WEB2.0の批判的論調
先日、まろまろ氏と最近のWEB2.0についての批判的議論をしました。
SNSとかブログとか、それはわかるのですが、それって、概念的には、別に新しくないじゃないかと。
インターネットって、そもそも、そういうものでしょう、と。
じゃあ、WEB1.0というのは、どのように概念的定義ができるのか、そして、敢えて、議論の土台に上がれば、なぜ、WEB1.1とかWEB1.5とかではなく、WEB2.0なのか。それを論証して欲しいです。
ぜひ、WEB2.0にお詳しい方から教えていただきたいです。
それと、ぼくも「ツナガっていたい人たち:ネットワーク依存症 ≒ セックス依存症」や「ネットワーク依存型社会のはじまり」で書いたり、まろまろ氏が「ノリシ論~ツナガリとノリシロ~」が書いているのですが、ネットワークを作ることそれ自体が自己目的化することに、僕は違和感を持っています。
ネットワークというのは、そもそも手段であり、目的ではないのです。
「~~するために、ネットワークがある」わけで、「ネットワークを作るために、~~」というのでは、決してないのです。つまり、「ネットワークを作ろう」というのは、コアのところに、何かしらのメッセージなり魅力、求心力があるわけで、(まろまろ氏的には、「ノリシロ」)、それがない限り、ネットワークは空虚なのであると思うのです。つまり、ネットワークとは、そのものに価値があるのではなく、そうしたコアの部分に価値があると思うのです。
「ネットワーク作りたいですねぇ」、「ネットワークは重要なんですよぉ」という人がいますけど、ぼくはネットワーク作る前に、まずは自分の魅力を高めることが重要なのではないかと思うのです。たぶん、魅力があれば、作ろうと思わなくてもネットワークって作られるものだと思うし。「ネットワーク」とは、「場」であり、「舞台」なのであって、良い脚本があって、良い演出があって、良い演技がなければ、芝居は始まらないわけなのです。
だから、がんばることは、素晴らしい「舞台」を作ることよりも、良い脚本を書き、良い演技をするためのトレーニングをすることだし、良い役者、監督、演出家に、そこで芝居を作りたいと思わせることなんだろうね。


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