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ある狼の死

 先日、村上春樹の『辺境・近境』を読んだ。「ノモンハンの鉄の墓場」というノモンハンへの旅のエッセイで、雌狼に出逢ったときの話は、電車の中で読んでいたのだけれど、涙が出そうになった。

 「狼は立ち止まり、肩で大きく息をし、覚悟を決めたように僕らのほうをじっと見つめる。どうあがいてもそれ以上逃げ切れないことを、狼は知っている。そこにはもう選択肢というものはない。死ぬしかないのだ」

 「チョグマントラは運転手にジープを停めさせ、ライフルの銃身をドアに固定し、照準を狼にあわせる。彼は急がない。狼がもうどこにも行かないことを彼は知っている。そのあいだ狼は不思議なくらい澄んだ目で僕らを見ている。狼は銃口を見つめ、僕らを見つめ、また銃口を見つめる。いろんな強烈な感情がひとつに混じりあった目だ。恐怖と、絶望と、混乱と、困惑と、あきらめと、・・・それから僕にはよくわからない何か」

 「一発でその狼は地面に倒れる。身体がしばらく痙攣しているが、やがてそれも終わる。小柄な雌の狼だ。季節からして、子供のために餌を探していたのかもしれない。僕はそのやせっぽちの狼が、鉄の車と鉛の弾丸からなんとか逃げ切ることを内心祈っていたのだが、結局奇蹟は起こらなかった。死体に近寄ってみると、狼は恐怖のあまり脱糞していた。肩の少し後ろに銃弾は命中している。それほど大きな弾痕ではない。上着のボタンくらいの大きさの、丸い血の染みが現れているだけだ」

 僕は、その雌狼の姿を丁寧に思い浮かべてみた。狼の瞳の奥には、どんな感情があったのか。村上春樹は、「恐怖と、絶望と、混乱と、困惑と、あきらめと、・・・それから僕にはよくわからない何か」とあるが、その何かとは、何なのか。言葉というような具体的な、説明的な、記述的なものにはならないだろうけど、生物には感情が必ずある。人間は、それを言葉や憧憬を通じて表現することが出来る。でも、それだけのことだ。どんな生き物にも感情はあるのだ。

 僕は、その狼が本能的に死を悟ったときの何かしらの感情を知りたいと思った。子供たちを残して死んでいくことの無念の思いなのか、それともその他の何かなのか。

 そして、死は、そのとてつもなく大きな感情と反比例するほど、静寂にやってくる。
 
 僕は、そこに人間的な弱さの根源とも言える何かが隠されているのではないかと思う。死への恐怖とは何なのか。無に帰することへの恐怖なのか、それとも、もっと僕にはわからない何かへの、しかし確実にやってくる何かへの恐怖。

 人間は、その恐怖を幾分やわらげるために、宗教を生み出したのだと思う。人間は、宗教を生み出すことによって、「死」=「無」という世界観を超えようとした。まさしく、「死」の先に、「有」の世界観を模倣的に作り出すことによって、根源的な恐怖から解放されようとしたのである。

 僕は、この狼の死を通じて、人間が抱える、どうすることもできない、理不尽なほど大きな恐怖を知り、それが生み出す人間の弱さを無意識に感じ取ったのである。

 恐怖とその恐怖が生み出す人間の弱さを知ったとき、僕は、誰かにそばにいて欲しかった。そして、その誰かとは誰のことなのか、誰にいてほしいのか、少しずつ答えを見つけようとした。

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