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夜空のさき(9)

 そのサキが、突然、僕の目の前から、そしてこの家からいなくなったのである。僕は、灯りも付けず、真っ暗な部屋の中、僕以外の何の生命も存在しない、この空間に、ただひとり佇み、そして、サキのことを考えていた。

 僕は、目の前からいなくなったサキと精神的な同化を図ろうとした。

 しかし、すでにサキとは精神的な同化が不可能なことを知った。僕は、全てを失ったことへの虚しさを感じることになった。ここには、サキがいない。そして、サキの精神も存在しないのであった。僕は、ただ単に雪かき的な作業をしただけに過ぎなかった。僕は、それを悟った瞬間、涙を流した。そして、そのままの形になって、暫くの間、泣いていた。

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夜空のさき(8)

 僕とサキの間の関係は、もちろん、それは肉体関係のことだが、進展はしていなかった。僕は、何度か、サキにセックスの申し出をした。そうした淫靡な雰囲気を作ったりもした。しかし、キスをして、僕はサキの乳房をまさぐるまでで、それ以上は、彼女は拒否をした。拒否をしたというより、「もう少し待っていて」と言った。「その時は、やがてやってくるわ。それまでは、私はあなたとセックスはできない」と言った。僕は、そのたびに、ため息をついて、僕性的な興奮を落ち着かせた。サキは、後ろから抱き付いて、僕の耳元で「ごめんね」と言った。

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夜空のさき(7)

 僕は、そこにあるべきものがない、その空しさを感じた。本当は、僕の向かいには、サキが座っていて、ごくありふれた日常の会話、例えば、今日会社で何があったとか、芸能人がどうしたとか、そして、たまに世界の情勢など、を話していた。

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人を愛することについて

 渡辺淳一の『愛の流刑地』を読み終えました。

 現代文学の最高結晶のひとつだと純粋に評価したいと思います。

 本当の男と女の恋愛とはどんなものなのか、そして、愛の流刑地に送られる菊治の本当の罪とはなんなのか、ようやくわかった気がします。そう、村尾菊治は、本当に、とてつもない罪を犯してしまったのです。

 そして、この作品を通じて、本当の恋愛とは何なのか、人を愛することとは何かということについて、わかった気がします。
 
 

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愛の流刑地:ドラマ版

 映画は、豊川悦司と寺島しのぶに決まりましたが、ドラマ版、ぴったりな人を忘れていました。

 山崎 努 です。

 山崎努と和久井映見とかって、どうでしょうか?

 菊治     山崎 努
 冬香     和久井映見
 祥子     水野美紀
 中瀬     柄本 明 
 麻子      桃井かおり
 冬香の夫  筧 利夫
 北岡弁護士 竹中直人
 検事     戸田菜穂
 脇田刑事  仲村トオル
 高士     ユースケ サンタマリア
 森下     渡部篤郎
 石原     時任三郎
 菊治の妻  松坂慶子
 ドラマオリジナルの役 西村雅彦
 ドラマオリジナルの役 橋爪 功

 というような配役では、いかがでしょうか?

 菊治は、竹中直人でもいいかも。

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夜空のさき(6)

 窓の外を見ると、月が見えた。僕は、静かに月に手を伸ばそうとした。当然、届くわけがないのだが、必死に僕は月に手を伸ばそうとした。でも、僕は、いま、この悲しみを忘れるために、それも真面目で頭を使うことではなく、くだらないことに、何かに集中していたかった。「さき」と僕はつぶやいた。「さき」、「さき」、「さき」。手が届くことがない月に向かって、手を伸ばし、サキの名前を何度も読んだ。もう、遠くにいってしまったサキ、この先、ずっと会うことはないだろうサキ、僕はサキのことを思い、目に涙をためながら、その悲しみを乗り越えようとした。

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夜空のさき(5)

 この手紙を読んだとき、一種の喪失感(メランコリー)を感じた。でも、それは目の前が真っ暗になるとか、絶望とか、そういうものではなくて、ただ、なんとなく、寂しい気持ちになった。これまで、何人かの女性と僕は付き合ってきた。しかし、どの女性も僕の前から姿を消していった。さきと同じように。だから、こうした光景には、傷つきはすれど、少し慣れてはいたはずだった。僕は、ひとまず、冷蔵庫を開けて、ワインをグラスに注ぎ、それを一気に飲み干した。そして、その空間の限りない静寂さが嫌だったので、オムニバスのクラッシクCDをかけた。僕は、静かに天井を見つめ、サキの顔を静かに描いた。

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夜空のさき(4)

****************

 さきが、僕の家から突然いなくなったのは、1月の半ば頃だった。朝、僕が目覚めると、一枚の書置きが残されていた。

 「ごめんなさい。急に帰らなければならなくなったの。さようなら。 さき」

 僕は、さきの携帯電話に電話をしてみたが、電話は通じなかった。

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愛の流刑地速報

 東宝のホームページを見ていたら、キャストが発表されていました。

 村尾菊治:豊川悦司 
 入江冬香:寺島しのぶ

 豊川悦司の村尾菊治はいいかもしれませんね。なんだか、昔のTBSドラマ青い鳥」を思い出す。それだったら、ふゆか役は、夏川結衣でも良いかも。

 冬香役は、難しくて、清純なところから、愛を覚えて、おぼれていくことがうまく演じられるかがポイントでしょう。その誘導役としての菊治を豊川悦司というのは、グッド。

 ドラマ版は、舘ひろしと和久井映見で、お願いします

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演出をやらせてください⇒「愛の流刑地」

 いよいよ単行本で出版された「虚無と熱情」もとい、渡辺淳一著『愛の流刑地』(玄冬舎)を、読んでいます。

 改めて読むと、やはり名作です。読めば読むほど、味が出てくるというか、深みを感じるというか、考えさせられてしまいます。

 上巻の146ページ

  「生殖は本能だが、エクスタシーは文化である」

 という言葉は、とても深いなぁと関心してしまいました。

 この小説は、起承転結がしっかりしていて、ストーリーも読みやすいと思います。

 最近の文学作品の中で、秀逸なのは間違いありません。

 さて、映画化ですが、キャスト未定ということで、ぼくなりに、こんなキャスティングをしてみました。

 映画版:

  村尾菊治:緒形拳
  入江冬香:高島礼子

 ドラマ版(日本テレビ):

  村尾菊治:舘ひろし
  入江冬香:和久井映見

 この他、ふゆか役には、名前のあがっている鈴木京香や石田ゆり子もいいなぁと思います。
 稲森いずみという選択肢はありますかね。

 いろいろ考えると、菊治役には、舘ひろしがいいなぁ。

 演出としては、大人の恋愛なので、少し落ち着かせた感じの演出になるでしょう。セックスシーンの作り方がポイントで、あまりに生々しいのはよくないので、ここで、深められた愛のかたちをうまく撮れるかどうかがポイントです。

 音楽も、フルート、ハープ、ストリングス、ヴァイオリンを中心にした音色で、できるだけ、モノクローム的な色彩がでるようなものだといいと思います。あとは、ジャズ系で。

 テーマ曲も、 ピアノのソロとか、ヴァイオリン・ソロとか、インストルメンタルだけで良いと思います。
 川が流れるイメージで、それもゆっくりなところがあり、急なところがあり。そして、森の中に迷い込むイメージで作りたいですね。

 ぼくが演出だったら、深みを追求した芸術作品に作り上げたい気持ちです。

 というか、演出をやらせてください。

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夜空のさき(3)

 「まず、「ここに来るためには、飛んでくることになる」だ。つまり、飛行機でなければ、なかなか行くことが難しい場所。さらに、「桜が満開、春の陽気」というところ。時期的なことを考えれば、北海道に、さきはいる」

 「説得性は高いですね」と、僕は言った。「すぐに飛行機に乗って、北海道に行け。俺は、東京から、いろいろとフォローしてやる。まず、お前は札幌に行くんだ。わかったな」

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いにしえの発言

 7年前くらいに、週刊東洋経済に掲載した共著の論文を探していたら、なんと、その前に取材されたときの記事も出てきました。

 大学3年生の1月、年齢にして20歳のときの、若々しい発言に笑ってしまいました。

 「日本人はこれまで自己責任の未成熟による『政府への依存』、終身雇用制度による『企業への依存』といった形で依存してきた。このような社会は、依存する先に既得権をもたらすと同時に、人々の発展に寄与しようというインセンティブを失わせることになる。その先にあるものは破綻のシナリオでしかない。このような依存型社会から脱却し、一人一人が公の精神を持って自立し、真の相互信頼型の社会へ転換することが、21世紀の日本に求められる最大の挑戦だと思う」

 しかしながら、基本的な考え方は、全く今でも変わっていません。

 自分で言うのも、なんなのですが、小泉改革の本質って、こういうことなのではないかと思ったりもするのですが、いかがでしょうか。

 当時は、小渕内閣で、小泉さんが総理大臣になるなんて、夢にも思わなかった時代です。
 (小泉さんは、切り札ではあると思っていましたが、この頃は、加藤紘一⇒山崎拓⇒小泉純一郎の順番だろうと思っていました)

 このとき、開催したシンポジウムのパネルディスカッションのテーマは、『転換期の挑戦~依存から自立へ~』だったのですが、まさに、いまでも、このテーマって、使えるのではと、思います。

 その意味でも、もう一度、小泉改革が目指したものは何だったのか、ということは、きっちりと押さえておかなければとも思います。

 あと、自分の政策思想の原点についても、一度、考えておく必要もありそうです。誰に影響を受けて、どんなバックボーンなのかとかいうことは、文章で整理しておこうと思います。(なんとなく頭の中では、整理できてはいるのだけど)

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夜空のさき(2)

 僕は、「何の最後のチャンス?」と言うと、「もちろん、さきを取り戻すだよ」と、神山さんは言った。「もう一度、さきと会って、引き止めるんだ。そして、お前の正直な気持ちを伝えるんだ」と言った。僕は、「でも、どこにいるのか、わからない。会おうにも会うのは困難ですよ」と言うと、「あきらめるのは、まだ早い。満月まで、あと10日ほどある。この手紙には、ヒントがいくつか隠されている」と、神山さんは言った。

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夜空のさき(1)

 僕は、この手紙を神山さんに読んでもらった。神山さんは、「つまり、さきは、かぐや姫だったわけか」と、慎重に答えた。「もしくは、羽衣伝説の天女」と、僕は言った。

 神山さんは、「冗談だと信じたいけど、確かに、さきの存在は、元々、存在していなかったと言えるほど、証明できない」と答えた。僕は、「でも、そんな非科学的なことを信じろと言われても、信じられないですよ」と言った。すると、「でも、前に話してくれた夢の話なんかも非科学的だろう。非科学的なことが現実に起きているんだ。説得性はある」と、神山さんは言った。そして、「この手紙には、帰る準備ができた、と書いてある。ということは、まだ月には帰っていないはずだ。もしかすると、最後のチャンスかもしれない」と言った。

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残り:615,677歩

目標までの日数、このあたりが折り返し地点な感じです。
それで、歩数はどうかというと、なかなか厳しい状況で、もう少しで折り返し地点という感じです。

もしかすると、そろそろ、どこかの地域でお会いできるかもしれません。

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手紙のさき(2)

 神山さんを通じて、アイに、いろいろと聞いたかもしれない。もしかすると、私の家があるはずの場所にも行ったのかもしれない。でもね、何もなかったでしょう。

 私が出て行った理由、あなたは、私に新しい男ができたとか、そんなこと思ったのではないかしら。そして、自分勝手に、その相手に嫉妬したでしょう。でもね、それも安心して。私が愛しているのは、あなただけなのよ。そして、あなたが愛しているのは、私だけ。それは永遠に変わらないわ。

 私には、帰らなければいけない場所があるの。そして、私はあなたたちの住む世界には、決して存在しないの。あなたが慎重に調べた結果、それはもう知っているでしょ。

 いよいよ、帰る準備ができそうなの。あなたには、もう会うことはできないのだけど、あなたを永遠に愛しているわ。

 寂しいときには、夜空を見上げてみて。月が見えるでしょう。私は、そこから、あなたのことをいつまでも見守っています。さようなら。
砂季

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ツナガっていたい人たち:ネットワーク依存症 ≒ セックス依存症

 「ツナガっていたい」人たち、と言っても、エッチな話ではない。ただ、セックスなんかも、もしかすると、同じことが言えるかもしれない。ただ、これから書くのは、「仲間意識」なり「ネットワーク」という話だ。

 社会経済生産性本部が発表した今年の新入社員は、「ブログ型」だそうだ。

これは、「表面は従順だが、様々な思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を通じ大胆に自己主張する。繊細な感受性とブログ的なネットワークに優れるが、パソコンに語るだけに止まる傾向もある」ということらしい。

 ここで、ここで言う自己主張が一方通行的なものなのか、それとも双方向的なものなのかについては、一考の価値はあるだろう。ブログというのは、もちろん、コメント機能やトラックバック機能があるから、双方向コミュニケーションは取れるのであるが、書きたいことが、好きなように書ける。編集機能というかチェック機能は、ブログを書いている人自身に委ねられるから、なんの制限もない。

 だから、ブログというのは、選択権は読者に与えた上で、(つまりそのブログを読むか、読まないか)、かなり一方通行的な自己主張なのではないかと思うのである。

 だって、ぼくは、たとえば、「○○さんが好きだ」と、ここで書いたところで、読んでくれている人にとっては、「あー、彼は○○さんが好きなのか」ということを思うだけだ。

 また、ブログというのは、仮面を付けられる。もっと言えば、なりすませることができるのだ。たとえば、「ぼくははイケメンです」とぼくが書いたとしよう。もちろん、「そう」なのだが(笑)、もしイケメンでないと仮にしても、「君はイケメンはないよ」と修正を求められることはない。だれも「間違っている」とは言わないし(編集チェックは入らないし)、もっと言えば、誰にも迷惑はかけないから、ぼくはイケメンでなくても、イケメンと書くこと自体は制限されない。だから、極限的なナルシストにもなれる。

 重要なのは、自己主張とコミュニケーションは違うということ。もちろん、コミュニケーションにおいて、自己主張は重要だ。しかし、自己主張はそのままコミュニケーションではない。

 社会経済生産性本部の解説によれば、「さびしがりやで繋がりたがったり、自分を認めてもらいたい強い欲求を持つ。認められると思いがけない力を発揮することもある一方で、本人の気分や他人の評価ひとつで、すぐに萎えてしまう傾向もある」ということらしい。

 つまり、本来、人間の成長過程の中で「通過儀礼」として得られる自己承認が得られていないということなのかもしれない。この一文だけ取ってみれば、「まだ子どものまま大人になってしまった社会人」ということだろうか。

 このツナガリたい人たちは、どこに行くのだろうか。ツナガっていたい人たちは、なぜツナガリたいのか。それは、承認を得たいからだ。それも苦しい「通過儀礼」を経ずに。楽して、大人になれれば儲けもの、みたいな発想だろうか。

 誤認した「仲間意識」という大義を立てて、異なる価値観を持つ人なり、「仲間」ではない者を排除しようとする。これは、自分と同じようなタイプではなければ、承認を得られないからだ。そんな弱さが、こういう行為を引き起こすのである。

 同じようなタイプの人間と「ツナガっている」ことで、承認を得られたと錯覚する。すると、誰しも自分が認められている社会では気持ちがいいので、その場所に定住するようになる。また、せっかく得られた承認を奪われたくない、つまり、客観的な評価を受けることで知る真実から目を背けたいから、その自分勝手に作られた自分の社会を乱すような行為者を排除するのである。

 ただし、客観的に見れば、その人は、承認を得ていない。つまり、自己評価と他者からの評価が、大きく食い違ってくる。それをどのように認識するのかと言えば、「社会は自分をわかっていない」とか、「なぜ、認められないのか」とか、原因を自分ではなく、社会にあるものだと誤認する。だから、「本人の気分や他人の評価ひとつで、すぐに萎えてしまう傾向もある」のだ。

 ブログ型人間というのは、確かに自己主張は強いが、その自己主張にどこまで責任を持っているのかが疑問である。それに、批判されることに、かなり弱いと思う。そのような弱さを抱えつつ、自分を演じることで、同種類の人たちと限られた社会・ネットワークに依存する。そして、「仲間意識」を誤認として、内閉的な世界に留まる傾向があるような気がする。

 実は、依存症というのには、こういう共通性があるのかなとも思う。例えば、セックス依存症。もしくは、援助交際。援助交際に関しては、宮台真司氏の研究などで、やはり「承認を得るための行為」であると説明されている。たぶん、セックスも、もちろん、性的欲求を満たすことはあるのだろうけど、承認欲求みたいなものもある。

 女の子と寝ていて、やはり、自分が好きな女の子と寝ているのと、行きずりで、ただ単純に雪かき的にセックスするのとは、得られる満足感は違う。セックスそのものも承認のための通過儀礼なのであろうと思う。

 真のセックスは、基本的に、自分の好きな人に自分の気持ちを受け容れられて、発生する行為だからだ。つまり、セックスは承認行為であり、セックスの本質はアタッチメント行為があり、人間の自己承認に極めて重要なのであるとも言える。

 交流とか仲間作りとか、もしくは「ツナガリ」というのは、まさに、社会化されたアタッチメント行為であり、自己承認行為で、通過儀礼になるべきことであり、内閉的な世界を作るものではないと思う。

 ツナガルことに価値があるのではなく、ツナガッているからこそ、何かが始まるのである。

 ネットワークという果てしなく広大な大地という全体の中で、本当に自分を見つめ続けていられるのか、その全体と自分の関係性を明確に意識できているのか、つまり、自立ができているのかが重要である。「ツナガッている」ことや「ナカマ」であることに安心して、自分を見失っていないか、ということを、常に自分自身に問うことが、ネットワーク依存症にならないために必要なことだろう。

 ツナガルことは目的ではなく、手段である。それ自体が目的化した瞬間に、それはネットワーク依存症であるということだ。

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日本版ポリティカルコンパス

DQN++さんのところで、紹介されていた日本版ポリティカルコンパスをやってみました。

結果は、

政治的な右・左度(保守・リベラル度) 3.4
経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) 6.85
あなたの分類は保守右派です。

グラフの縦軸は、政治的価値観を示します。上に行くほど(値が10に近いほど)保守、下に行くほど(値が-10に近いほど)リベラルであることを示します。

グラフの横軸は、経済的価値観を示します。左に行くほど(値が-10に近いほど)経済左派、右に行くほど(値が10に近いほど)経済右派であることを示します。

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手紙のさき(1)

 こんにちは。あなたの家を出てから、3ヶ月が過ぎたわ。もう、桜も満開で、春の陽気が続いているわね。元気にしている?
 
 私が、どこにいるのかは言えないの。だって、それを教えたら、あなたは、着の身、着のままで、飛んできちゃうでしょ。まあ、本当に、ここに来るためには、飛んでくることになるとは思うけど。

 あなたと暮らした2ヶ月ちょっと、楽しかったわ。私は、あなたのことが嫌いになったわけではないの。それは安心してね。私は、ここに来なければならなくなったの。本当は、あなたと離れることは、とても辛いことだったのよ。私は、あなたと、もっと一緒にいたいと思っていたし、あなたのこと好きだったし。

 でも、それは許されなかったの。きっと、あなたのことだから、私が突然、いなくなってから、私のこと、いろいろと調べたでしょう?それで、もっともっと、私のことがわからなくなったに違いないと思うわ。

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組織が崩壊するとき

一般的に倒産したり不祥事があったりする企業や組織に共通して言えるのではないか、というような仮説を考えてみた。

 組織が崩壊するときって、どういう要因があるのだろうか。まあ、一言で言えば、ガバナンスの欠如ということなんだろうけど、じゃあ、ガバナンスの欠如っていうのは、どういうことなのかということを、どのように説明できるか考えてみよう。

レベル1:
 ・ルールがあってないようなものになる→規律の欠如とか手続き的正義が守られない→仕事への無力感・虚脱感の発生・情熱の欠如→
(たぶん、このあたりで優秀な人間は徐々に辞めていく)

レベル2:
→当事者意識の欠如→その組織への忠誠心なり愛情が失われる→仕事に対する責任感がなくなる→
(たぶん、業務の非効率性が生まれ、無駄がでてくる)

レベル3:
→セクショナリズムが進む→全体が見えなくなる→全体の中での自分の位置付けが見えなくなる→仕事の取りこぼしが増える→
(たぶん、ミスが多くなり、トラブル対応が増えることで、さらに効率性が悪くなる)


レベル4:
→責任の不明確化もしくは不祥事の隠蔽→対外的な信頼感が失われる→組織内の矛盾が膨らむ

レベル5:
→内部の人事闘争・権力闘争→不の生存競争・レベル1からレベル4までの悪循環の繰り返し→

 と整理できそうである。こうなってしまっては、末期症状。手の施しようがない。さらに、変な縄張り争いなんかもあるから、さらに手のつけようがない。

 なぜか、本来の職務以外のところで、がんばってしまったりする人がいる。たとえば、権力闘争とかうんぬん。たぶん、それは心理学的には、昇華のひとつで、仕事の鬱憤を、そういうところで昇華させているんだろうと思う。もっと言えば、仕事ができない人ほど、権力闘争に明け暮れるのは、自分に自信がないからで、さらに言えば、それがコンプレックスになっているので、実は、ただ人に自分の弱さを省みず、ぶつけているだけなのだ。

 こういうことが横行しだすと、悪循環が始まるので、その組織は衰退していくのである。さらに、生き残るのは、同種のいわば「仲間」、同じ価値観なり同程度の能力でしかない人だから、さらに悪循環。もう、座して死を待つだけである。

 どうしたら良いか、ということなんだけど、これは、初期症状が見え出したら、すぐにガバナンス改革をしなければいけない。

 必要なのは、トップマネジメント・ミドルレベルの交代。どこに問題があるのかを突き止め、ピンポイントで変える必要がある。まず人を変えること、さらに、従業員の意識を変えること、つまり、もっとコミットメントを持たせることなどが処方箋かな。そのためには、目的意識の明確化が重要。あとは目標の具体化。わかりやすい目標を設定すること。さらに、自分の仕事が、その組織において、どのような貢献があるのか、さらには、社会にどのような貢献があるのかということを明確かつ具体的にに示してあげることだろう。

 そして、改革そのものを怖がらせないこと。たとえば、リストラとかクビ切りとかをぶら下げるのではなく、従業員に安心感を持たせること。その上で、困難に立ち向かう姿勢を貫くこと。また、従業員にも、運命共同体として挑戦を求めること。

 さらに、選択と集中。事業が多角化している場合には、選択をして、資本を集中化させる。その上で、全ての投資をやめれば、縮小均衡になってしまい、悪循環に陥るので、集中した部門に集中して投資をする。

 やっぱり、組織も人に支えられているとうこと。人を大切にしない組織は、滅びる。

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僕が僕に出会うさき(39)

サキがテーブルに戻ってきた。サキは、「顔色が変よ。具合でも悪いの?」と尋ねた。僕は、「いや、大丈夫だよ。なんでもない」と答えた。彼女は、「ふーん。そうには見えないけど」と言った。「ねえ、サキ。家で飲み直さないか。途中で、ビールとウイスキーでも買って帰ろう」と言った。サキは、「いいわね」と言った。

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好きだった女の子のおもかげ

 今日、電車に乗っていたら、前の席に座っている女の子に、なんとなく懐かしさを覚えてしまいました。でも、誰だかは思い出せない。いや、もっと言えば、たぶん見ず知らずの他人だと思う。それでも、ぼくは、誰かなぁと、頭の中で思い出してみる。もちろん、じっと見つめたりして思い出していたら、ただの変人だし、気持ちが悪いと思われても困るので、目を閉じて、思い出してみる。

 ふと、目を開けて、もう一度、顔を見てみようとすると、その女の子と目があってしまった。その女の子は、ちらっとぼくの方を見たのだった。

 安っぽいトレンディドラマとかだったりすると、ここから話が始まるんだろうけど、現実にはそれでおしまいなわけです。ぼくも気が弱いのとシャイなので、それ以上、その女の子のこと見られなかったわけです。

 それで、誰だったかというと、中学生のころに好きだったミカちゃんの面影が、その女の子に感じたのでした。

 とくに、このこととはあまり関係がないんだけど(なぁーんだという感じかもしれないけど)、ちょっとしたぼくの好きな女の子の傾向みたいなことを考えてみたりした。前に、「口元がふっくらさせて、いたずらを考えていそうな無邪気な笑みができるの顔が好き」ということを書いたりしてみたけど、けっこう、自立している女の子が好きなのかもしれない。自分をしっかり持っていて、強い女の子。でも、その強さの中に誰にも見せない弱さを隠し持っている感じで、その誰にも見せない弱さを見つけてしまったとき、ぼくは、けっこうドキドキしてしまう。

 あとは、やっぱり、がんばっている女の子は好き。それでいて、ちゃんと自分の意見を言ってほしいなぁと思います。

 自分で言うのもなんだけど、いつまでも少年のようなぼくだから、「本当に馬鹿なんだから」みたいな感じで、そのあたりのことを優しく許してください。

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僕が僕に出会うさき(38)

 僕は、テーブルの上に残されたデザートの皿を見つめながら、これまで付き合ってきた女性の顔を思い浮かべた。そして、ユキコさんの顔を思い浮かべた。僕は、これまで、全ての自分の人間としての弱さ、欠点を、ユキコさんのせいにしようとしていたのではないかと思った。知らない間に、僕はユキコさんを言い訳に、本当の僕の姿から目をそらし続けていたのかもしれない。ユキコさんも、傷つき、突然、僕の前から姿を消した。そのことを、自分のトラウマだと言い聞かせていた。しかし、僕は、ただ恋人を失うことを恐れていただけだった。それは、自分が傷つきたくないからだ。自分が傷つくことを恐れ、それをこれまでの恋人たちに押し付けていただけなのだ。

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人間は、みんな弱い存在なのかもしれないのだ

 ぼくは、コミュニケーションが不器用だ。自分のいいたいことをちゃんと伝えられなかったりすることが多い。それで、いろいろな人に嫌われたり、遠ざけられたり。人間関係が絶縁してしまったり。

 いまでも、「これがいい」というカタチはなくて、常に、迷いながら、悩みながら、コミュニケーションをしている。だから、時たま、コミュニケーション自体がとてつもなく億劫になるというかしんどくなる。

 だから、パーティーとか飲み会みたいなものは苦手だったりする。大勢のいるところで、まず、誰とどのように話したら良いのか、わからなくなる。なんとか、話す相手を見つけたとしても、肩に力にこもってしまって、何も話せない。とてつもなく気を遣ってしまって、それで疲れてしまう。

 もちろん、付き合いの長い人や信頼をしている人とは、ぼくも楽しい時間を過ごすことが出来るから、そういう人たちを会うのは、とっても楽しみ。

 たぶん、これは自分の中にあるコンプレックスが原因だ。気にしなくてもいいことまで気にしてしまう。

 人は誰でも弱さを持っている。コンプレックスなりトラウマみたいなものなんかも持っていると思う。でも、それを、なんとか克服しようとしたり、直そうとしたり、少なからず外には出さないようにしたり、がんばっている。それが成長だ。だから、他者の内面的な弱さを、相手を傷つけるためだけに浮き彫りにしてはいけない。もっと、人間の内面性を見つめてあげて、それを認めてあげることが重要だ。

 その弱さの自己治療の方法にはいろいろある。昇華させたり、たまには、休んでみたり。

 ぼくは、文章を書くことで、ぼく自身の内面的な弱さに、そして同じような弱さを抱えている人の弱さに、語りかけ、じょじょにその弱さに井戸を掘るようにコミットメントしていき、この世の中に転がっているひとつでも多くの弱さを克服できるようにしたい。

 それが、コミュニケーションが不器用なぼくなりの文章を書く理由だ。

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恋わずらい

 いまごろ、君は何をしているのだろうか。僕のなかで次第にその存在は大きくなって、いつのまにか、僕の心を支配した。そして、知らず知らずのうちに、僕は、君のことを考えられずにはいられなくなった。

 恋愛に勝ち負けはないのだろうけど、もし勝ち負けみたいなことで、いまの僕の気持ちを量るのであれば、僕はいつのまにか、君に負けてしまった。野球で言えば、僕はさしづめ満塁のホームランを打たれてしまったピッチャーだ。

 こんな情熱的辛い恋愛なんて、この年齢になったらしないだろうなんて、勝手に思っていたし、恋愛の辛さを味わうことなんて、全く想定していなかった。恋愛に、ある程度、妥協が付いて、冷静に愛を語るようになるのだろうと、僕は自分の年齢を積み重ねていくうちに、無理矢理納得しようとしていた。いや、自分を納得させようとしていた。でも、それは、自分の気持ちを、抑える役割も果たさないで、ただ、僕の中の恋愛に向かう感情があふれ出したのだ。そう、森の中にひたすらに突き進む光のように。

 不器用だから、ちゃんと伝えられない。鼻でフンと笑われて、「そんなの男らしくないわね」みたいに言われてしまうかもしれない。もっと、女の子と器用にコミュニケーションを取ることができたら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。

 そんな僕が君に言える言葉。それは、

 僕は・君が・好きだ

(最後は、村上春樹作品になってしまいました)

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愛の流刑地速報

 主演に決まっていた役所広司が降板とのこと。新たな主演は、真田広之。ふゆか役に、黒木香とのこと。

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日本代表

 本日、ジーコ監督の会見は、テレビでチェック。23人の代表選手が選出されました。久保が落選で、巻が選出というのが、サプライズでしょうか。ぼくが悩んだ中田浩二は選出。日本代表には必要な選手です。本当は、長谷部や阿部、松井など、南アフリカ大会に向けて、経験を積ませてあげたい選手もいたのだけれど、まずは、ベスト8に進出すること。そうすると、やはり、このメンバーかなとも思います。

 久保に関しては、コンディションでしょう。代表で必要なのは、限られた試合の中で、最高のパフォーマンスを見せること。そのために、コンディションは、なにがなんでも100%近い最高の状態にしておいてもらうことが重要で、残り1ヶ月、久保のコンディションがそこまでに達しないというジーコの判断だったのでしょう。

 ただ、ハマると、かなり心強い選手なので、少しばかりは心細い気もします。

 これで、FWの軸は、高原になりました。高原にはがんばってほしいです。高原・柳沢のツートップで、スーパーサブに大黒。流れを変えたいときに、玉田、巻ということでしょうか。

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僕が僕に出会うさき(37)

 僕は、腹の中で怒りを貯めつつ、黙っていた。そうすることしかできなかった。
 「ねえ、いつまで、自分に言い訳を続けるの?いつまで、自分の世界に閉じこもっているつもりなの? 私の友人に、私があなたのことを相談したら、あなたは、私のことを愛しているつもりで、それはただの自己愛なのよ。そんな人と一緒になったら、私が苦労するし、傷つくだけだと言われたの。私も、ゆっくり考えたら、同じことを思ったわ。結局は、あなたが愛しているのは、自分自身だけなのよ。相手のことを考えているふりをして、自分のことしか考えていない。それに早く気が付きなさい」と、ナツコさんは言って、そのまま僕の席から去った。

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今夜は、思いっきり泣いてしまおう

 女の子って、いろいろな顔を持っていると思う。それで、誰と話しているのか、誰と会っているのかによって、全く違った顔を見せる。それが、けっこう怖かったり、ぼくには見せない顔を、ふと見てしまったりすると、がっかりする。とくに、好きな女の子が、ぼくに対しては、形式的な顔しか見せなくて、ほかの人には、もっと感情的な顔を見せたりする。言葉遣いなんかも、または声のトーンなんかも違ったりする。

 そんな違いを見てしまうと、ぼくは、その女の子と大きな距離感があるんだと、ショックを受けたりする。恋愛とか好き嫌いとか、そういうのではなくて、もっと、ぼくは君と普通に話したいのに、なんて、心の中で思いながら、がっかりしていたりする。

 もっとショックなのは、わざと違う顔を見せつけているのではないか、とか、わざとそうしているのではないかという仕草を見てしまったとき。ぼくとAさんとその女の子がいて、その女の子はわざとらしくAさんと仲の良いことを見せつける。それは、「あなたとは、別に仲が良いなんてことはないのよ」という無言のメッセージを突きつけられているかのようだ。

 それは、残酷なナイフとなって、君の胸を切り刻む。そんなことで落ち込んでいる君に、伝えられる言葉はただひとつ。

 「今夜は、思いっきり泣いてしまおう」

 忘れられない恋があるなんて、それは素晴らしいことじゃないか。それだけ、その女の子を好きになり、愛せたことは、叶わなくても素晴らしいことじゃないか。人を愛することって、本当に素晴らしいことじゃないか。

 片思いを積み重ねていくだけで、君は、もっともっと大きくなっていく。失恋をするたびに、君は学んでいく。心を傷つけられるたびに、君は強くなっていく。そして、もっともっと優しくなれるんだ。

 人生に、無駄な時間なんてない。人生に無駄な恋愛なんてない。

 君の素晴らしさを理解してくれる人は、必ずいる。ほら、目の前に、一人目がいるじゃないか。そう、ぼくは君の事は本当に素晴らしい人間だと思っているんだ。

 だから、今日はおもいっきり泣いて、明日からまたがんばろう。

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僕が僕に出会うさき(36)

 「なぜ、私があなたの話を聞かなければいけないの?あなたの自分勝手な想いに、付き合わなければいけないのよ。「僕はがんばります」って、それはあなたの問題であって、私には関係ないの。それは、ただの甘えよ。そう、あなたは、結局、恋人に甘えているだけなのよ。自分は、相手のためにがんばるとか、自分の時間を割くとか、恋人のために尽くしているとか、それはただの自己満足よ。誰も、そんなことをあなたに期待していないの。それなのに、自分の自己満足を相手に押し付けて、相手を困らせる。もちろん、あなたの恋人は、あなたのことが好きだし、愛しいと想っているから、多少の我慢をするわよ。初めのうちは、それこそ、自分に言い訳をしながら、あなたの魅力だけを見て、あなたの自己満足に付き合うのよ。でもね、それには限界があるの。ある日、何かのタイミングで変わるのよ。電気の球が突然切れるように。ヒューズが飛んでしまうように。何気ない何かの出来事が起きた瞬間に、目の前のあなたが愛しい恋人から、傲慢なただの男に変わるの。そう、あなたは、ただの傲慢で自己満足で、ナルシスト気取りの最低な男なの」

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残り:695,069歩

 今週は、ゴールデンウイーク明けで、移動が多かったためか、けっこう多く歩くことができました。
 でも、このぐらいが、健康のことを考えると、平均的なのかもしれません。

 ただ、このペースでいっても、目標の100万歩は、なかなか厳しい状況です。今週以降もガンバリます。

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誰かのために犠牲になること

 今月から、新しいエッセイの連載を開始しました。「きまぐれパンダのささやかな冒険」です。
 shumpei@blogでも、エッセイの掲載後に、「きまぐれパンダのささやかな冒険:さわやかなうさぎ犬編」として掲載します。さわやかなうさぎ犬編では、紙面の文字数に収まりきらない部分も加筆しようと思っています。

 まあ、ここでは、このエッセイのことは、あんまり書くつもりはなくて、エッセイを読んでもらえればと思います。一応、shumpei@blogでは、「俊平堂書店中野店」というエッセイがあるので。

 いま、さわやかなうさぎ犬編を書くために、加筆していた時に、中島美嘉の「雪の華」と村上春樹の「羊をめぐる冒険」の話を書いた。(この2つの関係性については、さわやかなうさぎ犬編を見てね)

 以前に、米国に到着した時に、ホームシックになりかかったことを書いたかもしれない。到着した日の夜のことだ。そのとき、好きな女の子がいて、その人の声を電話で聞いたら、とても日本が恋しくなってしまったのである。
 「早く会いたい」という感情です。でも、その女の子に会うために、海を渡らなければいけない、遠く、遠くの存在だった。

 失恋は人間を強くしてくれるらしいけど、本当にそうなのだろうかと思ったりする。むしろ、失恋の仕方によっては、新しい人間の欠落を作ってしまうなんてこともある。

 そんなとき、恋愛って何だろう、みたいなことまで考えると、本当に底なし井戸を覗いている気持ちになったりもする。

 自分の気持ちに嘘を付きながら、好きな女の子の幸せを祈るというのって、本当にできることなのだろうか。ただ、星になって君を照らすだろう、ということって、本当にできるのだろうか。もっと、人間って、自己愛が強いんではないかとも思う。いや、言葉を変えれば、そんなのって辛すぎると思う。

 一番良いのは、自分も幸せになって、相手も幸せになる。誰かの犠牲の上の幸せって、本当に幸せなのだろうか。簡単なようで難しいなぁと思ったりする。

 いま、「半島のさき」を書いているけど、次の小説で、いよいよコミットメントをしていこうと思う。

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デタッチメントとコミットメント

 村上春樹作品が人々に受け容れられる理由についてのヒントは、河合隼雄氏との対談である『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)のなかの村上春樹氏自身の発言にある。

 村上春樹氏は、自身の表現方法について、次のように述べている。「そのデタッチメント、アフォリズムという部分を、だんだん「物語」に置き換えていったのです。その最初の作品が、『羊をめぐる冒険』という長編です」という段階があり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』まで来たと述べている。また、「それから自分がもう一段階大きくなるためには、リアリズムの文体をこのあたりでしっかりと身につけなくてはならないと思って、『ノルウェイの森』を書いた」と述べ、「そして『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとってはほんとうに転換点だったのです。物語をやりだしてからは、物語が物語であるだけでうれしかったんですね。ぼくはたぶんそれで第二ステップまで行ったと思うのです」となる。そして、「『ねじまき鳥クロニクル』はぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということが関わってくるんでしょうね」という過程を進んでいると述べている。この対談後、『アンダーグラウンド』(1997年)、『海辺のカフカ』(2002年)、『アフターダーク』(2004年)と、さらに村上春樹作品はさらに進化を続けていくことになる。

この進化の過程は、まさにデタッチメントとコミットメントの進化にあり、このデタッチメントとコミットメントこそが人々に同質性を感じさせ、それが魅力となっているのではないかと考えられるのである。

(「政策空間」5月号に所収作品)

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村上春樹作品は、なぜ世界に受容されるのか?

 本年のフランツ・カフカ賞を村上春樹氏が受賞することが決まった。この2年間、フランツ・カフカ賞を受賞した作家は連続して、ノーベル文学賞も受賞しているから、もしかすると、本年度のノーベル文学賞は、村上春樹氏なのではないか、という期待も高まっている。もし、村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞すれば、川端康成氏、大江健三郎氏に続く日本人で3人目となる快挙だ。

 村上春樹氏の作品は、30ヵ国以上で翻訳されているという。世界各国において、村上作品がどのように受容されているのかについては、『文學界』の2006年6月号に掲載されている「ワークショップ:世界は村上春樹をどう読むか」という2006年3月26日に東京大学で開催されたワークショップの記録を読むと知ることができる。一言で言えば、世界的な「ハルキブーム」が起きているということだ。

 また、インターネット上のWikipediaで「村上春樹」と検索してみると、「1996年に『ニューヨーカー』で11ページに及ぶ特集記事が掲載され、2005年には『海辺のカフカ』の英語版"Kafka on the Shore"がニューヨーク・タイムズの「The Ten Best Books of 2005」に選ばれるなど、海外での評価も高い」ということが紹介されている。さらに、2006年5月7日付の朝日新聞の朝刊に、「中国では大学生3人に2人が村上春樹さんの小説を読んでおり、90年代末以降、村上さんと共に翻訳が多い日本作家は渡辺淳一さん-。筑波大大学院図書館情報メディア研究科で学ぶ2人の中国人留学生の最近の調査でこんな結果が明らかになった。中国社会の現実が両氏の文学を必要としているようだ」という記事が掲載されていた。この調査で、村上作品の読後感は、「「孤独と無力感に満ちている」が81%と多く、「社会システムや共同体を冷ややかに傍観」(39%)、「大量の性描写」(35%)」という印象を中国の大学生は感じているようだ。

 村上春樹作品の代表作といえば、『羊をめぐる冒険』(1982年)、『ノルウェイの森』(1987年)、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年、1995年)、『海辺のカフカ』(2002年)などが挙がるだろう。

 余談だが、個人的には、『国境の南、太陽の西』(1992年)に思い入れがあったりする。というのは、昔付き合っていた女の子から、「君のことみたい」と何度か指摘をされ、事実上、恋人関係が終わったあとに、彼女のことを思い出しながら読んだ記憶があるからだ。

 ちなみに、そのとき、繰り返し繰り返し、中島美嘉のアルバムを聞いていて、「雪の華」が自分の中では、『国境の南、太陽の西』のテーマソングになってしまっている。

 あと、『羊をめぐる冒険』と『ダンスダンスダンス』も思い入れが深い。これもある女の子に勧められたものなのだが、米国旅行でとても心の支えになった。

 こうした村上春樹作品は、なぜ人々に受容されるのだろうか。このあたりのことを考えて行くと、現代社会の構図なりヒントが見えてくるように思える。

(「政策空間」5月号に所収作品に一部加筆)

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日常のなかにある新しい発見

最近、「街を歩こう」という企画で、小学生のころに住んでいた街に行く機会があった。そのとき、「何か違うなぁ」というような違和感があった。ぼくが目にしている街の風景が違うのである。もちろん、ぼくがその街から引越しをして、15年以上経っているのだから、街並みが大きく変わっているのは当然だ。しかし、街が変わっていると感じる理由は、時の流れだけではない。たぶん、視線なり目線が違うのだ。視線が違えば、目に入る景色も当然変わる。だから、小学生のころのぼくが感じた街の風景といまのぼくが感じた街の風景は、当たり前だけど、違うのである。だからこそ、新しい発見があるし、街を歩く楽しさがある。

ぼくは、世の中で起きていること、現代社会が抱える問題を読み解いてみたいと思った。街を歩いているときに感じたように、ごく自然な形で捉えて、日常のなかにあるささやかな新しい発見に挑戦してみよう。

(「政策空間」5月号に所収作品を一部修正)

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ドイツW杯メンバー(ぼくが監督だったら)

5月15日、午後2時。。。

みなさん、こんにちは。これから、ドイツワールドカップを戦うメンバー23人を発表します。
まず、GKですが、川口、楢崎、土肥。正GKは、川口。
DFは、宮本、田中、中澤、坪井、三都主、加地。
MFは、中村、中田、小野、稲本、小笠原、遠藤、長谷部、福西、阿部、松井。
そして、FWは、高原、久保、柳沢、大黒、佐藤。

サブメンバーとして、DF茂庭、MF本山、FW巻。以上です。

メンバーの選出基準は、これまでの代表への貢献度合いとリーグ戦などの通常の試合でコンスタントに力を発揮しているかどうかです。つまり信頼性と実績です。

いくら実績のある選手でも、代表チームであるので、まず予選3試合、決勝トーナメント100%のパフォーマンスを発揮できるかがポイントです。

個人的には、大久保、中田浩二なども連れて行きたかった。

なお、スタメンは、次の通り。

  久保      高原

      中村

中田         長谷部
    
    小野  稲本

  中澤  宮本  田中

       川口

パス主体でつなげていくダイナミックなサッカーをしていきたい。
なお、予選は、1勝1敗1分けでの決勝トーナメント進出を目指し、ベスト8には残りたいと考えています。
どのチームに対しても、打って出て、勝負するだけ。勝利を信じています。

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僕が僕に出会うさき(35)

 「それは、心外だな。勝手な妄想で、僕を判断してもらいたくない。そもそも、君は僕のこと、何も知らないじゃないか。仕事上での付き合いと、何度か食事を一緒にしたぐらい。僕のことを何も知らないで、いや、知ろうとしないで、僕の話すら聞こうとしない」

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僕が僕に出会うさき(34)

 「彼女は、新しい恋人?」とナツコさんは聞いた。「まだ、そんな関係ではない」と答えた。ナツコさんは、「まだっていうことは、それに近い関係ではあるのね。本当にあなたって汚らわしいわ。すぐに新しい恋愛ができるなんて、信じられない。あなたみたいな人が女性を傷つけるのよ。昔、好きだった人に新しい恋人を見せつけるなんて、人間としてどうなの?って、思ってしまうわ」と言った。

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僕が僕に出会うさき(33)

 「ねえ、なぜ、この店に来るの?」とナツコさんは僕に言った。僕は、「偶然だよ」と答えた。「本当に? あなたが現れて本当にびっくりしたわ。前に電話で言ったわよね、もう一生会いたくないって。それなのに、平気な顔をして、店に入ってきた時は驚いたわ」と言った。僕は、「平気な顔なんてしていないさ。恐怖と愛しさの2つの鼓動で胸が一杯になって、天使と悪魔が囁くんだ。君と話したい気持ちと君と話したくない気持ちが交差して、僕が僕であること自体が難しくなりそうだった」

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僕が僕に出会うさき(32)

 ナツコさんは、笑顔で「それは光栄です」とお辞儀をして、隣のテーブルに移っていった。僕は、胸の興奮を必死に隠そうとしていた。サキは、僕を不思議そうに見ていた。そして、「ちょっと失礼しますね」と言って、席を立った。彼女は手洗いに行ったようだ。その様子を、ナツコさんも見ていたのか、サキが席を離れると、再び、僕のところに戻ってきた。

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僕が僕に出会うさき(31)

 僕が顔を上げると、そこにはナツコさんがいた。ナツコさんも僕の顔を見ると、少し驚き、戸惑った顔つきを一瞬だけ見せて、再び笑顔に戻った。
 サキは、「とてもおいしかったですよ」と答えると、ナツコさんは、「ありがとうございます」と答えた。ナツコさんは、「当店の総支配人の吉澤と申します。本日は、ご来店ありがとうございます」と挨拶をした。サキは、「雑誌で見て、一度来てみたいと思っていたんですよ。お料理もおいしいし、スタッフの皆さんも大変素晴らしいし、気持ちよく、食事をすることができました」と言った。

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僕が僕に出会うさき(30)

 食事が終わって、サキと話していると、ナツコさんが、僕たちのテーブルに向かって歩いてきた。僕は、ナツコさんのことは気にしつつ、気にしないように振舞った。サキは、僕の困惑した様子をあまり気にせず、話を続けていた。そうすると、「お話のところ、申し訳ございません。本日のお料理はいかがでしたでしょうか」という声が聞こえてきた。

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ぼくの好きな女の子?

Shumkun

 ぼくのイメージ図ができあがりました。 イメージは、パンダです。パンダ好きです。
 名前は、募集中です。ぜひ、かわいい名前をください。見事、かわいいお名前を考えてくださった1名の方にプレゼントを差し上げます。

 そういえば、昔、付き合っていた女の子に、「ミッキーマウス」に似ていると言われたことがあります。ミッキーマウスといっても、今のミッキーではなく、蒸気船ウィリーの頃のクラシカルなミッキーだそうです。あと、昔付き合っていた別な女の子には、表情がかわいい、とかも言われたことがあったり、なかったり。

 ぼくは、口元がふっくらさせて、いたずらを考えていそうな無邪気な笑みができるの顔が好きです。そうそう、ぼくは、いたずら好きな女の子って好きです。

 ぼくの小説の登場人物の中では、「半島のさき」のさき(川本砂季)さんのイメージかな。どちらかというと、活発で、ぼくのことを叱ってくれるような女の子。

 「なんで、君は、いつもそうなのよ」とか、いつもぼくのことを見て、「やれやれ」とか、そんなことを言ってくれる。それで、「まあ、とにかくがんばってみれば」と応援してくれたりする。

 あと、ぼくは、女の子が、スネていたり、ムクれていたりする顔も好き。「もう怒った」って言って、ほっぺたを膨らませて、口元を尖らせて。そうしたら、ぼくが「なんでそんなに怒っているの」と聞くんだ。すると、「あなたのせいよ」みたいな会話。そして、ぼくは何がなんだかわけもわからず、困り果ててしまう。静かな時間が過ぎて、そのうち、ぼくはその女の子にキスをする。そうしたら、女の子は「何よ、もう」みたいな感じで、ぼくのことをきっと許してくれるに違いない。

 そうそう、ケンカをした後ほど、セックスしたりする。なんでだろう。そのときの女の子の気持ちって、どうなんだろう。少なからず、男性側の意見を述べさせていただけば、それで仲直りしたつもりになっている。(ぼくだけかな)
 でも、「セックスしたからって、元通りになったと思っているの」と言われたり。難しいなぁ、やっぱり。

 だって、ふたりの関係がもう終わりかなというときに、別な用事があったからって、突然ぼくの旅先に来て、なんだか最終の新幹線の時間が過ぎてしまって、そのままぼくの泊まっているホテルの部屋に来て、セックスしたら、それは、「もう一度やりなおせるかな」なんて淡い期待しちゃうんだけど、なんだか違ったみたい。
 君は、あのとき、どういう気持ちだったんだろう。君は、その後に、「あのときは自分でもわけがわからなかったのよ」みたいなことを言っていたけど、ぼくは「なんとなく、わかるよ」と答えるしかない。君がわからなければ、ぼくはもっとわからない。でも、なんとなくその気持ちはわかる。

 恋愛って、きっと、考えれば考えるほど、よくわからない。人を好きになること、愛すること、もっと言えば、感情って、科学では証明できない。会話とか対話というのは、言葉はいらなくて、たぶん、意識レベルでのプラズマの交換があるはず。だから、言葉を話せない動物とも意思疎通はできるんだ。

 そう、感情って、プラズマなんじゃないかと思う。だから、そのとき、生まれるプラズマって、いつも同じじゃなく、何万とか何十万、何億分の一の確率で、感情が形成される。だから、自分でもよくわからない感情も生まれる。

 理屈を付けようと思えば、なんとだって理屈作られる。でもね、ぼくが、いま言いたいことは、そういうことではないんだ。 

 その膨らませた頬と尖った口に、あとはいたずらを考えていさそうな無邪気な笑みの口元に賭けて言う。
 ぼくは・君が・好きだ

 なんだか、最後は、村上春樹風になってしまいましたね。(汗)

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愛する者のために死ぬ

 「さあ、死にますか」

 伍長は、隊長に向かって、そう言った。

 隊長は、「お前たちは死ぬことはない。死ぬのは俺だけでいい」と言った。

 「そんな冷たいことは言わないでくださいよ。俺たちは、家族みたいなもんだ。隊長だけ残して、逃げられるかっていうんです」と、伍長は、ライフルを肩に担いだ。

 「そうそう、どこまでもついて行きますよ。隊長。あなただけを死なせない。隊長も知っているでしょ、俺たちが物分りが悪くて、不器用だってこと。俺たちにできる唯一のことは、最後まで、あなたと一緒に戦うことだけだ。なあ、兄弟」と、軍曹は伍長の肩に手を置いた。

 僕は、この光景を呆然と見続けていた。すると、少尉は、「こいつらはわかっているんだ。勝っても負けても死ななければならないことを。敵に殺されるか、生き残ったところで、捕まって処刑されるか。どっちに進んだって、道の先にあるのは「死」なんだよ」と、僕に話しかけた。「隊長は、娘さんを逃がしたら、自決するつもりだ」とも言った。

 僕たちの部隊が所属する軍団は、この地からの撤退を決めた。もっと言えば、武装解除だ。しかし、それは、事実上の敗走であり、この地に住まう人々を残していくということであった。隊長は、残された自分の娘を守るために、一人、軍を離脱し、この土地に残った。少尉と軍曹、伍長と僕も残り、敵はもうすぐのところまで近づいていたのであった。

 すでに、敵とは、国と国との取り決めで、戦争は終わっていた。僕たちの国は負けたのだ。しかし、まだ、本土から遠いこの土地は、まだ戦争が続いていた。敵は侵攻し、村は焼かれ、略奪され、女性は犯された。男性は、家族を守るために戦い、死んだ。悲劇が続いていたのだった。
 
 隊長は、僕に、「お前は逃げろ。お前は、根っからの職業軍人ではない。そして、俺たちのように、戦うことでしか生きていけないわけではない。お前の知恵は、敗戦後の復興に重要だ。みすみす、命を落とす必要はない。いま、逃げれば、まだ間に合うだろう」

 僕は、「嫌です。僕も、皆さんと家族になりたいんです。僕は、皆さんと一緒にいたい」と答えた。
 隊長は、「ここは凄惨な戦場になる」と言い、塹壕を掘っていた少尉と伍長と軍曹はこちらを向いて笑った。

 「なぜ、そんなに笑っていられるんですか?死ぬことは怖くないんですか?」と、僕は隊長に尋ねた。

 「死ぬための理由があれば、死ぬことなんか怖くないさ」

 「死ぬための理由って、何ですか?」

 「それは愛する者を守るために死ぬということだ」

 と、隊長は言った。僕は、次の言葉が出なかった。

 「俺は、軍人である前に、人間だ。気持ち良く人間だ。そして、父親なんだ。自分の子供を守るためだったら、俺は死んでもいい。ここで、敵の侵攻を少しでも食い止め、少しでも遠くまで、娘を逃がすことが、俺の父親としての仕事だ。それに、お前は付き合わなくてもいいんだ。だから、逃げろ。お前は、愛する者のために生きろ」

 すると、少尉がこちらに来て、「俺の家族は空襲で死んだらしい。軍曹の家族も伍長の家族もみんなこの戦争で犠牲になった。もう失うものはなにもない。気持ち良く、俺たちの好きな隊長と一緒に死ねる。それが俺たちの生き方だ。そういう不器用な生き方しかできないのさ」と、言った。

 木の上で、監視を続けていた伍長が叫んだ。「来たぞ。」

 隊長は、「お前は早く離脱しろ。これが最後の命令だ」と、僕に叫んだ。

 僕は、首を振り、「僕も家族です。皆さんと一緒に戦います」と言い、塹壕に飛びこんだ。

 軍曹は、「兄弟。ここは踏ん張りどころだぞ。お前は何があっても生き残るんだぞ」と、僕の肩を叩いた。
 隊長も、塹壕に飛び込み、「馬鹿者が」と、僕につぶやき、そして大声で、「そんな不器用なお前たちが大好きだ」と言った。木の上の伍長も、塹壕の中の少尉も軍曹も僕も、笑った。澄み切った笑顔を見せた。

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海猿

 今夜は、映画版「海猿」(2004)を見ました。源教官が決断して、訓練生たちが救援に行くシーンに感動しました。そして、本日から「LIMIT OF LOVE 海猿」が劇場公開。

 2004年:映画「海猿」
 2005年:ドラマ「海猿 Evolution」
 2006年:映画「LIMIT OF LOVE 海猿」

 という、3年掛かりの壮大な海猿プロジェクト。考えてみると、大変ですよねぇ。作りがいと書きがいはあるだろうなぁと思います。

 ストーリーを通じて、仙崎大輔のバディ(相棒)も変わっていき、いまは、吉岡です。工藤→三島→池澤→吉岡です。そのうち、工藤は不慮の事故で殉職、池澤は殉職。でも、この積み重ねがあって、「LIMIT OF LOVE」なわけです。どちらかというと、環菜との恋愛よりも、バディとの信頼関係や事件の中で、仙崎の成長ドラマとして見た方が良いのかもしれません。

 個人的には、前に書いたかもしれないけど、時任三郎演じる下川が好きなので、もっと下川のシーンがあると良いのですが。踊る大捜査線みたいに、番外編があれば、ぜひ、下川の物語をやってほしい。

 よろしくお願いします。

 こんどの隊長役、石黒賢もいいけど、椎名桔平でもよかったなぁ。

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残り:779,728歩

 先週は、ゴールデンウィークだったことから、仕事関連の外出が少なかったので、それと比例して歩数が少ないです。。。 反省。

 ただ、海猿のドラマは見ることができましたし、トリックも見ることができました。土曜日の午後に放映されたトリック2の最終回では、友情出演で椎名桔平まで出演。もう、大満足です。だって、伊藤俊人、佐野史郎と来て、今日は、寺田農、市川勇、そして椎名桔平です。もう、ぼくの好きな俳優ばかりです。

 LIMIT OF LOVE 海猿、トリックの映画は見に行きたいなぁ。

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TRAINING MONTAGE(2)

 前の文章、もっと違うことを書こうとしていたのですが、微妙に話がずれていきました。

 何を書こうかと思ったかというと、自分自身のトレーニングプランを考えています。

 とりあえず、いま、下記のような基礎トレーニングをしています。

 1.腕立てふせ
 2.腹筋
 3.背筋
 4.スクワット
 5.竹刀素振り
 6.切り返し素振り
 7.シャドーボクシング
 8.ランニング

 こうして基礎体力を増強させ、持続力と集中力を高めることができたら、応用運動・実戦練習に移るという感じです。

 これで、これまでの体力低下による集中力の低下を避け、心肺機能の増強、肉体改造を図りたいと考えております。

 あとは、食事ですね。誰か栄養に詳しい方、教えてください。

 とりあえず、山にこもって、熊を倒しにでも行きますか・・・

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TRAINING MONTAGE

 「TRAINING MONTAGE」と聞いて、「ロッキー」とくれば、映画好き。
 「TRAINING MONTAGE」と聞いて、「高田延彦」とくれば、格闘技好き。

 もちろん、どちらも正解で、現役時代の高田延彦の入場曲は、映画「ロッキー」の「TRAINING MONTAGE」を使っていました。確かに、高田延彦の入場シーンは絵になるんですよね。引退試合(田村潔戦)では、華々しく散りました。ミルコ・クロコップ戦での銀色のガウンは忘れられません。あの頃、プロレス最強を目指して、ミルコの首を取ろうと多くのレスラーが向かっていったわけですが、みんな敗れました。当時の最強ファイターは、紛れもなくミルコでした。いまは、ヒョードルですね。ちなみに、新日本プロレスの永田選手は、ミルコともヒョードルともやっているんですよね。それを考えるとすごい!!

 いまは、そういう意味では、目標となる強い選手が増えましたね。ヘビー級では、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコ、ハント、といったところでしょうか。ここに、ジョシュ・バーネット、藤田、吉田が絡んでいくという、PRIDE GP2006は、格好の舞台が揃いました。

 ジョシュは、昔、永田選手がまだIWGPのチャンピオンだったとき、防衛戦をして、永田が勝っているんですよね。その後、新日本の総合格闘技部門のコーチ兼任選手として活躍。アルティメット・クラッシュ・ルール戦やパンクラスの試合に出て、スーパーヘビー級チャンピオンにもなりました。元々、UFCチャンピオンだったから、PRIDE GPを優勝すれば三冠ですね。そういう意味で、ぼくは、藤田とジョシュは、プロレスラーの代表として応援しています。

 世界のTKこと高阪剛選手は残念でした。でも、あの試合には感動しました。倒れても倒れても、前に向かっていく姿。涙が出てきました。TK、感動をありがとう。

 7月の2ndラウンドですが、組み合わせとしては、ヒョードル v.s. ジョシュ・バーネット、ミルコ・クロコップ v.s. 吉田秀彦、マーク・ハント v.s. 藤田和之といったあたりでしょうか。ジョシュは、ヒョードルにアピールしていたし。

 プロレスの世界では、ブロック・レスナーの動向ですよね。HERO'sに行くのかな。10月の東京ドーム(もしくは武道館レベル)で、中邑真輔が再挑戦で、奪還する気がします。話によると、7月に挑戦という話もあるようだけど、このあたりはレスナーとの契約によりますね。このままでは、レスナーがG1参戦というのはなさそうだから、7月に奪還でしょう。ただ、7月は、永田に挑戦させてあげたいという気持ちもあります。

 あと、HIRO'sでは、桜庭和志参戦らしいので、ミドル級トーナメントで、山本"KID"徳郎との対決は見ものかも。
 ただ、これは大晦日のダイナマイトかな。。。

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キューピー人形とチョッパー

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某スーパーで、駄菓子の物産展をやっていました。たまたま通りかかったので、覗いてみると、塩ビ人形がたんまりありました。あと、BB弾の鉄砲とかワーゲンカーとか。子供の頃が懐かしくなりました。

 キューピー人形は、大中小、ありました。そこで、中サイズを購入。

 あと、ぼくは、意外と「ワンピース」が好きです。最近、日曜日の夜のアニメも見てしまったりしています。連載の方では、いよいよウォーターセブン・エニエスロビー編はクライマックスに入ってきています。
ずっとコミックは買っていなかったのですが、GWにあたって、34巻から40巻まで、まとめ買いしました。

 大将の青きじは強いですね。でも、そのおかげで、ルフィも強くなったようです。

 41巻では、ニコ・ロビンの過去が全て明かされるのですが、感動モノです。しかも、その話の後の宣戦布告。本当に感動モノです。

 たぶん、いつもの流れだと、船大工が加わるわけですが、誰が入るのでしょうか?フランキー?
 それともパウリー?

 ただ、ゴーイングメリー号の行方も心配。ぼくとしては、船首はメリーにしてもらって、アイスバーグさんに改造してもらいたいんだけど。ニュー・ゴーイングメリー号みたいな感じで。そうじゃないと、そげキングのままだし。

 ワンピースの中で好きなキャラクターは、チョッパーです。あとは、サンジとナミかな。ロビンも好きです。

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第2回「倖田來未」ランキング

先日、大菩薩峠に行ったとき、ずっとオンリー倖田來未モードでした。(計10時間程度)
また、先日、カラオケに行きまして、倖田來未の曲も何曲か歌ってきました。

ということで、第2回ランキング。 カウントダウン (指) ←カウントダウンテレビのノリです。

第1位 :Someday(-)
第2位 :Butterfly(-)
第3位 :No Regret(-)
第4位 :real Emotion(-)
第5位 :Crazy 4 U(↑)
第6位 :キューティーハニー(↓)
第7位 :you(↑)
第8位 :COLOR OF SOUL(-)
第9位 :COME WITH ME(↑)
第10位:hands(↓)
※対象は、BEST~first things~、BEST~second session~に収録されている36曲

次回は、Boys Girlsや新曲などもノミネートされてきそうですので、3強がどこまで粘るかという感じでしょうか。

ペケポン!

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僕が僕に出会うさき(29)

 サキは、夢中になって、一品ずつ出されるイタリアンのコースメニューを楽しんだ。僕は、料理の味もあまり記憶が残らないほど、頭の中がいっぱいになって、時々、ナツコさんの姿を確認した。サキは、少し不満そうに、「なんか楽しそうじゃないわね」と言った。僕は、「そんなことないよ」と言うと、彼女は、「そうかしら」と言って、頬を膨らませた。

 メインの肉料理、この日のメインは、仔牛の悪魔風ソテーだった、を食べ終え、テーブルの上から料理の皿が片付けられた。メートルが、食後のデザートをどうするか、尋ねてきた。僕は、バニラアイス添えのティラミスを頼み、サキはブルベリーソースが乗ったレアチーズケーキを注文した。僕は、熱いエスプレッソを味わいながら、ティラミスを食べ、彼女は、紅茶を飲みながら、チーズケーキを食べた。

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トリック と 海猿

 ゴールデンウィークということで、先週から自宅で仕事をしております。
 自宅にいるので、テレビを流し放しにしておくことも多く、杉崎さんが出演している早朝の「めざにゅ~」、「めざましテレビ」、「こたえてちょーだい」、「ごきげんよう」となり、たまに「おもいっきりテレビ」で、「ちょっと聞いてよ生電話」の相談内容に耳を傾け、その後、ドラマとなります。
 (平日は、国会中継を流し放しにしているぐらいです)

 先週は、「海猿」を見ていました。下川隊長役の時任三郎が、とても良い味を出しています。よくよく見ていると、時任三郎もしくは下川を演じている時任三郎が知っている人とイメージが重なり、さらに注目してしまいました。

 海猿は、最終章を「Limit of Love-海猿-」として、週末から公開予定です。

 今週は、ゴールデンウィーク限定で、「トリック2」の再放送もありました。
 トリックの最新作も映画で公開されます。こちらは6月20日から。
 おかげで、阿部寛の真似ができるようになりました。
 

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僕が僕に出会うさき(28)

 5分ぐらい歩くと、彼女は、立ち止まった。「たぶん、あの店だと思うわ」と彼女は言った。僕は、「なかなか良さそうなお店だ」と答えた。彼女は、何の気後れもなく、お店に入ると、僕は目の前にナツコさんの姿を見つけた。僕は、ナツコさんに気づかれないように、情けないほど、小さくなって、店のコミに案内されたテーブルの方向に歩いた。テーブルに向かっている間、何度か、僕はナツコさんのことを目の端で確認した。ナツコさんは、僕のことには気が付いていないようであった。

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ときわ健康温泉

 きょう、ぼくが行ってきたのは、

 「ときわ健康温泉

 まろまろ氏、ご推薦の温泉銭湯です。

 身体を洗うところまでは、普通の銭湯なのですが、お湯は温泉です。これに、いろいろなジャグジーがあって、露天風呂があって、薬湯までありました。

 ちなみに、行くときは、都営三田線の志村坂下から行ったのですが、か~なり歩きました。さらには、遭難しました。まさに、「板橋の真ん中で遭難したと叫ぶ」 ~アイ ウィッシュ フォエーバー~ 「助けてください、助けてください、助けてください」という感じではなかったのですが、面白い冒険でした。

 たぶん、東武東上線の上板橋駅から行くと、あまり歩かないと思います。

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デジアナ + きょうの杉崎さん

 2011年7月に現在の地上アナログ放送が終了するわけなのです。(本当に、ここまでに地上デジタルの放送局が体制を整えられるのかはわかりません⇒総務省の私的懇談会で、マスメディア集中排除規制の緩和の方針を盛り込むようですが、このあたりの事情も微妙に踏まえられているようです)

 そんなわけで、いま、アナログからデジタルに変わります。女子アナもデジアナに変わりますというCMをやっています。そのメンバーを調べてみました。

 たぶん、社団法人デジタル放送推進協議会が、2004年12月に任命した「地上デジタル推進大使」だと思うので、こんな感じでしょうか?

日本放送協会  島津有理子アナウンサー
日本テレビ放送網(株)  馬場典子アナウンサー
(株)テレビ朝日  丸川珠代アナウンサー
(株)東京放送  竹内香苗アナウンサー
(株)テレビ東京  森本智子アナウンサー
(株)フジテレビジョン  中村仁美アナウンサー

 各局とも同じCMなのですが、日テレだけ、追加分があるんですね。それも、なかなか良いです。

 さて、きょうの杉崎さんですが、めざにゅ~相談室で、書いたのは、「俺もメシいい?」
 ふむふむ。なるほど。

 でも、書いているときに、その様子が映ってしまうのは、なかなか良かったり、かわいそうだったり。自然な姿が(・∀・)イイ!感じでした。

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僕が僕に出会うさき(27)

 「待たせちゃった?」とサキが聞いたので、僕は、「僕も今来たところなんだ」と言った。サキは、「良かった」と言った。僕は、「ねえ、サキ。少しコーヒーでも、ここで飲んでいくかい?それとも、このままお目当ての店に行く?」と聞くと、サキは「このまま行きましょう。あなたは、それでいい?」と言った。僕は、「もちろん」と答え、残っていたカフェモカを一気に喉の奥に飲み込んで、カップをゴミ箱に捨て、店を出た。

 僕たちは、彼女の案内に従いながら、彼女の目当ての店に向かいながら、並んで歩いていた。僕の右手と彼女の左手が時々、ぶつかった。彼女の手の感覚を僕の手は逃さなかった。そのぐらいの距離感で、並んで歩いていたのだ。

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僕が僕に出会うさき(26)

 カフェモカにホイップクリームを追加すると、店によっては、変な顔をする。「お客様、カフェモカには、ホイップクリームが乗っておりますが」と言われるときがある。そのとき、「いえいえ、もっとクリームが欲しいんです」と言う。すると、お店によって、黙って、追加料金を取る店と、「じゃあ、お乗せするクリームを増やしますね」と、無料で追加してくれる店がある。後者の店には、とても心地よさを感じる。

 カフェモカを飲んでいると、サキが店に入ってきた。僕は手を振ると、サキは気が付き、こちらに歩いてきた。

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僕が僕に出会うさき(25)

 18時30分を少し遅れて、僕は外苑前の駅に着いた。都心では、地下鉄を乗り換えるよりも、歩いた方が早い時もある。でも、今日は、外苑前まで歩く元気はなく、地下鉄に乗ってきた。スターバックスに入ると、スーツを着たサラリーマンや大学生のカップルなどで、混みあっていた。辺りを見回しても、サキの姿は見えなかったので、カフェモカを買って、テーブルに着いた。カフェモカにトッピングで付けてもらったホイップクリームをスプーンで食べながら、ゆっくりとカフェモカの味を楽しんだ。

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僕が僕に出会うさき(24)

 夕方に近づいて、僕が事務所で仕事をしていると、携帯電話にメールが入った。

 「今日は、18時には会社を出られそう。あなたは、どう? サキ」というメールだった。僕は、
 「僕は、何時でも大丈夫。君の予定に合わせるよ」と返事した。そうすると、
 「じゃあ、18時30分に外苑前の駅を出たところにあるスターバックスで待っているわ。サキ」と、すぐに返信があった。
 僕は、「オーケー。」と返事した。

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