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ネットワーク依存型社会のはじまり

 先日、ぼくのブログで「ツナガっていたい人たち:ネットワーク依存症≒セックス依存症」というタイトルのコラムを書いた。社会経済生産性本部が、今年の新社会人は、「ブログ型」とタイプと発表して、「ブログ型って何なんだ」と考えたことを書いた。まだ、あまり、頭の整理ができていないので、ちぐはぐしている文章なのだが、要は、協調と共生は違うよ、ということを言いたいのである。(いま、この原稿を書いているのは、5月19日なので、この原稿が掲載される6月10日までは、さらに踏み込んだ文章が書けると思う→6月10日になったけど、まとまった文章にはなってない)

 本来、通過儀礼としての承認を何度も繰り返される中で得られる自尊感情が、ネットワーク社会の中で誤認された形で、安易に形成されることに危惧を感じている。ネットワークにおける自分の立ち位置なり、自己表現は比較的自由である。それは良さもあるし、悪さもある。ネットワークという果てしなく広大な大地という全体の中で、本当に自分を見つめ続けていられるのか、その全体と自分の関係性を明確に意識できているのか、つまり、自立ができているのかが重要である。「ツナガッている」ことや「ナカマ」であることに安心して、自分を見失っていないか、ということを、常に自分自身に問い続けることが重要である。

「ぼくは/なんのために/存在しているんだ」

 ツナガルこと、ナカマになることは目的ではない。しかし、それ自体が目的化してしまったとき、それはネットワーク依存症なのであろう。来年の新社会人が、その意味での「SNS型」タイプとならないことを自分勝手に祈っていたりする。

(「政策空間」6月号に所収作品)

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