正しいコミットメントの在り方
河合隼雄さんは、「村上さんの『小説家になって』のコメントのなかの『反抗しようにも反抗すべきものがもうそこにほとんど残っていない』という言葉が印象的でした。おそらく、これは現在の多くの若者が感じていることに重なるのではないでしょうか」と述べている。そして、「『自分なりのスタイル』を築くために、自分全体をあげてのコミットメントをしなくてはならなくなる。そしてそこから自分の『作品』が生み出される」と言っている。その上で、「「反抗」などというスタイルをとらず、「自分のスタイル」を打ち出す、という形で、既存の社会や文化の底を割って、それが姿を露呈してくるような若者のムーブメントが生まれてきてほしいのです」と言っている。つまり、この発言は、全体の中の個とか個性のようなものの確立ということが、コミットメントにおいて、非常に重要なのだろうと理解できる。
スポーツは、確実に相手がいる。つまり、自己認識ということが、相手の概念に取り込まれない形で可能だ。だからこそ、比較的楽に、コミットメントすることができるのではないだろうか。しかし、相対的また多元的な価値観の中の政策論争においては、もちろん「体制」と「反体制」のような二分法で自己認識を確立できるように思えるが、河合さんが「「体制」のなかに本質的には組み入れられている」というように、実は、個を確立することは難しい。
このような中で、現代社会というのは、みんなが、「ぼくは/なんのために/存在しているんだ」という根源的な問題に対する答えを、一生懸命になって探している状態なのではないかと思うのである。こうした現代社会に対する不安は、いま日本だけではなく、海外で経済的に発展している国々の若者の中にも、同時代的に共鳴していっているような気がする。
そこで、次は、このあたりのことを、もう少し掘り下げていくことにしよう。
(政策空間7月号所収)
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