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赤い蝋燭(2)

 僕が彼女に会ったのは初夏だった。あの年は、どちらかというと冷夏で、テレビなんかでは海水浴場では、海の家が商売にならないとか、そういうニュースが毎日放送されていた。そんなニュースを僕はぼんやりと、日本って平和だなぁと思いながら、(もちろん、海の家とか夏にまとまった収益を出さなければいけない商売にとっては死活問題なわけで、こんなことを言うと、きっと僕はそういう人たちからは怒られるだろう)、彼女に少しずつ恋心を感じ始めていた。

 あと、思いだせるのは、雨が多かったということだろうか。まあ、ちょうど日本の季節的には梅雨なわけで、この時期に雨が少ないと問題ではあるが、彼女に会うときは、いつも雨が降っていたような気がする。雨が少ないということでは、確か僕が小学生の頃、深刻な水不足になったときがあって、東京ではぎりぎりなんとかなったらしいけど、もっと違う地域では給水車が出るとか、そんなことがあった。そんな経験から遺伝子的に「水を大切にしなければ」ということが植えついていて、梅雨とか夏に雨が降ると、少しほっとする。

 僕はその頃、大きな失恋をした後に、小さな失恋をいくつかした後で、暫く恋愛はいいかなと思っていた。僕は当時、恋愛はとても苦しいものに感じられていて、胸を締め付けられるようなことがとても辛くて、一喜一憂というような心の変化もなんだか楽しめなくなっていた。そんなときに、彼女が僕の前に突然現れたのであった。

 僕と彼女は、確か仕事の関係で出会った。「確か」という言葉を使ったのは、記憶はたいがいにして美化される。とくに恋愛に関する記憶は、大抵美化され、大げさに記憶に残る。たいした出会いでなくとも、二人の間では、とてつもなく素晴らしい出会いになってしまう場合もある。「あばたもえくぼ」という言葉があるが、また「恋愛は人を盲目にさせる」という言葉もあるが、実はたいしたことがなくとも、素晴らしく見えてしまう、それが恋愛の魔力なんだろうと思う。

 彼女の名前は、今ここではあまり重要な意味をもたないだろう。ここで重要なのは、「確かに」一定の期間、僕は彼女に恋をし、愛していたこと、そして彼女も僕に「きっと」恋をして、愛していたこと。それが時間が経過していくとともに、彼女の気持ちは、徐々に僕から離れ、そして「確実に」僕よりも先に別れを意識したということである。そして、結果として、彼女と僕との恋愛関係に終止符が打たれたということである。さらには、そのことの責任は全面的に僕にあるということである。

ただ、ひとつの目印というか識別という意味で、「仮に」彼女の名前を決めておくのであれば、「ユミ」という名前で彼女を呼ぶことにしよう。

 ユミは、自立した女性であった。自立した女性であったといっても、フェミニストだとかそういうことではなく、しっかりとした「考え方」、「価値観」を持ち、僕よりもずっとずっと大人であった。僕がまだまだ若かくて、子どもであったということもある。それでも、ユミは、はるかに大人の女性であった。

 だから、僕にとっては恋人であると同時に、「お姉さん」的な存在であり、僕は表面上は、彼氏として振る舞うが、内面的には、全面的にユミに依存していた部分が強い。僕は、恥ずかしいから自慢にはならないが、精神的にけっこう弱い部分があって、目の前に困難があると、不安になったり、考え込んでしまったりする。そんなとき、僕は少なからずユミを逃げ場にしていたことは否定できない。

 その意味では、ユミは僕にとっては出来すぎた彼女であったのであろう。その悪循環が彼女の気持ちを少しずつ僕から遠のかせることになったと、僕は今にして思える。

 だから、僕が今、ユミに伝えたい言葉は、「ありがとう」という言葉である。

 今、目の前に広がっている光景は、僕がユミと最後に別れたシーンの再現ではなく、明らかに別のシーンである。だから、記憶のフィードバックとかそういうものではなく、たとえるなら、押入れの中にしまわれていた古いアルバムの中から、今まで見たことない新しい写真が見つかったという感じだ。

 僕は、確か新宿の古ぼけた店にいて、その店主の老人は赤い蝋燭に火を灯していた。その瞬間、僕は意識が遠のくような感じがして、少し眠くなって、目を閉じた。次に目を開けた瞬間に見た光景が、この新しい写真であった。今、目の前にいるのは、あの冷夏の年の初夏に出会ったユミであった。

 お別れのキスをして、「願わくば、またキスをしたいな」と言っている僕は僕自身ではなかった。

なぜなら、僕はそう言っている僕も見えているからだ。つまり、主観ではなく、第三者の視点からユミと僕を見ていることになる。しかし、彼女が何も答えなくなってから、明らかに写真の中に僕はいなくて、僕の目を通じて、ユミだけが見えている。客観的視点から急激に主観的視点に変わったのだった。

 僕は、一所懸命、何かを発しようと、適当な言葉を頭の中で、考えていた。
 そのときに、無意識で出た言葉が、「ありがとう」だった。

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予告

 「大きな米国 小さな僕の冒険」ですが、今回連載した文章を中心に、新たに文章を書き加えたり、米国滞在中の写真などを使って、編集して、出版することにしました。
 新たに文章を書き加えるというところが、自分にとっての最大の障害ではありますが、やはり形にしておくことが重要ということで、秋ぐらいには出せるように執筆と編集に入ります。
 お楽しみに。

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あとがき

 この「大きな米国 小さな僕の冒険」は、僕が5月24日から6月12日までの米国旅行の滞在記です。

 まずは、旅行中にお世話になりました皆様に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 また、実はこの旅行に行くために、ご高配とご厚情を賜りました先生方にもこの場をお借りしてお礼を申し上げます。また、旅立つにあたりまして、いろいろとご迷惑をおかけした皆様もおりまして、お詫びとお礼を申し上げます。

 本来であれば、実名を挙げてお礼を申し上げるべきところでございますが、このようなブログに掲載ということで、逆にご迷惑をおかけすることになるといけませんので、このような形でお礼を申し上げる失礼、ご寛容いただければ幸甚でございます。

 今回の旅行の主目的は、George Mason大学の公共選択研究センターで開催されたOutreach Conferenceに参加することでした。そして、続けて開催されるSummer Institute、そしてYale大学に浜田先生をお訪ねすることです。この「大きな米国 小さな僕の冒険」では、アカデミックなことはあまり書いていませんが、目的は研究のためです。今回の成果としては、これからの研究成果の中で出して行きたいと思いますが、一言で感想は、アカデミックな刺激をたくさん受け、自分の研究を発展するヒントを得ることができました。特に、米国滞在中には、次々と研究のアイディアが思い浮かび、それがおぼろげながらも形になっていく、学術的な意見交流の中で、自分の頭の中がクリアにされていく、そんなことを実感したわけであります。いま、僕が言えることは、留学もしくは海外で学術的な環境に身を置くことは素晴らしいということです。ですから、僕はこれからも機会があれば、もっともっと海外に出たいと思っております。

 この滞在記を書くことは、実は出国前から考えていました。学術的なことを書いていくという方法もあるんでしょうけども、それは自分の研究に反映する形にするとして、このブログでは、もっと単純な米国生活のこと、特に困った話とか笑える話とかを書こうと考えていました。

 それが自分の記録にもなるし、もし読者の方が、初めて海外に行かれるときの参考になればと思っています。実は、岸本周平さんの「中年英語組」という新書を読んで、米国の大学生活を知る上で、大変参考になったことがあって、僕も体験記を書きたいなと思ったことがありました。「大きな米国 小さな僕の冒険」は、「中年英語組」に比べれば足元にも及ばない拙文ですが、今回の旅行を何か形に残したかったわけです。

 どういう風に書くかということなんですが、日常をありのまま書くということもあるのですが、それは自分で読み返しても面白くないし、自分で面白くないんだから他人にはもっと面白くない。だから、僕は、失敗談を中心に少し脚色も加えて書くことにしました。
 
 実は、僕は今まで、作家としてはノンフィクションというものを書いたことがありません。エッセイは何度かやったことがありますが、自分のことを書くなんて、とても恥ずかしくて、筆が進みません。今回の「大きな米国 小さな僕の冒険」も、たぶん、完全なノンフィクションの形では、恥ずかしくて書けないでしょう。そこで、今回の旅行を題材に、記録的な部分は当然残しながらもひとつのストーリーを書くことにしました。

 だから実は、脚色されているところがあるし、実際には、もっといろいろなことがあって、書いていないこともあります。例えば、あのラブロマンスとか、悲しい恋の物語とか、そういうのは書いてません。まあ、恋愛云々については、もちろん、そういう話自体なかったので、書いたら、完全な嘘になります。(笑)

 だから、これをノンフィクションの滞在記とは思わず、ひとつのストーリーとして読んでいただければ嬉しいです。

 僕は英語が苦手です。でも、こうして3週間、米国に滞在し、いろいろな方のご支援で旅行を終えることができました。アムトラックに乗ることも、国内トランジットも、英語がもっとできれば、もっと不安にはならなかったでしょう。話の中で書いたと思いますが、実は、とてつもない不安に襲われたときもありました。また、英語が聞き取れなかったり、うまく言えなかったりで、笑われたり、変な顔をされたりで、悔しい想いもしました。ただ、どうにかなってしまうものです。語学というのは肩に力を入れている限りはうまくならないのかなとも思います。だから、これからはあまり難しく考えずに、英語を話し続けていこうかなと思います。

 米国滞在中に、論文一本を書き終えました。それは今度の学会で報告します。また、小説の構想も少し進めました。これは、不定期連載中の「今夜、夢の中で君に出逢う」です。これもまとまった時間をもてれば、一気に書けるでしょう。

 そういう意味では、自分のセンスを研ぎ澄ますために、素晴らしい環境に飛び込むことができ、また良い意味での頭のリフレッシュになりました。

 いまは、なんとか、この帰国日までの記録を残せただけで、ほっとしています。そして、また米国で生活をしたい、こんど生活をするときは、こうしたいとかをいろいろ考えています。

                                                           矢尾板俊平

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6月12日(日)飛行機の中

 やっぱり、13時間というのは長い。リコンファームのときに、通路側を予約していたので、まだ良かったのですが、隣はおじさんで、あまり楽しくない。そりゃ、若い女の子でも、僕の性格上、話しかけるとかそういうことはできないので、誰でも同じと言えば同じなんだけど、まあ、そこは僕の勇気次第ということで、確率論的には違うわけです。

 しかも、おじさん、こっちを向いて寝るんです。見ず知らずのおじさんの顔がこちらを向いていて、気が気でありません。しかも風邪を引いているのか、なんどもくしゃみとかしてます。こんな密室の中でそんなことされたら、風邪がうつります。

 まあ、そんなこんなで13時間、やっぱり長いです。
 
 持ち込んだのは、村上春樹の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」塩田潮の「郵政最終戦争」、雑誌のSPA!でした。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」は一時間ずつで、読了。すぐに読み終わりました。まあ、これで、「羊をめぐる冒険」を加えて、三部作、全部読み終わりました。「風の歌を聴け」の冒頭で「僕」は女の子の部屋で起きて、女の子が目覚めると、「僕」を問い詰めます。「なんかしたでしょう」みたいな。「僕」は、「なんもしてないよー」というわけですが、記述的に、「なんかしてますよね」。でも、「僕」の言葉に僕も騙されそうになりました。「郵政最終戦争」もなかなか面白かったが、2時間はもたず。あとは、ゆっくりとSPA!を読む。まあ、一冊のSPA!で3週間もたせましたから、なんとかなるでしょう。行きの飛行機は、SPA!を読もうとしたら、両隣が女の子で、さすがに恥じらい読めなかったんですが、今回は隣がおじさんだったからいいやと読んでました。

 こうなると、食事の時間が恋しい。特に、朝は、カップラーメンとおにぎりなんですが、それが待ち遠しくて待ち遠しくて、1時間30分も待ってしまいました。

 シベリア上空、樺太上空を飛んで、日本領空へ。歴史の重みを感じました。

 そして、いよいよ成田に到着するわけです。

 2月に上海から帰国したときは、入国に大変な時間がかかったので、すかさず飛行機から脱出。入国審査に飛び込む。荷物が出るのに時間がかかるも、税関のお姉さんが愛想が良くて、気分がいい。3週間ぶりの日本ですが、車って、そういえば右ハンドルでしたね。とてつもなく違和感。。。

 ちなみに、飛行機は一睡もできず。

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6月11日(土):米国東部時間

 飛行機は、11時20分。リコンファームの時に、遅くとも2時間30分から2時間前には空港に来てくださいと言われたので、9時前には空港に着こうと、6時30分に起きる。
 だいたい、何かあるといけないので、8時過ぎにはホテルを出ようと心がける。寝過ごしてしまうといけないので、携帯電話のタイマーを6時から30分置きに準備する。たまに寝過ごしてしまうときがあります。今回の旅行中も実は、一回だけ、寝過ごしてしまって、失敗したことがありました。どことは恥ずかしくて言えないけど。

 基本的に、僕は寝ることが怖い。なぜかって、起きられるかどうか不安だからだ。特に重要な用件がある場合、ほとんど寝過ごさないけど、たまにミスする。これが結構、致命的なミスで、それが怖い。寝過ごす夢を見る場合なんかもある。それだけ怖い。

 今回、寝過ごしたら、飛行機は飛び立ち、はい、さようなら。僕は日本にもう戻れなくなる。確かに、このまま、もう少しいるのもいいかもとは思っているけど、寝過ごしました、飛行機乗れませんでした、はい、それまでよ、というネタは作りたくない。だから、ボストンでも寝なかった。

 合理的などうかわからないけど、朝早くに用事がある場合、リスク遮断として寝ないという選択をすることが多々ある。最近は、それでも身体がきついから寝てしまうけど。

 今回は、それでも8時までに起きればなんとかなるし、23時には寝る準備ができたので、さすがに大丈夫だろうと昨夜は寝た。

 そして、僕は起きた。さあ、いよいよ帰国するぞ、という目覚めだった。

 予定通り、8時にホテルをチェックアウトして、シャトルバスを待つ。実は、シャトルバスは、僕の目の前を通り過ぎて、出たばかりだったので、結構、待つんだろうなあと思い、ベンチで待つ。10分程度で、シャトルバスが来て乗る。乗客は僕一人。運転手が、どこのターミナルだ?と聞いてくるので、Cターミナルだと言う。そしたら、「国際線か?」というので、「うん」と答える。

 8時30分前には、ターミナルに着く。さすがに、成田行きなので、日本人が多い。今日も、ちょっと気取ってジャケットを着て、サングラスをかけて気分はニューヨーカー。どちらかというと、映画「Brother」という感じ?でも、テーマは、ニューヨークに事務所を構える弁護士です。でも、バックミュージックは、久石譲なんだろうなという感じ。

 さて、最大の懸念である、荷物チェック。また、徹底的に調べられるんだろうなぁと思いつつ、2回の経験より学んだ全ての知識をフリースルーのために傾ける。運命の瞬間。僕は、ずり落ちそうなズボンを手で持ちながら、ゲートを通る。過去2回、ひっかかっても音はしないので、結果はわからない。言うなれば、アメリカ横断ウルトラクイズでグアムに降り立てるかどうかの気持ち。
 なんと、今回はフリースルー。初めてチェックされませんでした。良かった良かった。

 免税店で買い物をしつつ、搭乗ゲートも確認し、スターバックスでコーヒーを飲む。そのとき思ったのは、出国審査ってしてなかった、ということだった。いつもだったら、荷物検査の後、出国審査やって、パスポートにスタンプを押してもらって、ひと段落なのに、その作業がない。徐々に不安になってきた。どこでやるの?

 恐る恐るゲートに向かうと途中で、女性が、日本語で、「東京に行きますか?」と尋ねてくる。「そうですよ」というと、「そうしたら、ここでチェックしてください」と、指紋を取られ、写真を撮られる。なんと、自動出国検査装置のようだ。自動で名前まで表示される。すごい。なんか、バーコードみたいな紙がでてきて、これをなくさないようにと言われる。搭乗ゲートで、グリーンカードを回収され、循環に来たお兄さんに指紋を再度取られ、チェック完了。そのまま飛行機に乗り込む。

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6月10日(金):米国東部時間

 外を見ると雨も降っている。昨日は、いろいろとあったので、外に出る気もあまり起きない。まあ、でもニューヨークの近くまで来ているので、行ってみようかと思う。それで、朝は少し遅めに起きる。何度か、朝は起きるのだけど、雨が降っていることもあり、なかなかしっかり起きれず、二度寝、三度寝を積み重ねていく。

 明日、僕は日本に帰るのだけど、やっぱり予行演習だということで、まずホテルから空港に行くことにする。ホテルからシャトルバスに乗り、実際に「P4」がどこだったのかを検証するという意味もある。昨夜から、僕を憂鬱にしている「P4」。そろそろ決着の時が来たとしてもおかしくない。

 シャトルバスに乗るが、コンチネンタル航空のターミナルまで、「P4」は現れない。とりあえず、ターミナルに降りて、明日の予行練習。そこから、ターミナル間及びニュージャージートランジットのニューアーク国際空港駅まで結ぶモノレール乗り場を探す。なかなか見つからずに苦労するが、ようやくたどり着く。

 モノレールに乗る。そこで、駅名に「P1」とか「P2」とか書いてあるのがわかる。「P4」とは駅名だったのである。つまり、昨日、僕はターミナルCの駅(「P3」)から一駅乗って、「P4」まで行けば、シャトルバスに乗れたし、タクシーの運転手に40%ものチップを払う必要はなかったのである。

 NJTに乗り、ニューヨーク・ペンステーションへ。ペンステーションは、2週間ほど前に、ワシントンに旅立つ時に降り立った。ニューヨークでは、メトロポリタン美術館に行きたいと常々思っていたのだが、既に時刻は14時前。ただでさえ、全て回るのは1日以上かかるという美術館に行っても、中途半端になりそうなので、次回、来る時への宿題にする。地下鉄に乗って、5番街へ。

 ニューヨークでは老舗らしいデパートに行く。さすがに老舗のデパートだけあって、高級感が漂う。大衆化されていないデパートというのは、こういうものなんだと、日本のデパートとの違いを強く感じる。5番街には、ヘルメスとかティファニーとかブランドの店舗もたくさんある。もし、僕が女性であれば、とても楽しいんだろうなぁと思いながら、ウインドーショッピング。まあ、もし僕が結婚していれば、ティファニーでお土産でもと思いながら、歩いていくと、ディズニーショップを発見する。

 ちなみに、昼食は、日本でいえば、小さいスーパーのようなところで、好きなおかずをパックに詰めて、それをお弁当代わりにして、ビルの間にある小さな広場で食べる。

 ディズニーショップでは、ニューヨークでしか買えないようなディズニーグッズを発見し、いろいろと購入。そして、せっかくなので、NBCストアにも行こうと思い、ロックフェラーセンター方向へ。

 確か、the west wingは、NBCだったなと思い、歩いていく。気分は、すでにニューヨーカー。ちなみに、ニューヨークで馬鹿にされないように、the west wingのジョシュ・ライマン風にジャケットを身につけ、サングラスをかける。ワシントンでは、ブラッド・ピットをイメージしていたが、こちらでは、ニューヨークに事務所を構える弁護士を演じる。これで、ニューヨークにも溶け込むことにする。

 途中で、紀伊国屋に寄る。紀伊国屋で、村上春樹の「風の歌を聞け」と「1973年のピンボールを購入」。復路の航空機の中で読むことにする。

 NBCストアでは、TVドラマグッズが売られている。例えば、ERの白衣とか。ストア内で思ったのは、こちらでは、Law and Orderという番組がヒットしているのではないかと思う。たぶん、日本に輸入されるのも時間の問題だろう。

 the west wingグッズ及びDVDを発見。DVDは、リージョンが違うので、日本では見れないので、購入を見送る。早くDVDも国際標準化してほしい。グッズはTシャツとコップを買う。

 NBCストアの隣に、メトロポリタンのストアがある。そこで、メトロポリタングッズを購入。メトロポリタンでは、「エジプトのカバ」を見たくて、僕は子供の頃からずっとそう思っていた。「エジプトのカバ」のグッズも売っていて、すかさず購入。

 もう夕方になってきていて、歩いていたら、知らない間にブロードウェイ近辺へ。人の移動が激しくなってきたなと思って、時計を見たら、ビジネスタイムが終わった時間だった。

 そろそろ帰ろうと、地下鉄でペン駅へ。NJTのチケット売り場が混んでいて、チケットを買うのに15分ぐらいかかる。

 ペン駅は地下から出発なので、ホームが決まり次第、移動するんだけど、電車に乗りつつ、間違えていないことを心から祈る。間違えていると、大変なことになる。

 地下から、外に出ると、ニュージャージーの見覚えのある土地が広がる。一安心。

 ニューアーク国際空港からモノレールに乗り、今度は間違えなく、「P4」へ。シャトルバスがちゃんと迎えに来てくれる。

 ホテルの部屋で、別な人がいないか、恐る恐るチェックして、少し休む。
 夕食はホテルのレストランで、最後の夜なので、ハンバーガーとオニオンスープとサラダを注文。当然、食べきれないリスクを背負いながら、食べる。

 翌日は、帰国日なので、荷物整理をし、紀伊国屋で買ってきた雑誌を読みつつ、ちょうどテレビでLaw and Orderが放映されていたので、それを見る。明日、ボディチェックされることを憂鬱になりつつ、就寝。

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赤い蝋燭(1)

 「人は、知らない間に人を傷つけているんだよ」

 「えっ?」と僕は聞きなおした。

 「君にとっては普通に話している言葉、普通の行動が、他人を知らない間に傷つけていることもあるの。」

 夢の中の彼女は、僕にそう伝えた。続けて彼女は、

 「それが私には我慢できなかったの。だから、私は君と一緒にいることはできなくなったの。」

 彼女の表情は、どこか悲しげで寂しさを含んでいた。当然、僕も寂しい気持ちになっていた。

 「でも、それはわかるよ。理解することができる。」と、僕は言った。

 彼女は意地悪そうに、

 「何がわかるの?君は、『いろいろありがとう』とか、抽象的な言葉をよく使って、結局、何がありがとうなの?と思うんだけど、いまは、何がわかったの?」

 と聞いてきた。

 僕は、少し困った。確かに、『いろいろ』とかそういう言葉をよく使う。

 彼女は、続けざまに、

 「そういう抽象的な言葉を聞くとね、君は何もわかっていないんじゃないかって思うの。ただ、『うん』とか『はい』とか、曖昧な返事と同じように、てきとうに反射しているだけなんじゃないかって。だから、本当は、私の言葉なんか、話なんか全く聞いていないんじゃないかって。そう思うの。君は、自分の価値観が絶対視されていて、批判されることない君だけの世界の王様でしょ。決して、その世界から出てこようとしない。私がその世界の外にいれば、外の世界を否定して、私を君の世界に引きずり込もうとする。だから、外の言葉は君にはきっと届かないのよ。」

 彼女は、僕の顔を眺めた。そして、ため息を交えながら、話を続けた。

 「私は君の世界では生きていけないの。でも、一度は生きていこうと思ったのよ。君のことが好きだったから、それでもいいと思ったの。でも、その世界に閉じ込められることは、私にとっては息の詰まることで、精神的に疲れて、そして私という存在が押しつぶされそうになったの。それだけ、君の世界は絶対的で強いものなの。」

 僕の胸が痛む音が聞こえた。自分では、意識していなかったけど、確かに自分の世界いや世界観に、強引に彼女を引き込もうとしていたのは、事実だった。

 「私には君の中から君の悲鳴が聞こえるのよ」

 僕は、意味がわからなかった。

 「君は、必死に、その世界から出ようとしている、そんな部分もある。それは認めるわ。でも、相反する君の意識や観念が、その世界から君が出ようとすることを引き止めるの。だから、いつまでも、君は外の世界には出てこれないの。」

 確かに、僕は自分の世界に引きこもろうとする癖がある。理由は、簡単で、その方が楽だからだ。もちろん、僕の部屋に訪れる人は歓迎する。でも、ずっとその部屋にいる人はいなくて、必ず別れがある。僕自身は、その部屋にいて、人が来ることだけを待っていて、自分から部屋を出ることはしない。彼女の言うとおりだ。

 「君はかわいそうな人ね。君は私にとてもひどいことをしたの。それを意識していたとしても意識していなかったとしても同じこと。もう一緒にはいれないのよ。」

 僕はとても悲しい気持ちになった。悲しくなった理由。ひとつは、彼女ともう一緒にいられなくなったこと、もうひとつは、彼女に取り返しのつかないことを知らない間にしてしまっていたことを悔やむ気持ちだった。

 「よく理解したよ。僕は知らない間に君のことを傷つけていたこと。ごめんね。」と、僕は謝った。

 「もういいの。謝ってもらわなくてもいいの。君と私は一緒にいるべきではない、ただ、それだけのことなの。」

 と彼女は言った。

 その後、僕と彼女は、軽く唇を重ねた。お別れの意味もこもった悲しいキスだった。

 「願わくば、またキスをしたいな」

 僕は、そう呟いた。彼女に未練があることは確かだし、もしやり直せるのであれば、やり直すことを挑戦したい。でも、彼女のベクトルが違う方向に向いていて、それはどうしようもないことなのだ。

 彼女は、小さな微笑を表情に残した。さきほどまでの悲しく寂しそうなセピア色の顔に少し色が付いた感じであった。そして、僕の言葉に、もう返事はなかった。

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6月9日(木):米国中西部時間→米国東部時間

朝起きると、6時だった。さすがにまだ早いということで、9時まで寝る。9時に起きて、支度をして、池上さんの運転で大学へ。実は、以前にうちの大学院の橋本さんからお薦めのアイスクリーム屋さんを紹介していただいていたので、池上さんとアイスクリームを食べに行く。バブコップというアイスクリーム屋さん。大学の構内にある。確かにおいしい。こんなにおいしいアイスクリームを食べたのは久しぶりだというぐらいおいしかった。

アイスクリームを食べた後、生協でWisconsin大学グッズを買う。そして、コーヒーを飲みに行き、池上さんといろいろとお話をする。

そろそろ昼食の時間なので、イタリアンのレストランに行くことにする。ウエートレスさんといろいろとお話をしてみる。また、行く途中で、池上さんから「オーサム」という単語がvery goodの意味でよく使われているということを教えてもらったので、早速、ウエートレスさんとの話の中で、「オーサム」と使ってみる。

昼食後、途中でコーヒーを買い、空港まで送っていただく。空港で、1時間弱、池上さんとお話をして、お見送りをしていただく。

飛行機の搭乗口で、またボディチェック。こんどはベルトまで外して臨む。しかし、ゲートを通過すると、出口がテープで閉められている通路に案内されている。出ようとすると「待て」と言われ、また、再び、厳しい取締りが始まる。二度目なので、こちらも要領がわかるので、やりやすい。身体中をチェックされ、なおかつ、鞄を全て開けられ、全て触診で確認され、やっと解放される。

 そして、搭乗口に行くと、飛行機が55分間遅れるとのメッセージ。ニューアークに直接行くのであれば、いくら遅れても良いのですが、クリーブランドでトランジットなので、そちらが心配になる。

 宮島先生が、こちらでは3回に一回ぐらいの確率では、交通が遅れるんじゃないかとおっしゃっていたのを思い出す。確かに、New Havenでアムトラックが遅れたのも3回目だったし、今回の飛行機も3回目。

 時間通り、55分間遅れて、飛行機が離陸。また、行きの時のおじさんかなと思っていたら、今回はお姉さんだった。クリーブランドでも飛行機は遅れていて、結局、全体で40分ほど遅れて離陸。

 ニューアークに近づくと、ニューヨークのきれいな夜景が目線に広がる。といっても、通路側だったので、ちらちらと窓を見るぐらい。特に隣の人が女の子だったので、あまりじっと見ることができない。恥ずかしくて。ちなみに隣の女の子は、韓国の人で、日本語で村上春樹を読んでいた。僕らが英語の単語帳(リスト)を作るように、彼女はハングル語と日本語の比較対照単語リストを作っていた。村上春樹ネタでお話しようかと、ドキドキ2時間ぐらい悩むが、その間に、飛行機は到着してしまった。

 結局、空港でも、なかなか到着ゲートに飛行機が付けられなくて、飛行機を降りたのが、22時。
 ホテルに電話して、シャトルバスを頼むと、「P4」に行けという。「P4」がわからず、周りを見ると「パーキング レベル4」とかいう、まあ、「レベル2」とか「レベル3」もあるのだが、それを発見してしまい、でも「レベル」は見えておらず、「パーキング4か?」ということで、相手は「うん」というので、「パーキング レベル4」に行ってしまう。もちろん、駐車場の4階のことである。常識的に考えて、駐車ターミナルの4階、一番上なので、屋上なのだが、こんなところにホテルのシャトルはこない。来るとすれば、駐車する人か、何か怪しい取引をするという感じだ。空港の吹きさらしが吹きまくり、なんとなく焦燥感が漂う駐車場の屋上。僕は、なんとなくそこでシャトルを待つ。明らかに違うと僕は思い、もう一度、「P4」を探す。今度は、「パッセンンジャー4」というお迎え用の停車場を見つける。もうここしかないと思い、30分以上待つ。15分が経過したところで、もう一度、ホテルに電話し、「パッセンジャー4」で良いかを確認。「おお、そうだ」という。確かに、お迎えの車は来ているし、向こうにはマリオットのシャトルも来ていた。もう、ここしかないと、30分待つが全く来ない。

 そうなると、イライラというか疲れから待っているのが嫌になって、タクシーに乗ることにする。タクシーの場合、ぼったくりがあるので、空港では、事前に場所を係員に告げると、値段を教えてくれる。しかも、そのレシートをくれて、運転手に渡すということになる。これで、運転手はおいそれとぼったくりすることができなくなる。

 ホテルまで、16ドル。乗ってみた感想は、16ドルでも高いような気がするが、シャトルバスに振られ、傷心気味の僕にとっては、16ドルでも温かく感じた。

 タクシーを降りると、運転手が荷物を降ろしてくれる。まあ、本来は、チップは10%から15%程度であるから、1ドルぐらいで良いかなというところであるが、荷物を降ろしてくれたしということで、20ドル払い、2ドル返してくれと言った。つまり、2ドルはチップである。しかし、運転手は釣りを返そうとせず、2ドル返してというと、「チップ!チップ!」と怒鳴った。だから、2ドルはチップなんだと言っても、釣りを返そうとしない。飛行機が遅れたのと、シャトルに振られたことも手伝って、なんだか、このまま言い争っても非生産的なので、もういい、ということにした。結局、4ドルのチップである。40%もの大盤振る舞いである。

 ホテルのフロントの受付に行って、チェックインしようと話を進めていると、フロントの電話がなる。フロントの男性は電話に出て、話し込む。こちらは無視されているので、腹が立つ。そして、もう一人のフロントの男性も電話していたが、その電話が終わり、そちらに回される。

やっと、部屋が決まり、行ってみると、その部屋は、すでに誰かがチェックインしているようだった。つまり、ダブルブッキングである。すぐにフロントに行き、抗議をして、新しい部屋を用意してもらう。

 なんだか、飛行機が遅れからいいことないなぁ、と思いつつ、疲れが出てきて、そのまま寝てしまう。

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6月8日(水):米国東部時間→米国中西部時間

朝6時20分の飛行機で、クリーブランド経由でMadisonまで行きます。New Havenで見たニュースでもやっていたんですが、米国の搭乗前の荷物検査は厳しくなっていて、時間がかかるとのことで、朝4時40分にはホテルをチェックアウトする。昨日は、歩いての予行練習をしたが、ちょうどシャトルバスがあるようなので、ホテルからシャトルバスを利用することにする。

5時前には、ゲートに着いたので余裕かなと思っていたところ、やはり搭乗ゲート前で引っかかる。米国では、靴を脱いで、上着も脱ぐ。全ての貴金属類を手放しゲートを通ろうとすると、特に音がしない。無事に通過かと思いきや、係員のおじさんが、ニコっとしたのを、僕は見逃さなかった。
僕は、進もうとするが、おじさんに止められる。そのうち、「こっちに来い」と明らかに精密検査のところに連れて行かれる。まず、何かの容疑者のように、ボディチェック。手を伸ばし、すべてチェック棒で身体を触れられる。その間に、僕の荷物は、漁港で水揚げされた魚たちのように、細かくチェックされる。鍵をかけている部分があったので、係員が鍵はどこだと聞いてくる。僕は、ボディチェックの最中なので、リュックの中だと言ったが、「up to you」と言ってきた。このとき、断れば、鞄の中は見られないかもしれない。しかし、僕は小心者の正直者だと自負しているので、鍵の場所を知らせる。リュックの中の鍵をとろうと、僕は手を伸ばすと、係員のおじさんが僕の手を跳ねのける。いやいや、自爆テロなんてしないって。

指差しで、鍵の場所を教えて、鍵を開けさせる。鞄の中に入っていた、「特命係長只野仁」と「整形美人」のDVDを見て、女性係員が、くすっと笑ったのも見逃さなかった。

僕はふんだりけったりで、米国で飛行機に乗るのが鬱になる症候群。
はあぁとためいきをしつつ、空港の外では夜が明ける。

飛行機は定刻で離陸。敢えて徹夜した僕は飛行機が離陸後、そのまま寝てしまう。三席を独占したのは初めてだったので、少し自慢げに、足を伸ばして寝る。そのおかげで、機内サービス、サービスといっても、飲み物とビーナッツをくれるだけだけど、それにありつけない。

まず、クリーブランドに着いて、トランジットに1時間。朝食は当然食べていないので、お腹 がすき、スターバックスでパンを買う。コーヒーも買おうかと思っていたのだが、並んでいたのと、パンを要求したところ、店員さんが次の客のオーダーを聞き始めたので、僕はそれ以上の注文ができなかった。何度も繰り返すけれど、僕は小心者なのである。

クリーブランドからは、セスナのような40人乗りの飛行機でMadisonへ。このとき、僕はまだMadisonとクリーブランドに時差があることを知らず、30分で着いちゃうんだとか思っている。

飛行機離陸。15分ぐらいしたら、飲み物とピーナッツのサービスが始まる。僕は30分で着くのに、このアテンダントさん(小太りの男の人。でも、なかなか仕事ができる感じ。)は、着陸態勢に入りつつもがんばるのだろうかと他人事ながら心配してしまう。でも、その心配は杞憂で、いつのまにか時刻が一時間戻っていて、まだまだ飛行機は飛び続ける。結局、早めに着いて、1時間程度飛行。つまり、クリーブランドを出た時間にマディソンにつくという感じとなった。

マディソンの空港には池上さんが迎えに来てくださった。今夜は、池上さんの家に泊めていただく予定です。まず、車で、池上さんの家に行き、荷物を置いた後、車でWisconsin大学に行く。
車で、Wisconsin大学を回り、池上さんの研究室にお邪魔する。農業経済学研究科の建物を見学させていただく。そして、マディソンの繁華街で、昼食を食べる。昼食は、地中海料理。とくにアルジェリアとかその辺の料理で、僕はベジタリアン風クスクスを食べる。クスクスの量は多くて食べきれず。

昼食後に、少し車で走って、スターバックスへ。スターバックスでコーヒーを飲んだ後、少し街を見せていただき、湖へ。マディソンは湖に囲まれた土地のようである。

その後、大学に戻り、しばし作業をさせていただく。そして、夕食は日本で言うところのファミリーレストランへ行き、スペアリブを食べる。

夕食後、お酒を飲もうということで、バーに行く。まずは大学の施設とのことだが、湖にある広場へ。そこで、なんとビールとか軽いおつまみが売られていて、大学生がたくさん集まっている。湖の夕焼けを見ながら、ビールを飲む。その後も、少しブラブラとして、池上さんの家に戻り、シャワーを追え、横になった瞬間に寝てしまう。次に起きたのは、もう朝だった。

朝起きると、鞄の鍵が壊されていることに気が付く。空港の荷物チェックの素晴らしい成果である。

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6月7日(火):米国東部時間

今朝は、少し遅めに起きてみる。10時過ぎにホテルの部屋を出て、とりあえず、翌日の朝の飛行機は6時20分なので、一通りチェックインまでの工程を予行練習してみる。ホテルからターミナルまで歩いていけるので、時計を見ながら、チェック。

空港で、お金を両替する。実は、JCBのカードは持っているのであるが、米国ではほとんど使用できないことが判明。そうこうしているうちに、現金も残り少なくなり、日本円を米ドルに両替する。

空港からボストン市内までは、地下鉄で移動できる。福岡空港と福岡市内の近さではないが、かなり便利である。日本の成田や羽田に比べれば、かなり便が良い。

地下鉄で、Harvardスクウェアの次の駅のポータースクウェアまで行き、用事をひとつ済ませる。ポータースクウェアは、日本人の方が多く住まわれており、日本のものが売られていたりする。懐かしさのあまりお茶を購入し、一気飲み。

ポータースクウェアからHarvardスクウェアまで歩いて移動する。徐々にHarvard大学の街並みに入っていく。
Harvardスクウェアで、本屋さんに行く。各大学の書店にもあったが、「うちの大学の先生が書いた本」コーナー。有名人ばかりなので、Harvardの凄さを改めて感じる。本屋さんを一通り見た後は、少し川沿いまで散歩し、宮島先生と待ち合わせの場所に向かう。

宮島先生にお会いして、レキシントンなど、ボストン茶会事件の後、イギリス軍と植民地軍との衝突があった史跡をご案内いただく。こうした史跡を回り、歴史が心に響き、そして感慨深いものを感じる。当時の人々は、何を考え、何をこの同じ場所でしていたのだろうか。そんなことを考えながら、大変感動をする。

宮島先生に近くの地下鉄の駅まで、お送りいただき、その後、ボストン市内で地下鉄を降り、ボストンコモンズを経由して、ガバメントセンターまで散歩する。ボストンコモンズでは、マラソン大会のようなものの準備がなされていた。

ガバメントセンターから地下鉄で空港に戻り、その夜は、翌日が早いので、寝ないようにする。夜テレビを見ていると、the west wingのジョシュ・ライマン役のブラッドリー・ウィットフォードがトーク番組に出演していたので、それを見ることにする。

そして、夜が明ける。。。

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6月6日(月):米国東部時間

浜田先生と朝8時に出発のお約束をしていたので、6時30分頃に起床する。
シャワーを浴び、そして部屋の片付けをする。テレビをつけ、朝のニュースを見ながら、浜田先生をお待ちする。
浜田先生が、8時に迎えに来てくださり、そのままYale大学に行く。

Yale大学は、George Mason大学とは雰囲気が違って、ニューイングランドの面影を強く感じた。George Mason大学は、大学があって、近くに住宅地があるという、日本でいえば、八王子のようなものだろうか。もっと言えば、イメージ的には中央大学に近いかもしれない。距離感は、Washington D.C.を東京駅とするとだいたい世田谷区ぐらいの距離である。八王子までは離れていないので、少し違うか。

Yale大学は、街と大学が完全に融合している。つまり、大学が街であり、街が大学である。New Havenの街の中心がYale大学なのである。

Yale大学構内、つまり街の中を2時間ほど歩き回る。その後、浜田先生のご紹介で、東京大学からサヴァティカルでYaleにお越しになっている清水先生とディスカッションをする機会を頂く。

清水先生とは、1時間半ほど、研究のことなどについて、いろいろとご示唆をいただいてから、Yaleをご案内いただいた。図書館の中やLaw Schoolなど、実際に入ってみることができた。

清水先生とお別れしてから、浜田先生の研究室に戻り、浜田先生のお仕事が終わるのを待つ。
16時前に、浜田先生がNew Havenまで車で送ってくださった。

New Havenでは、16時30分頃のBoston行きの電車に乗るつもりであったが、そもそも時刻表の読み違えで、その15時15分か17時30分ぐらいの電車しかなかった。駅には16時頃に着いたのであるが、15時45分の電車が1時間15分程度遅れており、ラッキーと思っていたら、さらに30分ほどの遅れとなったということが、掲示板に記載される。

そこで、駅のベンチで電車を待つことにする。しかし、17時になっても17時30分になっても一向に電車が来る気配はない。駅全体の雰囲気として、イライラ感が漂う。

ようやく、17時40分頃、駅員さんが口頭で、Boston行きの電車のトラックが発表され、待っていた人々が一斉に動き出す。ホームで5分程度待たされ、ようやくBoston行きの電車に乗ることができた。

Bostonまでは、2時間30分程度の電車の旅である。車窓には、大西洋が広がり、New Englandの歴史を感じ、心の中に何かジワーとする感情が湧きあがる。

20時30分前にBostonに到着。薄暗い中、タクシーに乗り、ローガン空港に向かう。Bostonでのホテルはローガン空港近くに予約してある。

ホテルに着き次第、翌日、お会いする予定の宮島先生と土屋さんに電話をする。土屋さんは、翌日、Bostonを離れるご予定になっていて、会えるのは、この夜しかないため、タクシーに乗り込み、ケンブリッジに向かう。

ケンブリッジの土屋さんの部屋で1時間30分程度、お話をし、Harvardスクウェア近くのバーで夕食を取る。その後、Harvard大学内を歩き、ケネディスクールなども見つつ、川沿いを歩き、土屋さんの家に戻る。

土屋さんにタクシーを呼んでもらい、ホテルに戻ろうとする。

途中まで、タクシーは順調に走っていたのだが、空港までの高速道路が封鎖されている。運転手が、ぶつぶつ文句を言い、イライラして、「クレイジー」とか叫んでいるのだが、こちらとしては、無事に到着できれば良くて、もし到着できないのであれば、違う方法を考えるだけであるので、運転手に比べて、非常に冷静になる。

空港への道は、3箇所か4箇所ぐらいアタックするが、全て封鎖されている。看板も立っていないので、封鎖されている理由もわからない。運転手はさらにイライラする。こちらは、それを反比例するように冷静になる。
まあ、「鍵」をなくしたことで、こちらとしては度胸は身についているようである。このエッセイのネタになるかなと、心の中ではトラブルを喜んでいたりした。

最後の道で、ようやく空港に近づくことができる。運転手は少し余裕綽綽になり、すこし自慢気になる。
泊まっているホテルが見えて、こちらとしては、ようやく部屋で休めると思っていたら、タクシーはホテルを通り過ぎ、どこか違うところに行きそうになる。

僕は「戻れ」と言った。「あそこがホテルだ。ユーターンだ」と。

タクシーは、しぶしぶ、高速道路の上でユーターンする。運転手は、ホテルの行き方がわからない。また、イライラしそうになる。

運転手は、「早く家に帰りたい」と、言い出す始末。

話していてもラチがあかないので、高速道路の上で降りて、ホテルまで歩くことにする。

タクシーの運転手は、帰るのに、4ドルかかると要求してくる。空港から都市につながるトンネル代金である。本来であれば、そんなの経費の一部なのだから、タクシー会社が払えばいいと思うが、そういう交渉をするのも疲れたので、4ドル払う。その後、高速道路を歩いて、ホテルまでたどり着く。

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プロローグ(3)

 僕は店を見渡してみた。確かに蝋燭の色はたくさんの色があった。赤い蝋燭、黄色い蝋燭、青い蝋燭、緑の蝋燭、色という色はすべて揃っている感じであった。それとともに、僕は少し背筋が寒くなるような感触を持った。ここまで、平然と店に入り、半分冷やかしで入った店であったが、この店は店という感覚ではない。異様な「空間」と言った方が良いほど、異様だった。もう少し僕の受けている感触を説明してみよう。いわば、存在と存在の間にあるちょうど「のりしろ」という言葉が適しているかもしれない。ただ、その場は、本来であれば、存在しないはずの「空間」で、存在と存在のねじれで、偶然に出来上がってしまったような、いわゆる中間的な存在であるのだ。いや、むしろ「存在」という言葉自体もおかしいかもしれない。「エアポケット」。こんな感じである。つまりは、時空の、存在の「ポケット」の入り口が、ぽっかりと、この街に開いてしまったという説明ができるのではないだろうか。

 いや、この街そのものが、一種の「エアポケット」なのかもしれない。いろいろなもの。それは人種であり、言葉であり、喜怒哀楽の感情であり、欲望。そうしたいろいろな違いや人間が生きている上でのごく一般的で日常的なものを、この街は吸い上げているのではないだろうか。

 いま、僕はその街の、さらに洗練された暗闇の空間に確かに存在していた。「ブラックホール」というものがあるのであれば、そのホールに吸い込まれたように、僕は、いつのまにか、その空間に引き込まれていたのである。

 こんなことを頭の中で、人間の時間にしたら、わずか数秒のことかもしれないが、複雑に考え込み、ひとつの興味と関心を持った。もし、存在しない「空間」があるとするならば、それはどんなものなんだろう。でも、あまり深く入り込みすぎるのも嫌だという二つの感情が矛盾して、お互いをけん制しあっていた。

 「ええ、いろいろな色の蝋燭がありますね」

 僕は、老人の問いかけに答えた。

 「人間には完全な人間なんていないんだ」

 老人は、つぶやいた。そして

 「この場所は、不完全な人間が自分を見つめなおすための場所だ。完全な人間はいないんだから、不完全なままでいいのか。いや違う。不完全だからこそ、自分の不完全性を知り、少しでもそれを穴埋める努力をすることができるのが、人間なんだ」

 僕は、「そうすると、ここは自己啓発とかその手のセミナーなんでしょうか。僕は、あんまり、そういうのには興味ないな。僕は自分のこと完全な人間だとは思わないけど、不完全過ぎるとも思わない。だから、もし、あなたが言っているようなことをする場所であれば、僕はここには不似合いだ。もっと、ふさわしい人がいる。だから、僕はここに来たのは偶然で、必然ではないんですよ」と強く主張した。

 老人は、「何もわかっていないな」と言った。

 「失礼だな」と僕は怪訝な顔をして、店を出ようとした。

 「この場所は、君の意識の中だけに存在している場所だ。一度、この場所に来てしまった以上、君は前に進むしかない。後戻りはできないよ。君は、すでに君の不完全性を感じている。しかし、防禦本能の一部で、それを認めていないだけなんだ。君は、君の不完全性を理解することこそ、今君が人間としての成長をするために必要なことなんだ。君は心の中で、この場所を、そしてその作業を求めている。だからこそ、君はここに来たんだ。」

 というと、老人は、ひとつの蝋燭に灯りを点け始めた。それは、赤い蝋燭であった。僕は、ただ呆然とその場に立っていることしかできなかった。

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6月5日(日):米国東部時間

朝目覚めて、シャワーを浴びる。その後、朝食を食べに街に出る。陽射しが暑い。夏のようだ。天気予報では、雨のような感じであったが、とても良い天気であった。フードストアで水とりんごジュースを買う。そして、近くのお店に入って、BLTサンドとアイスティーを注文する。

街並みは、ニューイングランド的なとても素晴らしい街並みである。中心に教会があり、その周りに街ができている。

昼過ぎから、浜田先生に博士論文について、ご指導をいただく。

夜は、村上春樹の『ダンスダンスダンス』を読み終わり、その後、「特命係長只野仁」のDVDを鑑賞後、就寝する。

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6月4日(土):米国東部時間

昨夜は、途中で起きてしまったこともあり、あまりよく眠れなかった。結局、寝たのは午前4時過ぎだっただろうか。午前8時に起きて、出発の準備をした。今日は、New Havenに移動する。

朝食は、ホテルのラウンジにて、僕の好きなモーニングだ。ベーコンとソーセージ、パンを何種類か皿に乗せる。それに、りんごジュースとコーヒー。村上春樹の『ダンスダンスダンス』を読みながら、朝食を食べていると、ウエイトレスさんが、何を読んでいるのか、それは日本語か、と興味深く聞いてきた。

僕は、「これは日本語だと」と答えた。彼女は、「それはラブストーリーなの?」と言った。

『ダンスダンスダンス』は、別にラブストーリーでもないし、ミステリーでもない。どのような分類をすれば良いのか、僕の頭の中で、日本語的にも戸惑いがあった。「とりあえず、ラブストーリーではない」と答えておいた。

New Havenへは、Amtrackのメトロライナーを利用することにしておいた。日本ですでにチケットを購入しておいたので、そのままゲートに行けばいい。ホテルからタクシーに乗って、ユニオン駅に向かう。少し時間があったので、ユニオン駅の中をぶらっとして時間をつぶした。

僕の電車は正午発だ。Amtrackの、しかもWashington D.C.-Boston間は電化されている。本当は、アセラに乗る予定であったが、現在は技術的な問題で運行されていないようだった。

Amtrackは、電車の遅れがよくある。また、基本的に大きな駅では、ホームもあらかじめ決まっていない。時間が迫ったら、Informationを見て、時間とホームを確認する。いわば、飛行機のような感じだ。電車の遅れは、例えば、今日は、フロリダ行きは、2時間30分ぐらいの遅れ、シカゴ行きは1時間ぐらい遅れそうだと表示されていた。日本のように一秒間隔の運行はされていない。交通事情の違いはあるだろうが、こういう電車の旅もいいものだ。鉄道会社としては、正確な時間でお客さんを運ぶことも重要であろうが、それが危険性とのトレードオフになった場合、優先順位をどこに置くのかということも今一度、考えることが重要ではないかと思った。

Washington - New York間は、約3時間である。電車の中には、電源があるので、パソコンなども使える。通常の客車は、座席間隔が狭いのであるが、メトロライナーは、狭さを感じなかった。もちろんインターネットは使用できないが、パソコンは使えるので、サービスとしては、なかなか良い。

New Yorkに到着するころ、僕は、カフェテリアに行き、昼食のサンドウィッチを買った。自分の席に戻り、NewarkからNew Yorkにかけての車窓を見ながら、イタリアンコンボのサンドウィッチを食べた。

New Yorkでは、5分から体感的には10分程度、いや実際には15分ぐらいか、停車をしていた。多くの客が下車していった。日本で言えば、東京から乗車して大阪に到着したという感じであろうか。Bostonには、6時55分到着予定なので、ちょうど、博多という感じだろうか。New Havenには、4時30分ぐらいの予定で、あと1時間30分の電車の旅である。

New Yorkを出発し、車窓を見ると、Washington - New York間とは、趣きが変わる街並みである。クラシックで美しい。New Havenに、4時30分に到着した。New Havenで、Springfiled行きの電車に乗り換えようとする。次のSpringfiled行きは、5時30分であったので、New Havenの駅で時間をつぶすことにする。

浜田先生と待ち合わせしているWallingfordは、New Havenの次の駅である。駅に着いたので、下りようとすると、電車のドアが開かない。ドアはひとつだけ開き、車掌さんが乗車する客のチケットをチェックできるようにしているようだった。

Wallingfordの駅に、浜田先生が車で迎えにきてくださった。そして、泊めていただく部屋にご案内いただき、シャワーを浴びて、博士論文についてご指導をいただき、夕食に出かける。

夕食の際に、ビールを飲んだからか眠くなってしまい、少し本を読み、就寝した。

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6月3日(金):米国東部時間

Summer Instituteの最終日。この日の朝は、こちらにサバティカルでお越しになっている早稲田大学の若田部先生が報告。Adam SmithとBuchananの考え方についての報告である。

Summer InstituteやOutreach Conferenceで思ったことだが、朝食も昼食も夕食(Summer Instituteでは、2日間であったが)も、準備されている。特に参加費を支払っていないのだが、ここまでケアしてくれるというのは、とても素晴らしいことだと思う。このような細かい点も見習うべきことがたくさんある滞在であったと思う。常にフルーツ(りんごとか)が置いてあって、報告を聞きながら、かじるというのも、米国風で良い。

この日の朝は、アップルデニッシュ。これはおいしかった。昼は、ハムや昨夜の残りの肉などが出て、ハンバーガーにして食べた。サラダも野菜があったので、ドレッシングをかけて食べる。
ちなみに、何度かにんじんを生で食べたが、にんじんがこんなにおいしいと思ったのは初めてである。

Summer Instituteのお土産は、Buchanan先生とTullock先生のサイン入りの"The Calculus of Consent"とLevy先生のサイン入りの本であった。大変嬉しい。

午後の少し早い時間に出発した。いろいろとお世話になったJanetさんに、お別れを告げると、地下鉄の駅まで車で送っていってくれるという。バスだと駅まで30分かかり、バス亭までは、歩いて10分ぐらいかかる。Janetさんのお気遣いに心から感謝をしている。

部屋をチェックアウトして、再度、公共選択研究センターに戻る。そうすると、Bettyさんもいたので、最後にお別れの挨拶をすることができた。Janetさんの車で、地下鉄の駅まで送ってもらい、Janetさんにお別れを告げる。「どうもありがとう」

Washington D.C.のホテルに到着。地下鉄を降りてから、最寄の地下鉄まで乗換えをしつつ、来たはずだが、少し歩いた。ホテルで、メールをチェックしたり、論文を修正したりすると、すでに22時になっていた。

夕食はまだであったが、外はすでに暗く周辺にどのような店があるのかわからないので、深夜までやっているホテル内の1階のスポーツバーに行き、ハンバーガーを注文する。ハンバーガーはボリュームがあり、おいしかった。また、せっかくなので、久しぶりにお酒を飲んでみようと思い、マティーニを注文する。

マーティーニをいろいろとなフルーツで割ることができたので、僕はりんご割りを注文する。

実は、防犯のことも考えて、必要がないときは、髭をそのままにしている。いまはうっすら、髭が伸びており、みかけ上は、自分ではブラッドピットのつもりだったりする。ブラッドピットがマーティーニを飲む、うん、なかなか絵になる光景だ。

お酒が強かったのか、部屋に戻るまでに、少し酔ってしまったようで、そのまま寝てしまう。村上春樹風の表現を使えば、灰色の猿が出てきて頭をトンカチで叩いたように。

午前2時頃、トンカチで叩かれた頭が少し痛むも、部屋の外で、女性の声が聞こえ目覚める。「Open the Door, Please」と言っている。どうも部屋の中に入れないみたいだ。その後、少しうるさくなったので、ドアを開けて様子を伺うと警官か警備員のような人が数人、廊下で何か確認している。

ちょっと不思議な深夜の出来事だった。

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5月30日(月)-6月2日(木):米国東部時間

Summer Institute。30日の朝もBuchanan先生の講演を聞く。
昼間はSummer Instituteに参加し、夜は7月の公共選択学会の論文を執筆。
不定期連載の「今夜、夢の中で君に出逢う」のドラフトも作成。

村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読了。引き続き、「ダンスダンスダンス」を読み始める。
音楽は、パソコンに記録してきた、クラシックとミスチル、中島美嘉、倉木麻衣、平井堅、Ayakoなどを聞く。寝るときは、MDに記録してきた玉置成美を聞く。玉置成美の音楽が何かに似ていることが気になりながら、いつも寝る。

クラシックは、読書の際に、アヴェ・マリアをかける。

のんびりと、GMUの生活を楽しむ。

6月2日は、鍵をめぐる冒険から一週間。今夜は同じ事をしないようにと心がける。GMUの夜も今夜で最後だ。
ちなみに「鍵をめぐる冒険」は、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を真似している。

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5月29日(日):米国東部時間

午前中まで、Outreach Conference。始めの講演は実験経済学について。実際に実験をされる。つまり、被験者経験をする。とても面白い結果が出る。自分の研究のアプローチに応用できないかと考える。

午後はフリーなので、バスに乗って、街に夕食の買い物に行く。キッチンがあれば、ステーキというところだが、キッチンはないので、出来合いのものを選ぶ。鶏肉は苦手。でも、出来合いのもののほとんどは、鶏肉。その中で、寿司があったので、試しに食べてみることに。寿司はしょうゆでごまかせばなんとか食べられるが、寿司とは書いてあったが、明らかにベトナム春巻きは、かなりイケてない。

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5月28日(土):米国東部時間

引き続き、Outreach Conference。今日は若い先生方も講演される。さらに、Tullock先生と若い先生方のパネルディスカッションを聞く。
公共選択研究センターの学術的な熱気の高さに刺激を大きく受ける。自分もがんばらねばと改めて思う。

夕食は、Buchanan Houseで、ピザピクニック。Buchanan Houseに行くまでに、Yoon先生と少しお話をする。夕食では、Tullock先生と同じテーブルを囲んで、ピザを食べる。

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5月27日(金):米国東部時間

今日からOutreach Conference。最初の講演は、Buchanan先生。Buchanan先生の講演を聞くのは、1997年に、千葉商科大学で開催された公共選択学会の国際大会以来だ。講演の前に、Buchanan先生に挨拶。一緒に写真も撮らせていただく。

Buchanan先生の講演の途中にTullock先生も来る。

夕食は、Buchanan Houseでバーベキューパーティー。Bettyさんにも会えたので、挨拶をして、一緒に写真を撮らせていただく。食事の後、Buchanan Houseの中を見学。ノーベル賞の金メダルを手に取り、重さを実感する。Buchanan Houseのペンキの塗り替えは、日本の先生方が出資してくれたとBettyさんがconferenceの参加者に説明されていた。

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冒険Ⅳ

Dear 君へ

僕が日本を出発して、3日が経ちました。たかが3日ですが、その間にいろいろな新たな経験をしました。最初の夜は、何も勝手のわからない異国で、ほぼ一人で、電車に乗ったり、飛行機に乗ったり、街を歩いたり、ご飯を食べたり、人と話したり。日本では特に変哲もないことができるかどうかわからなくて、泣きそうになりました。そして、君を思い出して、そして無性に会いたくなった。心細いときに、側にいてほしいのは君だという、僕の気持ちを知りました。

君は、奇蹟を信じますか?人と人の出会いは、偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか。僕には、いまのところ、わかりません。たぶん、この先も、ずっとわからないままだと思う。でも、運命というのが本当にあって、それが何か宇宙の奥の方にある大きな記録レコーダーみたいのに全て刻まれて、そして記憶されたものであるならば、僕は僕の人生をもっと楽観的に、その決められた運命を楽しんでみたいと思うんだ。

少なくとも、君と出会うことは、僕らが生まれる前から決まっていたことだと、そう思うんだ。不思議なことだけど、そう確信している。そして、その運命に僕は感謝しているんだ。

運命を自分で切り開くということって、どういうことだろう。決められたレールの上をただ歩くのもつまらないから、君と一緒に奇蹟を起こしてみたいと思うんだけど、どうかな。そうしたら、もっと君との人生が楽しくなると思うんだ。ただそれは、神様に背く行為なのかもしれない。アダムとイブがそうであったように、禁断の果実を食べることなのかもしれない。だから、君の意見も聞かせて欲しい。

from 僕

管理棟に戻った僕は、まず電話番号を間違えていたことを知る。

「あ、×ではなく●だ。」

そして、もう一度、僕は電話番号を覚えなおすことにした。時間はいくらでもある。時間つぶしのタネは何もなく、電話番号を覚えなおすことは、非常に画期的な時間つぶしだった。

満月は少し西の方角に移動していた。生暖かい風がそそいだ。僕は、時間つぶしに、草むらの真ん中で座禅でもして、悟りでも開こうかと思った。

実は、今夜は僕は早く寝ていた。確か、23時ぐらいには寝ていたはずだ。寝ている間に、スポンテニアスオーダーと無知のベールとコンスティテューショナルルールが気になった。それで頭の整理をしようと、目を覚ましたのだった。目が覚めたら、朝にシャワーを浴びようと思っていたところ、突然、運命の指示のようにシャワーを浴びたくなって、支度をして、シャワーを浴びにいった。ところが、シャワーを浴びる前に髭剃りを忘れたことに気が付き、部屋に戻ったとき、ドアノブが思うように回らなかった。鍵がなくて、締め出されたことを初めて理解した。

僕が今夜、締め出されてしまったことは、運命なのだろうか。宇宙のどこかにある大きな記録装置には、克明と刻まれていたことなのだろうか。では、この先、僕はどうなるのかも決まっているはずだ。それは、僕には分からない。結果は、例えば、明日の今頃にはわかっているだろう。しかし、なぜ、そういう結果になったのかは、運命だったのか、奇蹟が起きたのか、それは僕も誰もわからない。だから、僕はきっと死ぬまで、自分の人生で起きたことが運命として生まれる前から決まっていたことだったのか、それとも少なからず奇蹟を切り開いてきたのかはわからないだろう。でも、それは知らなくてもいいことなのかもしれない。科学の力で、それまで分かってしまったら、人生がつまらなくなる。もし何世紀か後にそれを知った人間は、その退屈さをどう紛らわせるのだろう。それにはいささか興味がある。僕は僕の人生を、それが運命であろうと決められていないものであろうと、一日一日を楽しんで生きていきたいと思う。

草むらの中で、座禅を組むのは、何時からでも始められる。今は、3時だ。朝の7時まで、まだ4時間もある。そこで、散歩をすることにした。まずは、公共選択研究センターまでの道のりを確認することにしよう。裸足の足裏がやや痛くなり始めている。しかし公共選択研究センターは近いところにあるので、すぐに到着した。外から眺めてみる。僕が来ることに憧れていた場所で、夢の場所だ。夢が少し叶ったことによる喜びが胸に溢れてきた。

そして、いよいよ座禅を組もうと管理棟に歩き始めた。途中で、車線がある。そのとき、一台のトラックが止まった。ジョージの前であったあのトラックである。

「お前、まだうろついてたのか。どうしたんだ。」

と、運転手は今度は親切そうに、(もしくは哀れみを感じたのかわからないが)、聞いてきた。

「鍵がまだ開かないんだよ。」

そのとき、横を「ジョージメイスン」と書かれたパトカーが通った。警察といっても大学の警察のようだった。

運転手はクラクションを鳴らした。

「ポリスに相談してみろ」

運転手は、そう言った。

パトカーはクラクションに気が付かず、行ってしまった。

僕は「朝になれば管理人が来るから、それまで待っているよ」と言った。
そして、僕は運転手にお礼を言って、とぼとぼ歩き始めた。

そのとき、パトカーがこちらに戻ってきた。パトカーは僕の横を通り過ぎて、トラックのところで止まった。僕は振り返ると、運転手は僕を指差して、パトカーの警官に何か話していた。

僕は、パトカーとトラックのところに、走って戻った。

運転手は、「ポリスに聞いてみろ」と言って、去っていった。

警官は少し怖い剣幕で、「何があったんだ」と聞いてきた。

「今夜、大学の施設に泊まっているんだけど、部屋の中に鍵を置いたまま出てしまって、締め出されてしまったんだ。」と、僕は事情を説明した。

警官は、「ふむ。なんで泊まっているんだ?」と聞いてきた。

「公共選択研究センターのイベントだ」と、僕は答えた。

「ふむ。どうしたものか。」と警官も少し困惑していた。

そのときに、僕は、さきほど、時間つぶしに覚えた電話番号を思い出した。

「管理人の電話番号は、3-●●●●で、電話してほしい」と、僕は伝えた。

警官は、「ふむ、それは管理人の電話番号なのか。」と、携帯電話を取り出して、電話をかけ始めた。

電話の鳴る音が数回鳴る。相手は出たようだ。

「警官なんだけど、今夜、大学の施設に泊まっている人が鍵を部屋の中に忘れてしまって困っているんだ」と警官は話し始めた。

いくらか電話で会話が続いた。その後、警官は電話を切り、僕に向かって、

「管理棟に行け」と言った。

僕は、「僕は管理棟に行くべきなんだね」と反復した。

警官は、「そうだ。おやすみ。」と言って、パトカーをバックさせた。
僕は、お礼を行って、管理棟に走った。少し、足の裏は痛かったが、喜びのあまり痛さを感じなかった。

管理棟が近づくと、管理人が管理棟に入っていくのが見えた。何もかもがうまく行ったのだ。

管理棟で、管理人が僕を見つけると、

彼女は「何号室?」と聞いてきた。

僕は、「ごめんなさい。110室です。」と伝えた。

「気にしなくていいのよ。」と、合鍵を渡してくれた。

僕は、「どうもありがとう。本当にごめんなさい。」

彼女は、「いいのよ。鍵は明日の朝に返してね。朝7時から空くから。」と言った。

僕は、お礼を再度行って、部屋に戻った。

まずは、宿泊施設の建物のドアである。鍵の一個目は、いとも簡単にそのドアを開けてしまった。
次にいよいよ部屋の鍵である。鍵の二個目を挿し、そのままドアを押すとドアは開いたのである。
電気が点けっぱなしで、バスタオルと髭剃りが置き忘れてあり、机の上には鍵がしっかりと置いてあった。

その瞬間、僕の鍵をめぐる深夜の冒険は終わったのである。

Dear 君へ

今夜、僕は大変な経験をしました。でも、この経験で、見知らぬ異国で、なんとかなるという、淡い自信を身に付けることができました。少なからず、勝手のわからない土地で、生活することに些細な不安を感じていたのですが、明日から、堂々と日常の何気ない生活ができそうです。

たぶん、この経験は、一生忘れられない笑い話として、僕の記憶の中に残ることでしょう。もしできることなら、この笑い話をタネに君とも何度も笑いたいと思っています。

ただ、やはり不思議なのは、偶然なのか必然なのかわからないけれども、鍵が夜中のうちに開いたことです。人生のめぐりあわせって面白いですね。

from 僕

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冒険Ⅲ

「鍵を部屋の中に忘れてしまって、入れなくて、困っているんだ」

僕は開口一番、トラックの運転手にそう伝えた。トラックの運転手は、訳がわからない。
確かに、僕が逆の立場であっても、そうだろう。いきなり、後ろから走ってきた寝巻き姿で裸足の東洋人に、追いつかれて、「鍵がない」と言われても。

「僕は、今夜、大学内の施設に泊まっているんだ。でも、鍵を忘れて部屋を出てしまって、シャットアウトされちゃったんだ」

僕は、少し説明を加えてみた。トラックの運転手は、

「俺にそんなこと言われても、困るんだが」

と、明らかに迷惑そうに言った。確かに、自分に何をしろというのだという感じである。

「ポリスに行け、ポリスに。」

運転手はそう続けた。僕は、日本的な感覚で「警察」なんてとんでもない!と思った。いま、僕はパスポートも携帯していない、寝巻き姿で裸足の旅行者なんだ。持ち物といえば、シャンプーと石鹸とスプレー缶。明らかに不審人物だろう。

不審人物なのは、運転手にとっても不審人物であった。

「管理人に電話さえつながれば、部屋を開けてくれるんだ。電話して欲しい。管理人に電話して欲しい。番号は3-●×●●」

僕は、このとき間違えて記憶をしてきたらしい。後で気が付いたが、この番号では別のところに電話されてしまう。つまり、この深夜に、関係のない人が一人巻き込まれそうだったわけだ。

「管理人って、誰だ?電話なら、どこかにあるよ」

そのとき、車が一台、入ってきて、女性が運転手に道を尋ねだした。
運転手は助かったように、僕のことを無視して、女性と話し始めた。
運転手は女性と話し終わった後、僕の方を向き、改めて迷惑そうな顔をして、

「俺は力になれない。自分の力でがんばってくれ」

といい、トラックを動かし始めた。
僕もこのまま食い下がっても、良い結果はまずでないことがわかったので、運転手にさよならを告げた。この模様を見ていたのは、深夜2時30分、ジョージただ一人である。

僕は呆然とした。しかし、僕には歩くことしかなかった。とりあえず、管理棟に戻ろう。ジョージの広場から管理人棟に戻る間に、科学技術関係の学部が入っているような建物があった。助かる術は無料電話で、それを貸してくれる人を探すことなので、とりあえず、飛び込んでみた。

その建物の中に入った瞬間、目があったのはハウスキーピングの女性だった。明らかに不思議そうに僕を見ている。もちろん、僕は不思議な存在だ。明らかにその場の風景には異質な存在だ。年齢は同じぐらいだろうか。一生懸命掃除をしていた。僕は、彼女を見て、がんばっているなぁと思った。そして、彼女に話しかけることはできなかった。仕事の邪魔をしては申し訳ないと思ったからだ。

彼女の掃除の邪魔にならないように、こっそりとその建物を出た。そこから少し歩くと新しい建物があった。僕は昼間、その建物を見たとき、もしかするとゲスト用のホテルかなと思った。もしゲスト用のホテルであれば、受付とかあって、レセプションスタッフが仮眠しているはず。そのスタッフなら、僕の事情は理解してくれるだろうし、僕の泊まっている施設の管理人に喜んで電話してくれるだろう。また、自分の世界でストーリーが出来上がり、物語が進んでいた。そこで、その建物に意気揚々と入ってみた。その建物は大学院棟のようであった。

建物の中はシーンとしていた。奥のほうに、ゴミを入れる大きな移動籠が置いてあった。その籠に近づいてみた。左には階段があって、階段の途中には、ハウスキーピングの女性が立って、こちらを見ていた。また、仕事中だ。と僕は思った。しかも、かなり不審がられている。不審なのは当然なのだが、あまり関わってはいけないような気がした。そこで、僕は、ここでも黙って、散歩のふりをして、胸を張って平然と建物を後にした。

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冒険Ⅱ

僕は、大学内(といっても、米国の大学だからひとつの街なわけだけども)を冒険することにした。目的は、学内の電話を探すことだ。

裸足で、コンクリートの道を歩き出した。コンクリートは、僕を歓迎するように生暖かった。

大きな道路を越えて、大学の中心部にあるセンターに向かった。(僕の泊まっていたところは、大学の外れの方にある)

「あのセンターは、確か午前2時まで空いている」

かすかな希望を持った。もし、センターが空いていれば、誰かしら人はいるだろうし、電話も使えるかもしれないのだ。

一歩一歩を踏みしめつつ、15分程度歩いて、センターに辿りついた。

ガラスのドアの向こうに、人影が見える。「良かった」。僕は反射的に、そう思った。

「さて、ドアを開けるぞ」と心の中で、元気の良い声を発した。

でも、ドアは開かなかった。彼女の気持ちのベクトルが僕に向かっていないのと同じように、重く閉ざされていた。

建物の中の人影は、といっても人間そのものなのだが、僕に気が付くことなく、仮眠室のような部屋に入っていった。仮眠室のドアも閉められたので、ドアのガラスをたたいても聞こえるわけがない。
僕は、なかなかあきらめの悪い人間だと、自分では思っている。一人っ子で育ったからか、欲しいものを手に入れないと気がすまないし、あるいは、自分の思い通りいかないと面白くない。

しかし、今は、そんなことを細かく考えている余裕はなかった。ダメなものはダメなのだ。冷たい現実が僕の目の前にあった。

明るい夜だった。月も満月に近くて、明るく僕の歩くべき道を射し示していた。明るいのは月だけではなく、電灯が付いていたからでもある。

センターの近くには、銅像が建っていた。この大学の創設者というか、この大学の名前はその人の名前らしい。米国の建国に貢献した人のようだ。その人の名前は、ジョージ・メイスンさんという。

僕は、ジョージに語りかけた。

「なんとか、鍵が開きますように。助けてください。」

ジョージは、何も答えなかった。もちろん、銅像だから、話すはずはないのであるが。

しかし、いま、僕にできることは、非現実的だと笑われるかもしれないが、神頼みしか残されていなかった。ジョージは、宗教上の神様ではないが、この大学の父には変わりないので、ジョージを日本式に拝んだ。アメリカ風の拝み方を知らないので、日本式にしかできなかった。(いや、むしろ、いま、このようにキーボードをたたいているから、アメリカ風とか言えているが、そのときは無我無心だから、そんなジョークを考える余裕もなかったのが真実ではある。)

ジョージに別れを告げた後、僕は少し離れた隣の建物に入ってみた。
その建物の入り口にはトラックが止まっていた。しかし、誰も乗っていなかった。
昼間は、授業とかで使っている建物のようであった。いくつかの研究室は電気が点いていたので、もしかすると誰かいるのかと淡い期待をしたが、ただ、電気が点けられ、パソコンがそのままになっていただけだった。アメリカは京都議定書から脱退したが、環境とか省エネとかの意識が低いと思っていた。「大量生産・消費社会」とか「高度資本主義」という言葉の裏には、どこか「ムダ」がある。「ムダ」をするのが、美徳という部分もあったかもしれない。僕が小学生とか中学生の頃、つまり、バブルで人々が踊っていた頃、日本もそうだったような気がする。15年ぐらい経って、だいぶ、日本も変わったものだ。しかし、アメリカは変わっていなかった。やはり、これだけ資源があり、パワーのある国には、省エネという言葉はナンセンスなのかもしれないということは、米国にいると常に感じてしまう。

この建物の中には、公衆電話があった。僕は、ふと、学内にかけるのは、公衆電話でも無料ではないか。と、都合のいい解釈をした。会社の内線のようなものであると。しかし、すぐに、これは僕の世界の勝手な思い込みであることを知らされるわけである。電話機を取り、3を押し、つづいて●-●と押すと、女性の声で、もちろん英語で、わけのわからないことを話し始めた。これは、相手がわけのわからないことを言っているわけではなく、英語が早くて聞き取れないので、僕の責任だ。なんとなく、

「この電話は、お金が入っていないから、ボタン押してもつながらないよー」

と言っていることは、僕の中の妖精が翻訳してくれた。

教室棟を2階から1階に下りたとき、僕は隣の建物が大学の本部機能を果たす建物であることを思い出した。本部であれば、内線電話ぐらいあるだろう、と、再び、僕は自分の世界観で物事を考え始めた。期待はしなかったが、このときは、いろいろな想像をすることが楽しくなっていた。どちらにしても朝までの冒険だ。楽しまなければ、と思っていた。これは手術前にモルヒネを打つような危険な症候なのか、もしくは人間は「考えている」と思うほど、考えていないのか。どちらかはわからないが、僕の中では、確実に楽観論が体勢を占めていた。

本部機能を果たす建物の入り口にたどり着いた。この場合、たどり着いたという言葉が似合っているだろう。それだけ、道も裸足の足には痛みを与える道であった。

建物の入り口は、当然のごとく、クローズされていた。当たり前である本部機能のある建物が、夜中に誰でも入れる方が問題である。しかし、鍵を部屋の中に忘れた学生でもない日本人が入れてしまったら、きっと、もっと違う人が入ってしまうはずである。

建物の中をよく見ると、幻なのか、人が二人、奥のソファーに座って話しているように見えた。ちなみに、この時点で、時間は午前2時20分。異常と言えば異常だから、もしかすると僕の期待が見せた幻想だったかもしれない。

ドアをたたいて、こちらに気がついてもらおうとした。でも、ドアのたたき方は深夜であることもあり、また割ってしまってはいけないので、遠慮しながら小さくコンコンという感じだ。
もちろん、遠慮しながらの叩き方で、奥のほうにいる人々が気が付くわけがない。僕はこういうところ、小心者だ。2・3回叩いたところで、あまり叩かない方がいいだろうと気を遣って、叩くのをやめた。そして、朝まで散歩することに決めたのである。

教室棟の横の階段を上ったとき、教室棟の入り口に止まっていたトラックが動き始めたのが見えた。
僕は、「助かった」と思って、裸足で走った。頭の中では、英語でどのように説明したらいいのかを複雑に考えながら、トラックに向かって走った。トラックは僕に気が付かず、走り続ける。僕は手を振る。トラックは不審がってスピードを速める。僕はあきらめなかった。ジョージのいる広場でついに、トラックの横に追いつき、「エクスキューズミー」と声をかけた。トラックの運転手は身構えていた。

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冒険Ⅰ

つくづく、僕の馬鹿さ加減というかケアレスミスぐせには嫌になる。
昔から、そうだった。いつもケアレスミスで、遠回りしてきたような気がする。
だから、テストの成績もあまり良くないし、必ず完璧にいった試しがない。僕の人生はそんなもんだ。

ところで、今問題となっているのは、「鍵」だ。部屋の鍵がないから、僕は部屋から閉め出されてしまった。

僕は、一人っ子のせいか、人見知りというか、自分だけの空間が一日のどこかにないと息が詰まってしまう。だから、心から親しい人以外と一緒の部屋で泊まるなんて、なかなかできない。だから、合宿とかそういうのは苦手だ。

動物占いは、「羊」で「狼」ではない。でも、寂しがり屋なくせに、人の輪になかなか入っていけない。

これは、トラウマなのかもしれない。一人っ子ゆえに、自分の世界があって、協調性にやや欠けるところがあるのは、僕も納得している。だから、そんなところを友達から嫌がられたりさせる。僕は寂しがり屋だから、友達に好かれようと、さらに無防備に友人の輪に加わろうとして、それが逆効果でもっと嫌われてしまう。それで、僕自身は疲れてしまう。その繰り返し。

最近は、拗ねているわけではないけど、僕は、集団と距離を置くようなことがある。それは、僕が疲れたくないから、自分勝手かもしれないけど、そうしている。本当に心の許せる人以外とは、微妙な距離感が重要だって僕は思った、

さて、話がいくらか脱線してしまったが、そんなこんなで、部屋が一人部屋だったのは、僕の心を軽くした。とくに、英語は自信がなく、英語しか使えない環境で、誰かと同部屋というのは、精神的に落ち着かないし、疲れてしまって、勉強どころじゃなくなるかもしれない。

僕だけ一人部屋だったのは、特にそんな僕の事情がわかっていたわけではないけど、ラッキーと思っていた。

でも、部屋を閉め出されたとき、一人部屋だからこそ、ドアを叩いても誰も応答しないことを実感した。仮に隣の部屋の人が起きてきたとしても、ドアは開かない。

記憶の片隅に、管理人さんは、ミッドナイトまでと書いてあったことを思い出した。

深夜1時がミッドナイトなのかわからないけど、とにかく走ってみた。もちろん、シャワーを浴びるためだから、裸足で、靴下も靴も部屋の中だ。

米国では、深夜1時はミッドナイトではなかった。(日本でもそうかもしれないけど)。管理人室は暗く鍵がかかっていた。窓のところに、こんな張り紙がしてあった。

「7am-ミッドナイト。それ以降は、●-××××、○○○-○○○-○○○まで学内電話で電話してね」

電話か。電話を探したが、周りには電話の「で」の字も見当たらなかった。

僕はとぼとぼと部屋のある建物に戻る。

実は、鍵はふたつあって、建物に入る鍵と部屋に入る鍵。その2つの鍵とも、もちろん部屋の中だ。
部屋の中にある鍵なんて、鍵の役割を果たしていないと、僕は少し腹を立てた。どちらかというと、八つ当たりだけれども。

昨日、ワシントンまでの電車の中で、荷物と鉄柵に指を挟んだので、指も痛い。ふんだりけったりだ。

実は、今回、管理人室に行くとき、建物からは閉め出されないように、建物の入り口には、シャンプーのボトルをはさんで、鍵がかからないようにしておいたので、僕は部屋の前までは戻れるというシナリオだ。

部屋の前に戻って、何かの間違いでありますようにと、心で祈りながら、ドアのノブを回す。でも、やはり鍵がかかっていて、ドアのノブは回らない。

このとき、不吉な思惑が僕の頭を横切った。窓を割って入るか。。。
でも、窓を割ったら、後が面倒だ。僕の信用問題にかかわる。
こうした理性が働いて、無謀な試みは避けられた。

僕はドアの前で座り込んだ。

「ここで朝まで待とうか・・・」

僕は独り言をつぶやいた。いや、朝まで、ここで座って寝てて、他の人に見られたら、翌日から、僕は笑いものだ。僕のちっぽけな尊厳を、プライドを守るためには、ここで朝を待っていない方がいい。安っぽい志が僕を決断させ、外に出ることにした。

退路を断つため、こんどは、建物のドアにシャンプーは、はさまなかった。どちらにしても、鍵が開かない以上、戻ってこないわけだから。

向かった先は、管理人室のある建物。「もしかしたら」という希望を持って再び訪れたのだけれども、やはり、誰もいない。

ふと、「夏で良かったな」と思った。もし、これが冬だったら、朝が来るまでに凍えて死んでしまうかもしれないだろう。

ここで、僕は少し諦めの心境が心を支配した。「朝まで6時間ぐらい、ここで座って待ってようか」
そんな独り言を呟いた。

でも、せっかくだから、冒険に出よう。僕はそう思った。

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5月26日(木):米国東部時間

7時頃起きる。出発の準備後、ホテルのラウンジで朝食。実は、ホテルのラウンジで朝食を食べるのが好き。その後、ホワイトハウスの周辺まで散歩する。何か事件が起きたのか、消防車とパトカーが集結している。さらに、道路を封鎖してたりする。

昼にチェックアウト後、いよいよジョージメイスン大学へ。
ワシントンD.C.のメトロに乗って、Vennia/GMU駅まで。
メトロの駅から30分ほど、バスに揺られ、憧れの地ジョージメイスン大学に到着しました。

チェックインした後、早速、大学の生協に行ってみました。

夜はOutreach ConferenceのDinnerに出席後、フリーに。

夜中にシャワーを浴びようとして、寝巻き一枚に、石鹸・シャンプーを持って部屋を出たところ、鍵を持ってくるのを忘れていたことを思い出す。

鍵は当然のごとく、開かず、深夜1時に締め出されてしまいました。

深夜なので、部屋の管理人の人も仮眠している様子。管理人室も暗くなっています。

さあ、オダギリジョー的には、「どうするの、俺、どーすんのよ!」とライフカードを選択するのですが、持ち物は石鹸とシャンプーだけなので、選択カードはあまりない。

ここから、「ジョージメイスン深夜の鍵をめぐる冒険」が始まるわけです。

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5月25日(水):米国東部時間

7時起床。朝食後、ニューヨークに向かうため、近くの駅まで、西村さんが送ってくれる。
8時40分にニュージャージートランジットに乗車。アムトラックで、ニューヨークからワシントンD.C.に向かうため、まずはニューヨーク・ペンシルバニア駅に向かう。

途中でアムトラックで乗り換え、無事にペン駅に。アムトラックのチケットは日本で購入してきているので、窓口で交換してもらい、11時35分のワシントンD.C.行きに乗る。

ワシントンD.C.まで、約3時間30分。日本の特急列車のような形で乗り心地も良い。車窓を眺めたり、少しうたた寝をしながら時間をつぶす。

14時50分頃、ワシントンD.C.ユニオン駅に到着。当初は、地下鉄でホテルまで行こうとしていたが、西村さんからタクシーの方が良いと言われていたので、タクシーに乗る。

ホテル到着後、休憩して、街を散歩と思っていたところ、寝てしまって、起きたのが22時。
メールの確認などをして、寝ることにする。

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5月24日(火):米国東部時間

飛行機は、16時前に到着。入国審査やら荷物待ちやらで、1時間ぐらいかかる。
24日は、西村さんの家でお世話になりたいとお願いをしていたところ、西村さんがニューアーク空港まで迎えに来てくださった。感謝。17時30分前に合流でき、そのまま車でニューヨークの中心街を案内してくれた。その後、ニュージャージー州に入り、米国文化に触れる。また、スーツケースが重すぎたので、新たな鞄とチェーンキーを買う。

西村さんのご自宅は、ニュージャージー州にあり、ゆったりとした住宅街。西村さんの手料理でおもてなしを受け、夜にセブンイレブンまで散歩する。

荷物が重く、今回はさまざまな移動を伴うので、西村さんにもアドバイスをいただき、持参した荷物を再整理する。重要なもの以外はスーツケースに入れ、日本に送ることにする。

テレビを見ていると、the west wingの4th seasonの第一話。日本では、3月に3rd Seasonが終わったばかりで、4th Seasonは10月からだと思うので、ちょっとラッキー。

the west wingを見た後に、寝ようとするが、時差と機内で睡眠していたため、寝付けず。その影響で、少し寂しい気持ちになる。いわゆるホームシック?

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5月24日(火曜日):飛行機の中

さすがに12時間は長い。でも、両隣が女性だったので、まだ救われました。体の大きい人とか太っている人とかが隣だと、それだけで精神的な圧迫感を受けるので、気の弱い僕としては、助かりました。

結局、飛び立つまでに30分ぐらいかかる。飛び立って、一時間後ぐらいに機内食第一弾。meat or fishだったので、meatを頼む。本当は、ワインを飲んで、寝てしまうところなのですが、「メインキャビネットのお客様は酒類は5ドル」という放送あり。財布は、かばんにかぎ掛けて機内手荷物入れに収納中なので、お酒にアクセスできず。

一回寝たところ、首の筋が痛む。そこで、早速、機内グッズを使用。第一弾は、「エアー枕」。上海に行ったときは、ポンプがうまく行かず、空気が入らなかった反省で、第二弾「エアーポンプ」。少し大きめのポンプを使って、枕に空気を入れる。それを首に装着すると、なんと不思議。大変楽チン。

次に起きると、足が痛む。電車に乗ってても、机に向かっていても、「エコノミークラス症候群か」というほど、日頃から足が浮腫むので、本家本元のエコノミークラス症候群にならないよう、第三弾「エコノミー対策靴下」に履き替える。

2回目の機内配給は、カップラーメン。それも昔駄菓子屋さんで見たことある、麺だけでしょうゆ味。おいしい。

3回目の機内食は、スパゲッティーorオムレツだったので、スパゲッティーを頼む。

結局、機内では、寝る→食べる→飲む→読書→寝る→の循環で、なんとか12時間。帰りは、13時間。今から憂鬱。

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5月24日(火曜日):日本時間

出発直前までドタバタ。出国前に、「こたえてちょーだい」を見ていこうと思っていたので、成田エクスプレスの時間を12時40分にしていたのですが、結局、見れず終い。数週間、「こたえてちょーだい」が見れないのは残念かもしれないという小さいことに気を遣う。

ちなみに、最近、「こたえてちょーだい」を見るのが日課だったりする。

成田空港に到着。コンチネンタル航空のチェックインカウンターに行くも、混雑気味。チェックインに時間がかかる。しかも、席は、真ん中に決定。12時間、真ん中というのは、きついと先が思いやられる。

人付き合いが苦手というか、コミュニケーション下手で、気を遣ってしまう性格なので、通路側でないと、なかなかトイレに行けなかったりします。本当は強引に行けば良いのだけど、相手が寝ていたりすると、トイレ行きたくても、なかなか出られません。

以前に、ハワイ大学に行った際、往路の飛行機で新婚カップルと同席でした。ちなみに、僕が窓側で新婚カップルが通路側と真ん中。本当は、新婚カップルのお嫁さんは、少しプンプン。まあ、そりゃそうでしょうよ。ということで、7時間トイレに行けなかったトラウマあり。

空港の書店で、村上春樹の「羊をめぐる冒険」と「ダンスダンス」を購入。昨日、村上春樹の著作の話になり、「羊」と「ダンス」は読んでいなかったので、今回の米国旅行中に読もうと思いながら寝たので、入手できて良かった。

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