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デタッチメントとコミットメント

 村上春樹作品が人々に受け容れられる理由についてのヒントは、河合隼雄氏との対談である『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)のなかの村上春樹氏自身の発言にある。

 村上春樹氏は、自身の表現方法について、次のように述べている。「そのデタッチメント、アフォリズムという部分を、だんだん「物語」に置き換えていったのです。その最初の作品が、『羊をめぐる冒険』という長編です」という段階があり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』まで来たと述べている。また、「それから自分がもう一段階大きくなるためには、リアリズムの文体をこのあたりでしっかりと身につけなくてはならないと思って、『ノルウェイの森』を書いた」と述べ、「そして『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとってはほんとうに転換点だったのです。物語をやりだしてからは、物語が物語であるだけでうれしかったんですね。ぼくはたぶんそれで第二ステップまで行ったと思うのです」となる。そして、「『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということが関わってくるんでしょうね」という過程を進んでいると述べている。この対談後、『アンダーグラウンド』(1997年)、『海辺のカフカ』(2002年)、『アフターダーク』(2004年)と、さらに村上春樹作品はさらに進化を続けていくことになる。

この進化の過程は、まさにデタッチメントとコミットメントの進化にあり、このデタッチメントとコミットメントこそが人々に同質性を感じさせ、それが魅力となっているのではないかと考えられるのである。

(「政策空間」5月号に所収作品)

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