shumpei07 新年あけましておめでとうございます。
 旧年中は、1年間、本ブログをご愛読いただきまして、ありがとうございました。
 10月以降は、毎日の更新もままならず、ご迷惑をおかけいたしました。
 本年は、引き続き、毎日の更新は難しいかもしれませんが、日々、ポリシーウォッチのひとつの「メディア」としての役割を担いつつ、さまざまな情報発信を行っていけるように努力していきたいと思いますので、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 さて、年頭におきまして、挨拶の代わりに、一言、本年の主に経済政策に関するポイントをご紹介申し上げたいと思います。

 今回の景気拡大は、実のところ、いつまで継続するかが、この2007年の経済政策上の最大の関心事であると思います。特に、統計的なポイントは「個人消費」であると考えられます。景気拡大の波及が、「個人消費」にどのように結びついていくのかという点になります。さらに、2007年は、シャウプ税制改革以来の抜本的な税制改革の議論を真剣に始めていかなければならないという年でもあります。マクロ経済全体のバランスを睨みつつ、今後の社会構造の変化に堪えうる「骨太」の制度、経済政策を設計していかなければなりません。

 また、本年より「三角合併」が法律上、解禁になり、M&Aの動きもより活発になるものと考えられます。このような中で、わが国の産業政策論、産業組織論を、どのように位置付け、具体的な政策論に落とし込んでいくのか、ということも重要になってきます。

 すなわち、経済政策論も、マクロ的な経済政策論だけではなく、ミクロ的な経済政策論も重要で、両方の視座を置きつつ、有効に結びつけて、政策論を進めていく必要があると考えられます。

 私自身も、このブログを通じて、常に、政策をウォッチし、分析をし、提言をするという活動を続けてまいりたいと考えております。

 さらに、2007年の私の研究テーマは、「「自由」を追求していった先にあるものは何か」という問題です。この点は、私有財産権に基づいた経済体制下において、政策そのものを設計していく際に避けては通れない課題であると思います。同時に、個人の経済的合理性という意味を改めて問い直したいと考えております。

 現在は、アマルティア・センの「リベラル・パラドックス」の問題を、どのように超えるべきなのか、ということ、ケネス・アローの「一般不可能性の定理」の問題を、どのように超えるべきなのか、ということについて、考察を行っております。

 この点は、今後の経済政策論で、とりわけ制度設計の点で、重要な議論のポイントになるものと考えられます。

 本年も、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 矢尾板俊平

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