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自己治療としての芸術

日曜ではないのですが、「俊平堂書店中野店」の開業記念ということで、寄稿したいと思います。
あと、作詞の方ですが、こちらも新ブランド「俊平庵夢工房」というもので発信していきたいと思います。「俊平庵夢工房」は、不定期に掲載されると思います。

さて、いまぼくは小説を2本書いています。ひとつは、このブログで連載中の「今夜、夢の中で君に出逢う」と書き下ろし用の「神々に捧げる詩」です。これらを書いていると、実に精神的なバランスが保たれることがわかりました。

2つの作品ともフィクションですが、作品を作るにあたって、ぼくはぼくとの対話が存在します。さらには、ぼくの中で、例えば、ぼくは「今夜、夢の中で君に出逢う」の主人公の「僕」(名前はありません)と、よく会話をします。そして、僕は、レイコさんやなつこさん、ユミ、そして、これから登場してくる人々と会話をします(実は、実際には書き進めているので、ここではまだ書けない登場人物がいます)。

僕は、彼ら、彼女らと会話をすることで、物語を書き進めていくわけですが、それは、カウンセリング的な対話が成り立っていると思います。人間には、誰しも欠落があると思います。その欠落がときに、コンプレックスになったりするわけで、その劣等的なコンプレックスをカバーしようとするために、真逆な行動つまり優越コンプレックスが出てしまうことがあります。これがひどい場合に、人間関係において、さまざまな問題を生じさせます。

「コンプレックスがあることは悪いことではありません」と、ぼくは思います。ぼくも、いろいろとコンプレックスがあるし、それにいろいろと悩まされたりします。そのコンプレックスを負の方向にではなく、昇華させることが必要なんだろうと思います。嫉妬心なんかもそうです。それをバネに自分を成長させればいいのではないかと思うんです。

ぼくは、小説を書くことによって、心理・精神的な欠落を自己治療されているような気がしてなりません。小説の登場人物と対話をして、物語を作っていくことによって、ぼくたちは、少しずつ、自分の欠落を埋める作業をしているんだと思います。実は、物語を書いていて、石和裕美さん(小説の登場人物)が死ぬことになるとは、最初のうちは思いもしませんでした。彼女の死んだシーンは、僕も悲しい気持ちになり、「僕」がレイコさんと下田の砂浜で、打ち上げ花火を上げて供養したとき、ぼくも一緒に弔いをしました。

現代社会は病んでいると言いますが、きっとぼくは、人間生活の中で、こういう自己治療みたいなことはどこかで必要なんだろうと思います。それは、小説を書くということだけではなくて、本を読んだり、音楽を聴いたり、楽器を奏でたり、スポーツをしたり。

ぼくの作品を読んで、おひとりでも、自己治療に役に立ったという方がおられれば、ぼくはうれしいです。

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