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街を歩こう:国破れて山河あり編

 さて、九州から戻った翌週には、福島に仕事で行ってきました。ちょうど、前日からは、小泉総理が会津に着ていた6月第1週の土曜日です。

 朝の8時前に東京を車で出たのですが、都内が混雑していて、東北道に入るまでに1時間ほどかかってしまいました。いつも土曜日の朝は、後楽園のところから、ぼんやりと高速道路を眺めていて、「混んでいるなぁ」と思っているのですが、まさか、今日は、自分がその中に含まれるとは思ってもみませんでした。

 結局、福島市内に到着したのは、11時過ぎでした。福島駅の近くのおすし屋さんがお勧めのようで、そこで、にぎり鮨をつまんで、最初の目的地に向かいました。

 夕方前に用事が終わり、ここまで来たからには、昨日、小泉総理も来ていたわけだし、司馬遼太郎の『王城の護衛者』に心打たれた松平容保ファンとしては、ここは会津に行かなければいけないということで、磐越自動車道に乗り、会津に行きました。

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 とりあえず、小泉総理の足跡を辿りたいと思い、野口英世記念館に向かいました。小泉総理が、野口英世記念館で何を想ったのか、そのあたりのことを考えて、野口英世博士という日本が世界に誇れる偉人のひとりについて、ぼくも考えました。学問とは、社会に役立たせてこそ、その意義があるのだろうと思います。自分の知識、知見を、社会の人々のために、どのように使うことができるのか、研究分野は違いますが、学問をする心構えというか覚悟を改めて感じたわけです。

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 磐梯山と猪苗代湖は、とても素晴らしかったです。思わず、「感動したっ!」と叫びたくなるほどです。会津地方というのは、福島県ではあるのですが、文化圏としては、福島市とかいわき市よりも、米沢市や新潟の方が近いのかなと思いました。たぶん、峠をひとつ越えれば米沢藩だし、交通の要所でもありますよね。だから、松平家が治めてたのでしょう。また、別の峠を越えれば、新潟で、こちらは、越後長岡藩。河井継之助のお話、司馬遼太郎の『峠』の世界ですね。奥羽列藩同盟の中心地であったわけです。新撰組も、ここまで来ていて、会津戦争にも参加していたはずです。土方歳三は、宇都宮で戦って、その後、この会津に来て、そして、石巻の艦船を奪って、函館にたどり着くルートだったのではないかと思います。司馬遼太郎的にも、このあたりからクライマックスに向かって、かなり迫力が出てきますよね。(『燃えよ剣』)

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 会津に入る前に、喜多方ラーメンを食べました。ずっと、車の運転のしっ放しだったので、休憩とちょうど夕飯時でした。あたりは、徐々に、夕闇から本当の闇に変わっていきました。会津の鶴ヶ城に到着したのは、すでに夜になってしまいました。会津には、新撰組遭難の場所や松平家代々の墓地があったりと歴史がつまっています。あとは、飯盛山ですね。鶴ヶ城付近は、昔ながらの街並みでした。ここに、松平容保がいて、最後に、新政府軍と戦ったわけです。目を閉じると、その風景が徐々に色づいてきたわけです。

 次回は、ゆっくりと来て、もう一度、歴史のメッセージを聞きたいと思いました。先週は長州藩で、今週は会津藩と歴史の皮肉というか、妙な一致というか、不可思議な連続性に、ぼくは、何かしらの運命を感じるのです。ちなみに、7月2日は京都に行き、2月には北海道に行ったので、約140年前の歴史の舞台を運命的に歩いていることになります。

 悠久の大河ロマンの旅をこれからも続けていきたいと思いました。

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