今回は、まろまろ堂さんと谷根千を歩いてみました。
幼少のころ、10年ほど、根津と谷中に住んでいました。そんなわけで、15年の歳月を感じつつ、「温故知新」をテーマに、なつかしの冒険に旅立ちました。今回の宝物は、「思い出」と言ったところでしょうか。
まろまろ堂さんとは、本郷3丁目で待ち合わせ。この日は、花粉症の薬を飲んでいたため、少しボッーとした感じで、一日がスタートしていました。眠くならないはずの薬なのですが、少しぼんやりしてしまうのです。
東京大学では、大学院の修了式だったようで、羽織袴の女子学生のみなさんが多かった。なんだか、大正ロマンス、「はいからさんが通る」な感じでした。本郷通り沿いに歩いていって、東京大学の農学部のあたりで、細道へ。本当は、団子坂まで歩いて、そのまま、谷中銀座に行こうと思ったのだけど、本郷通りをこのまま歩いても、見慣れた景色でつまらないので、右折することにしました。ちょうど。地震研究所の周りを歩いて、坂を歩くと、根津神社。
根津神社は、「つつじ祭り」で有名。ちょうど、ゴールデンウィークあたりが見所なのです。子どものころ、よく遊んだなぁと思いながら、境内の方へ。神社を参拝しました。去年は、連休明けぐらいに、やっぱり参拝してきました。
ちょうど、米国旅行に出る前だったので、一生懸命、おみくじを引いていました。ほかのところでは、末吉とか小吉とかばっかりだったので、だんだん、不安になっていたところ、根津神社で大吉をひきました。旅立つ3日前で、ぎりぎりセーフという感じでした。このころ、大吉がでないことを、真面目に悩み、杉本さんに「くじ運がないんですよ~」みたいなことをメールで送っていたりしました。
そのまま、まろまろ堂さんが芋甚で、「もなか」を食されたいとのご希望だったので、不忍通り沿いに出て、芋甚へ。幼少のころ、このあたりのマンションに住んでいたので、芋甚は近所でした。芋甚のもなかについては、まろまろ堂さんの日記を見てください。ぼくは、小倉あんみつを注文。
あんみつを食べながら、なつかしい味を思い出す。ぼくは、けっこう、あんみつとかみつまめとか好きなので、かって食べているのだけど、なかなか満足できなかった。でも、この日、あんみつを食べて、満足した。もしかすると、ぼくが探していたあんみつの味は、芋甚のあんみつだったのではないかと思いました。子供のころの憧憬を思い浮かべながら、あんみつを食べました。
芋甚を出た後、裏道を通って、谷中銀座へ。このあたり、昔は、結構、水が出ていて大変でした。たぶん、地形が谷の底になっているので、大雨が降ると、たまってしまうんでしょう。徐々に、下水道整備が進んで、良くなってきていたけど、洪水の記憶が、頭の記憶の片隅にあります。洪水といえば、山中湖でも水が溢れてしまって、大変だった記憶があります。
谷中銀座を通ると、やはり子供のころとでは、視点が違うのか、狭くて、小さいイメージにギャップを感じました。子供のころは、もっと長くて広いイメージだったのだけど。なんかこじんまりしている感じがした。でも、武藤書店はあいかわらずあったので、嬉しかった。子供のころ、神輿に乗ったり、祭りとか楽しかったなぁ。
谷中銀座を通り過ぎた後、日暮里の駄菓子問屋に行こうと思いました。昔、よく駄菓子問屋街に行って、駄菓子をまとめ買いしてもらったりしていました。たとえば、きなこがかかったあんこの駄菓子とか。あと、野球とかサッカーボールの包みに入ったボール型のチョコとか。いまでは、まとめ買いしても数千円なはずだから、大して、高い買い物ではないのだけど、昔は、一日のお小遣いが100円だったはずだから、とってもとっても高い品物だったのデス。
日暮里の陸橋を歩いていると、駄菓子問屋周辺が再開発の工事中だった。噂では聞いていたけど、あの問屋街はなくなってしまったんだ。寂しさを覚える。またひとつ、なつかしい思い出が消えてしまった。。。
谷中墓地を抜けて、お墓参りをして、小学生のころ住んでいたあたりを歩きました。昔は、お寺の入り口の灯篭をサッカーゴールにして、毎日のようにサッカーをしていました。あと、墓地の中でドロ刑とか。よく、このあたりのことは、夢で見るので、きっと、ぼくの心象風景で最も刻まされているのが、このころの記憶なんだなぁと思いました。
昔の通学路を歩いて、再び根津へ。あんぱち屋のところを左折して、赤札堂の方向へ。途中で、大正時代の建物である「あけぼのハウス」が取り壊されていました。また、小学生のころのお友達のユミコちゃんの家も建て替えていました。徐々に、街が変わっていきますね。
赤札堂から、さらに池之端方面へ。昔、よく買い物をした本屋さんと駄菓子屋さんが合わさったいざわやも閉まっておりました。
そのまま歩いて、水月ホテル鴎外荘に到着。ここは、天然温泉が出るそうで、温泉につかることに。
先に入浴されていた人に聞いてみると、このあたりは、都内ででる温泉とはちょっと違った温泉のよう。昔は、このホテルも外湯はやってなかった、高級旅館だったのだが、最近は、外湯がOKになったようでした。あまり、お客さんはいなくて、ゆっくりと湯治する。
実は、ここは森鴎外が、昔、住んでいた家の跡地のようです。鴎外荘もあって、いまはレストランになっています。なんと、不覚にも、ここでデジカメの電池ギレ。うーん、残念。ということで、ここから携帯電話のカメラでの撮影になります。
感じとしては、お食事だけする人もいるみたいですね。懐石料理を食べさせてくれるみたいで、お風呂にも入れるから、なかなか良いかも。特別コースでは、ヴァイオリンや琴などもひいてくれるみたい。同窓会など、少し贅沢にやってみるときには、良いかも。
まろまろ堂さんのオススメで、うどんを食べに行くことになりました。根津の商店街を通り、不忍通りに出ました。幼稚園から小学校まで同じだったミホちゃんのパン屋さんは、カフェ付きのお店になっていました。また、クミコちゃんの家のお茶屋さんは、マンションになっていて、その一階にお茶屋さんがある感じにと、やっぱり街並みは変わるものなのですね。
根津神社近くの「根の津」で、うどんを食べました。なかなかおいしかったので、また来たいお店になりました。
うどんを食べた後、根津小学校の脇を通り、言問通りへ。そういえば、ミナコちゃんは元気かな?
弥生土器発見の地を確認して、そのまま東京大学の構内へ。なんだか、ホテルみたいな建物が多くて、すごいですね。医学部棟の上にあるイタリアンレストランは良いみたいですヨ。
そのあと、まろまろ堂さんが入っている、mixiコミュのオフに突然参加しました。立ち飲み屋の後に、オフ会に参加していたひとりがアルバイトしている"You Me"という店へ。
こちらは、同窓会などのパーティーなどで使えそうなので、後楽園・水道橋付近での新発見でした。
そして、次回は、浅草探検ということを決めて、幕を閉じました。もし、ご一緒いただける人がいましたら、ぜひどうぞ。ディープな浅草に挑戦します。
今回の旅は、思い出を探しに行くこと。だいぶ、子どものころに感じた街と、街そのものが変わっていることもあるけど、とても異なった感触がした。これが大人になるということなのだろうか。
あのころは、もっと純粋な瞳で眺めていた。「三丁目の夕日」ではないけど、日本人が、いや、ぼくが忘れていた何かに、ぼくはタイムスリップして出会ったような感じがした。
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